ライ麦のパン⑥ 処刑宣告

 しかしアデールが牢獄に放り込まれてから一カ月ほどたったある日に、リュドとの穏やかに過ぎていく日々は終わった。


 その日の夕方、リュドはいつもと同じように食事の載った盆を持って来たが、表情は重く何かを抱え込んでいた。


「大切な知らせがあるんですね」


 状況が変わったことを察して、アデールはリュドに尋ねた。

 狭苦しい牢獄の前に立ち、リュドは一瞬押し黙る。だがすぐに迷いを飲み込んで、簡潔にすべてを告げた。


「そうだ。国王との交渉が決裂したという知らせが入った。あんたは人質として用済みで、見せしめとして処刑される」


 声変わり前のリュドの少し上ずった声が、石壁に静かに反響する。


「そう、ですか」


 お前はもうすぐ殺されるのだと言われて、嬉しいわけではない。


 だがアデールはどちらかというとやっとその時が来たか、という気持ちでその言葉を受け入れた。自分は死ぬべきなのだという気持ちを本当に忘れてしまう前に終わりがやって来て、良かったとも思う。


 リュドの言葉はさらに続いた。


「あんたは斬首されて、首は国王に届けられる」


 リュドは暗く救いのない決定を語ると、牢獄内に食事を渡し入れてそっとアデールを見つめた。

 しかし首を斬られると言われても、アデールはやんわりとした受け答えしかできなかった。


「わかりました。心の準備をしておきます」


 自分に待つ残酷な最期を知ってもなお、アデールは安堵していた。

 アデールの命と引き換えに何が守られたのかはわからないが、シルヴァンが王として下した結論なら無条件で受け入れたかった。


 首はシルヴァンに送られるというのはさすがに悪趣味すぎると感じたものの、やめてほしいと願っても無駄なことならせめて安らかな死に顔になるように努力するしかないと思う。


(だって結局は死ぬしかないのだから、後はどう死ぬかしか変えられないじゃないですか)


 民は憎むべき悪ではないが、彼らがアデールを憎んで殺すのが現実である。

 現実に逆らう強さのないアデールは、それが運命なのだと黙って従えるように強くなるしかなかった。


 しかしそうしたアデールの諦めた反応は、リュドには気に入らないものであるらしかった。

 リュドは鉄格子から手を離し、もつれた黒髪を苛々とかきむしって言った。


「よかったな。あんたはお望み通り死ねて」

「どうかしたんですか?」


 その声の意外なほどの鋭さに驚いて、アデールは慌ててリュドを見つめて尋ねた。

 リュドの瞳は、何故か怒りに震えていた。それは今までの強がりのような憎しみとは違っていて、どこかやるせなく思っているようでもあった。


「どうもするわけがない。俺は牢番だからな。あんたが処刑されるなら、それでさよならだ」


 状況を飲み込めていないアデールに背を向け、リュドは怒鳴って言い捨てる。

 その感情の高まりは、本人にも処理しきれていないように見えた。


「リュド、待ってください」


 アデールはリュドの後ろ姿に声をかけたが、リュドは何も言わずに落とし戸から降りて行く。

 鉄格子から手を伸ばそうとしたところで、足枷につながる鎖がじゃらりと鳴る。囚われ幽閉されているアデールは、一人追うこともできずに残された。


 そのときアデールは初めて牢獄に投げ入れられた時以上に、ある意味では孤独になった。


(リュドは私が考えていた以上に、私を気にかけてくれていたんですね)


 忍び寄る夕闇の中でしゃがみこんでリュドの言動を振り返り、アデールはかえって冷静な気持ちで答えを出した。


 リュドがアデールの考えをどれくらい理解していたかは、わからない。


 だがリュドは反乱に身を投じている農民として支配者を憎んでいるのだから、王族の一人であるアデールが死んでも結局は納得するのだろうと、アデールは思っていた。多少は心が通じたところがあっても所詮は牢番と囚人なのだと、軽く見ていた。


 しかしリュドはアデールが理解したつもりになっていたよりもずっと、アデールのことを大切に想ってくれていたらしい。

 だからこそ死に抗わないアデールが腹立たしく、その態度を許せないのだろう。


 アデールはリュドが泣きそうな顔で怒鳴ってやっと、そのことに気が付いた。


 だけどもう時は遅く、二人の間にはそもそも出会ったそのときから避けられなかったであろうすれ違いがあった。


 高窓から覗く空は、次第に暗さを増して夜を迎えている。


 アデールはどうするのが正解だったのかわからないまま、リュドが置いて行った不味い麦粥を惰性で食べた。


 もしかすると、都で食べていたアデールの食事が恵まれ過ぎていたのかもしれない。しかしそれにしても木の深皿に入った冷たい麦粥は、いつも以上に美味しくはなかった。

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