ライ麦のパン⑤ 安らぎと未練
そんな本を通したリュドとのささやかなやりとりが始まってからは、アデールはそれまでよりもずっとのどかな気持ちで過ごすことができた。
相変わらず足枷は重く、薄汚れた姿は自分をよく知る人々には見せたくないほどの情けなさだ。
しかし獄中の寒暖差にも慣れ、穏やかな秋晴れの陽光が窓から差し込む天井の高い石造りの牢獄で一人本の頁をめくっていると、気分は自然と静かに落ち着いてくる。
(私は今までずっと、こうして生きてみたかったような気もします。不必要な王の遺児として存在を持て余された私には、ずっと本を読んで過ごすくらいの生活が身の丈に合っていたのかもしれません)
本を読むことは昔から嫌いではなかった。
また今はさらにそれに加えて、牢番と囚人としてのリュドとの関係の中にやっと、自分の居場所を見つけたような気持ちになることができる。
だがそんな平和な時間が続くと、自分が本当に心から死にたいわけではないことを思い出してしまい、人質としての価値がなくなれば処刑される将来が嫌になる自分がいるのもまた確かであった。
(王女として国のために犠牲にならなければならないのなら、そうします。だけどこのままこの牢獄の中で満たされ続けてしまったのなら、私は王女らしく死ねる自信がありません)
アデールは本を手に窓から覗く空を見上げて、都で王として国を背負っているはずの従兄弟のシルヴァンのことについて考えた。
どんな条件が提示されたのかは知らないが、きっともうシルヴァンの所にもアデールを人質とした反乱軍からの要求が届いたころであると思われた。
本来の反乱の目的は暴力ではないはずだが、彼らが王族や貴族に対して憎悪を抱いている以上、穏便な決着は望めそうにない。
アデールはシルヴァンに立派な王でいてほしかった。
だからシルヴァンが国王としてアデールに死を命じるなら、アデールはシルヴァンの命令に見合った誇りのある王女として死にたかった。
だが実際のところはアデールはそれほど強い人間ではないので、死にたくなるような目に合わなければ死にたいとは思えない。
本当のところは、自分のことを愛してくれる人や気にかけてくれる人がいるということを、アデールは幸せに思わなくてはならないのだろう。
だからアデールはリュドがアデールを憎みながらも気遣ってくれることを、常に感謝したいと思っている。
また侍女のノエラや夫となるはずだった老領主の死を本当に悼むのなら、残された者として相応の人生を歩むべきであることもわかっていた。
しかしその一方でアデールは、もしも自分が不幸な死を迎えることで自分を想ってくれている人たちを傷付ける結果になるのなら、最初から誰からも忘れ去られた存在として死んだ方が気が楽だと感じる気持ちを捨て去ることができなかった。
本当に何も与えられず死ぬしかない不幸な人にしてみれば、アデールの悩みはわがままで不遜なものなのかもしれない。
だが自分で選んで王女として生きたわけではないのだから、それくらいの利己的な願いは許してもらいたいと、アデールは牢獄の中で一人思った。
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