2020/05/20(水)

 文章を読み書きするということについては、実は一つの形式しかない。つまり、目の前にある文字列と向き合う以外の方法で文章を読み書きすることはできない。これは当たり前のことのようであるが、他のジャンルの芸術作品の制作・鑑賞プロセスと比較すると、いかに特殊であるかということがわかる。

 たとえば絵画なら、制作に関しては目の前にあるキャンバスと向き合うという一つの形式しかないが、鑑賞には二つの形式がある。作品の実物を観るという形式と、作品のレプリカ、あるいは画集などを観るという形式である。レプリカや画集は実物の百パーセントの再現であるわけはないのだから、それを観ることと実物を観ることはやはり違うのだ、という見解は世間一般に浸透しているように思われる。

 これと比べて文章では、作家の自筆原稿に高い価値がつくということはあるが、それは史料的価値であり、実際の鑑賞にはさほど影響を与えない。作家が文章を完成させたとき、文章は自筆原稿から乖離し始める。紙に印刷された、あるいはパソコンやスマートフォンの画面に表示された文章は、作品そのものであって劣化したコピーではない。コピーであるとしても、作家の意図を百パーセント反映した完全なコピーである。ゆえに、文章の読み書きに関しては一つの形式しかないという冒頭の主張が得られる。

 先ほど絵画を引き合いに出したが、音楽についてはどうだろうか。鑑賞面では、ライブを聴くのと録音物を聴くのと二通りあり、これは絵画の実物と画集に対応する。制作面では話はもっと複雑になる。一人で演奏するのと複数人で演奏するのとでは、他の演奏者とのコミュニケーションの要不要という観点から言えば明らかに違う。ライブとレコーディングでも演奏者の心持ちは変わってくる。

 他にも色々な側面を考慮する必要がありそうだが、今日はこのくらいにしてまた今度考えることにする。

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