卵の入ったお粥④ 卵の入ったお粥
その日の晩、宵鈴は毒草を使って粥を作った。主な具は、暁王が一番好きだと言っていた卵と木耳にした。毒草は粉末にして混ぜ込み、苦味は甘めの酒を使って打ち消した。
相手を害するための料理を作るのは、料理人として心が苦しいことであった。
暁王は、理不尽に心を蝕まれてもどこかに元の尊さを残していた。宵鈴はそういう暁王が好きであったので、よりつらかった。
しかしどんなに生きて幸せになってほしくても、暁王は遠い主君であった。単なる下女である宵鈴が、手を差し伸べられる存在ではなかった。
だから宵鈴は、目的はどうであれ、自分は暁王のために料理をするしかないのだと割り切った。せめて死を迎えるその時までは幸福でいられるように、普段より一層腕を振るった。
宵鈴は出来上がった粥を鍋から器によそい、薬味の生姜や葱と一緒に盆に載せた。付けあわせには、油で揚げた餅と根菜の塩漬けを用意した。
いつもと同じように、宵鈴は食事の載った盆を持って暁王のいる部屋に向かった。廊下は暗く、夜気に冷えていた。
「殿下、ご夕食をお持ちいたしました」
宵鈴は暁王のいる部屋の扉の前で、声をかけた。
「やっと、きた! はやく、あけてあげてよ」
中から暁王の声がして、扉が開いた。中から宵鈴を部屋に迎え入れたのは、康夜だった。
「では、宵鈴が参りましたので、私はここで」
宵鈴に目くばせすると、康夜は部屋を出ていった。
暁王は机から身を乗り出し、目を輝かせていた。
「しょうりん、まってたよ」
「はい。本日は、卵と木耳の粥でございます」
宵鈴はうやうやしく盆を暁王の前に置き、料理の説明をした。粥からも揚げた餅からも、まだ湯気が立っていた。
その際、手がほんの少し震えてしまった。が、動揺して料理をこぼすようなことはしなかった。主君を殺そうとているのにも関わらず、宵鈴の心は落ち着いていた。宵鈴はそんな自分を、冷淡でひどい女だと思った。
何も気づいていない暁王は、うれしそうに笑って匙を手に取った。
「ぼく、これすき」
「存じ上げております」
宵鈴は側に控えて、暁王を見つめた。毒を盛ったのは他の誰でもない自分自身であったが、この食事が王を殺すと思うと夢か何かのような気がした。
「それじゃあ、いただきます」
暁王は、まずは粥から食べ始めた。匙ですくったものに息を吹きかけて冷まし、口いっぱいに含む。よく噛んでじっくりと、木耳の食感を楽しんでいるようだった。
「やっぱり、きくらげはいいねぇ」
そして揚げた餅を粥に浸して味わい、付けあわせの根菜も合間に手をつけた。暁王がよく食べるので、器が空になるのにそう時間はかからなかった。
「おかゆもあげたやつもおいしかったし、やさいもしょっぱくてよかったねぇ」
熱い粥を食べ終えて頬を火照らせた暁王が、匙を置いて微笑んだ。
「それは良かったです」
これで暁王は死ぬのだと、宵鈴は頭では理解した。こうして言葉を交わすのは、これが最後になるのであった。だが、実感はわかなかった。
暁王は甘えるように、宵鈴を見上げた。顔は凛として綺麗な青年であった。
不意に宵鈴は、王が一応は成年に達した男性であることを意識した。
そして暁王は、その風貌に反して子供のように純粋な親愛を宵鈴に向けた。
「ありがとう、しょうりん。ぼくはきみのおかげで、おいしいごはんをたべられる。きみがいてくれて、とてもうれしいよ」
そのとき宵鈴の心は、自分が暁王に対して行ったことへの罪悪感で満ちた。
「……そんな、私にはもったいないお言葉です」
声を詰まらせて、宵鈴は頭を下げた。宵鈴は暁王から向けられた好意を利用する形で、暁王を殺そうとしていた。それは絶対に許されないであろう行為であった。宵鈴は王に対して、どんな態度で接したらいいのかわからなくなった。
だが暁王は、戸惑っている宵鈴を置いて、次の話へと移った。
「でも、ほかのひとがしょうりんのりょうりをたべられないのが、もうしわけないねぇ。ぼくがおうぞくだからって、ひとりじめするのはわるいきがするよ」
そう言って、暁王は心苦しそうに遠くを見た。そして、腕を組んで何やら悩みだした。
自分が幸せな時に他人を案じる暁王の思考に、宵鈴は元の人格の名残を感じた。聡明だったという昔の姿が、垣間見えた気がした。こんなとき、宵鈴は暁王のことがより愛しく、また救われない存在に思えた。
宵鈴は何も言えずに、ただ立っていた。
すると暁王は考えがまとまったらしく、笑顔になって口を開いた。
「そうだ、ぼくはきみに、おみせをやってほしいな。そしたらみんなが、きみのりょうりをたべられる。ぼくはおきゃくさんとしてまいにち、きみのところへいくよ」
自分が宮殿の外に出られないことを忘れた暁王は、無垢な瞳で宵鈴に提案した。
その望みが絶対に叶うことがないと知りながらも、宵鈴は同意した。
「よいお考えですね。私も昔は食堂を開いていましたし、またやりましょうか」
「ほんとう? じゃあ、ぜったいだよぉ」
「はい、きっとそうします」
真っ直ぐに自分を見つめる暁王に向き合い、宵鈴は答えた。
暁王は、満足げにうなずいていた。
やがて毒が効いてきたのか、暁王は眠たそうに目をこすった。そして見た目だけは大人びた体を丸めて、大きなあくびをした。
「なんだか、たくさんたべたらねむたくなってきちゃったなぁ……」
「きっとお疲れなんでしょう。少し早いですけれども、本日はもうご寝所でお休みなさいませ」
暁王の座る椅子の背もたれに手を置き、宵鈴は静かに声をかけた。
急な眠気に逆らえずにいる暁王は、ぼんやりとした目で宵鈴を見つめた。そして、残念そうにつぶやいた。
「もっとしょうりんとはなしたかったのに……。でも、あしたもあえるよね?」
もうすぐ自分が死ぬとはまったく思っていない暁王が、無邪気に宵鈴に問いかけた。
宵鈴の胸の奥に、じわりとした痛みが広がった。罪の意識に耐えられず、思わず全てを話してしまいそうになった。だがしかし、真実を明かしたところでなんの意味もないことはわかっていた。
顔に考えていることが出てしまいそうになるのをこらえて、宵鈴は暁王の顔をしっかりとのぞきこみ嘘をついた。
「はい。明日もお粥をお持ちして参ります」
暁王から明日を奪ったのは、他でもない宵鈴であった。それは心苦しい嘘ではあったが、暁王が幸せに死ぬには必要なことだと思った。
「ふふ、たのしみだなぁ……。じゃあ、またあしたね……」
暁王は幸せそうに笑った。その声は本当に小さなささやきで、よく聞こえなかった。そして暁王は目を閉じた。もう二度と起きることはないとは知らぬまま、眠りについた。
力の抜けた暁王の体は、崩れるように椅子から落ちた。
そっと宵鈴は暁王を抱きとめた。細やかな刺繍に彩られた衣に包まれた暁王の体は、軟禁生活を送っていたせいか華奢で細かった。
宵鈴は、暁王を床に寝かせようかと思った。だが冷たい床の上で死なせるのも気の毒な気がしたので、やめた。自分にその資格があるのかはわからなかったが、宵鈴はそのまま腰を下ろして暁王を抱き続けた。少なくともその死を看取るのは義務だと思った。
聞こえるのは、小さな寝息だけだった。繊細なまつげがときおり震えるのを見つめながら、宵鈴は暁王の髪を撫でた。
権力に生死を定められ、心さえも他人の手によって損なわれて、利用され死んでゆく暁王の儚さが痛ましかった。同時に、奪われ続けても本当に大切なところは守り抜いた真っ直ぐさを尊いと思った。
そしてゆっくりと、暁王の呼吸は浅くなっていった。
「申し訳ありません、殿下……」
まだ生きた温かさのある手を握りしめ、宵鈴はつぶやいた。
康夜が戻るまで、宵鈴はずっと暁王のそばにいた。その死に顔は、安らかであどけないものであった。
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