卵の入ったお粥③ 王殺し

 こうして宵鈴が暁王に仕えてから半年が過ぎようとしていたころ、叛乱が起きた。暁王の住む旧都に近い城で、今の帝に政治に対して不満を持つ将軍が兵を挙げたのであった。峯の国はまだ建国から日が浅く、ちょっとした小競り合いはめずらしいことではなかった。だがここまで大規模な戦乱が起きたのは久々のことであったので、人々はざわめきたった。宮殿で暁王に仕える下女や従僕も、例外ではなかった。戦火が自分の身に及ぶことを恐れ、宮殿を出る者もいた。


 めったなことでは動じない宵鈴も、多少は将来に不安を感じた。だが宵鈴は逃げることはまだ考えずに、宮殿で仕事を続けた。しかし動乱の波はさらに大きくなって、着実に旧都に近づいていた。叛乱鎮圧のために都から官軍が送り出されてはいたが、到着はまだ遠かった。


 もうすぐ叛乱軍が旧都に達しようとしていたある日、宵鈴は康夜に宮殿の外れに立つ楼閣へと呼び出された。宵鈴はいぶかしく思いながらも、その楼閣に向かった。楼閣は今は使われておらず、中も外も荒れ果てていた。


「康夜様、宵鈴です。何のご用でしょうか」

 宵鈴は戸の外れた入口から中に入り、康夜の名を呼んだ。

 暗い室内の隅に置かれたぼろぼろの椅子に座り、康夜は宵鈴を待っていた。

「来たか、宵鈴。お前はまだ、逃げていないのだな」

「……逃げたところで、このご時勢に本当に安心して生きていける場所はなさそうですから」

 ぼんやりと問う康夜に、宵鈴は日頃考えていることをそのまま伝えた。

「それもそうかもしれないな」

 康夜は何かを思った様子のまま、あいづちをうった。

 その心ここにあらずというような態度が心配になった宵鈴は、康夜に問いかけた。

「あなたの方こそ、大丈夫なんですか?」

「私は別に、どうとでもなる。が、殿下は……」

 宵鈴の質問に、康夜は言葉を濁した。


「やはり叛乱軍は、殿下を弑するのでしょうか」

 宵鈴は、叛乱軍が旧都に入った後の暁王の未来を想像した。叛乱軍は、王族である暁王を殺すものだと思った。


 だが、康夜の答えは違った。

「いや、そうはならない。むしろ奴らは、殿下を担ぎ上げ、自らの蜂起の正当性を主張する。先の政変で殿下が殺されなかったのは、今の帝が反対勢力にわざと兵を挙げさせようと考えたからだ。叛乱の口実にさせるために、殿下はここで生かされた。この乱が鎮圧されれば、今の帝に逆らう者はいなくなるだろう。しかし万が一、奴らが殿下を得ることで勢いを増しても危険だ。だから、殿下はここで死ななくてはならない」


「今、あなたは何と……?」

 考えてもいなかった康夜の言葉に、宵鈴は思わず聞き返した。


 康夜は何も言わずに袖から麻袋を出し、宵鈴に渡した。

 受け取って中を見れば、入っていたのは薬草だった。昔読んだ本の、毒薬についての頁に描かれていたもののひとつに似ていた。

「何ですか、これは」

 袋を握りしめ、宵鈴は康夜をにらんだ。

 康夜はうつむいたまま、宵鈴に命じた。

「宵鈴。お前は今日の夜、この薬を使って粥を作れ。苦味の強い薬だが、お前の腕ならごまかせるだろう」

「その粥を食べたら、殿下はどうなるんですか?」

 康夜が自分に何を望んでいるのか、宵鈴にはもうわかっていた。しかし、答えさせずにはいられなかった。


 少し間を置いて、康夜は静かにつぶやいた。

「……強い眠気が襲い、そのまま二度と目を覚まさない。痛みはなく、苦しまずに死ねるらしい。死んだ人間に感想を聞けるわけではないから、おそらくの話だが」

 暗がりの中で目を伏せている康夜は、相変わらず感情のわかりにくい顔をしていた。


 康夜が暁王に対してどのような気持ちを抱いているのか、宵鈴にはわからなかった。だが非のない主君を見捨てるのは、責められるべき行為だと思った。感じた嫌悪を抑えきれず、宵鈴は吐き捨てるように康夜をなじった。

「今の帝……かつて殿下に薬を盛った曙公が、それを望んでいるんですね。叛乱を招く火種としての役目を終えたなら、速やかに死ねと。あなたは結局、曙公の命に従う人間だった」

 人格を踏みにじられた挙句、物か何かのように扱われる暁王が哀れだった。そんな暁王を殺せと命じる康夜を認められなかった。康夜が忠臣のように暁王につき従っていたから余計に、裏切り者に思えた。


 宵鈴の容赦のない非難に、康夜は顔を上げてきつく言い返した。

「私とて、好きでこんなことを頼むわけではない。だがどちらにせよ、殿下は死ぬのだ。毒殺が無理なら、刺殺や絞殺で殺される。逃げたところで、あの方は外で隠れて暮らしていけるような状態ではない。生きて叛乱軍に担ぎ上げられても、戦が終われば簒奪者に殺される。何も知らないうちにこの薬でお亡くなりになるのが、あの方が一番安らかでいられる道なのだ」

 康夜の冷たい態度は崩れなかったが、いつもよりもずっとよく喋った。その饒舌さは、隠された罪悪感に比例したものだと考えられた。言い訳がましいものではあったが、その言葉は確実に暁王のために考えられる他の選択を先回りして潰していた。


 そのため宵鈴には、感情的な言葉しか残されていなかった。

「それが最善だとしても、私は嫌です。そんなこと、やりたくありません」

 震える声で、宵鈴は言った。自分がそれほど情の深い方だとは思っていないが、それでも受け入れ難かった。


 康夜は椅子から立ち上がり、宵鈴に近づいた。そして、そっと耳元にささやいた。

「殿下はお前以外の人間の作った料理はほとんど食べない。それにあの方の味覚は鋭いから、常人の料理では毒に気付かれてしまう。お前が作らなければ、殿下の死は苦しいものになるだろう。だからお前に頼んでいるのだ」

 それは理路整然とした説得であった。しかし同時に、暁王を苦しませずに死なせたいという康夜自身の願いのようにも聞こえた。康夜の話には、つけ入る隙がなかった。だが、その声はわずかに震えていた。


 康夜はここに来るまでに、ずいぶん葛藤したのかもしれなかった。毒殺の命令に宵鈴がどうやっても反論できないのは、それが康夜が悩み抜いた末の答えであるからとも考えられた。

 宵鈴は暁王を殺したくなかった。そもそも誰が相手だとしても、人を殺すことには抵抗があった。だが、康夜の暁王を想う気持ちに流されて覚悟を決めた。

「……わかりました。今日の夜は、その薬を使って作ります」

 宵鈴は目を閉じ、康夜に従った。思い浮かぶのは、自分に笑いかける暁王の姿だった。

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