フィロ生地の焼き菓子⑤ 娯楽とご馳走
会議が終わった後、ムフタールはやはり食べて寝て遊んで過ごした。
最近は
(今日の大宴会は、どんな料理がでるんだろうか)
遊戯を終えた夕方、ムフタールは小姓に服の準備をさせながら夕食について考えた。今日は週に一度の大宴会が開かれる日であり、普段以上のご馳走が食べられるはずであった。
ムフタールは金襴の布地でゆったりとした仕立てられた前開きの上着を方形の帯で締めて、裾を細く絞った脚衣を履き、羽飾りのついたターバンを被って国政会議の時とは違う華やかな出で立ちになった。
食べることに比べると着飾ることはそう好きではないが、嫌いということもない。
身支度を終えたムフタールは、衣裳部屋から宴会が行われる大広間へと移動した。
円形で広々とした造りの大広間は各国の使節をもてなす際にも使われる格式の高い部屋で、巨大なドーム状の天井は金箔や銀箔で螺旋状の蔓草が描かれた黒曜石のモザイク装飾が一面に施されている。
燭台の光がモザイクに反射し昼間以上に明るく照らす光景は、この宮殿の中でも指折りで良い眺めである。
布張りの台座の上に円卓が置かれる形でいくつも設えられた席には高官たちが坐ってくつろいでおり、隅では赤いショールを羽織った女奴隷がウードを弾いている。
ムフタールが上座の自分の席へと向かうと、その横にはもうすでにサレハが坐っていた。
銀糸で縁取られた紫色の長衣で装いを凝らしたサレハは、男の官吏であるとは思えないほどに美しかった。
「陛下。午後も楽しくお過ごしでしたか」
澄んだ声で呼び掛けて、サレハがムフタールを迎える。
「ああ、今日は一勝三敗一引き分けだ。もう少しで二勝できるところだったぞ」
ムフタールは気分よく腰を下ろし、
「充実していたようで何よりです。私もいくつかの書類を片付けることができました」
上機嫌な主君の様子に、サレハも微笑み返して政務の進捗について述べる。
「それならお前も今日は、気兼ねなく食べて飲むことができるな」
「はい。楽しみです」
臣下の仕事内容は一切気にせず、ムフタールはただ食事をする気分だけについて考えた。
サレハもまた、それ以上のことは言わなかった。
そのうちに、給仕人が料理を運んできた。
瑠璃や彩陶の食器に色とりどりに載っているのは、鱈のココナッツ・ソースがけや、子牛肉とマッシュルームのパイなどの、非常に贅を凝らした品々だ。
「では、頂きましょうか」
濃厚に香る葡萄酒の入った硝子細工のグラスを手に、サレハがムフタールに微笑みかける。
「ああ」
ムフタールもグラスを持ってサレハの言葉に応え、そのまま飲み干した。
葡萄酒はとろりと甘い赤色で、飲むと気持ちが良くなった。アズラク帝国では表向きは飲酒が禁止されてるため、背徳感がより美味さを引き立てる。
(さて……こんなにいろいろ料理があると、どれから食べようか迷うな)
ムフタールは目の前に並んだ皿を見回して、食べる順番について考えた。
その結果めでたく一皿目に決まったのが、ひよこ豆とにんにくのスープである。
花弁を模した装飾に縁取られた金属器に注がれたスープは淡い乳白色で、真ん中には香草の葉が二枚ほど浮かべられていた。
そのなめらかにすりつぶされたピュレをちぎったピタパンですくって食べると、それはひよこ豆のほのかな甘味とにんにくの香りの強い刺激がレモンでさっぱりとまとめられた一品だった。さらりとしていながらも食べごたえのある、豆のほど良い重みが心地良い。
(これはすごく俺の好みの味のスープだ。が、他の料理もまだたくさんあるからな)
ムフタールはくり返しパンをひたしてしまいそうになるのをぐっと堪えて、次はほうれん草と玉ねぎの和え混ぜを食べた。
これは茹でたほうれん草と細かくとすりおろした玉ねぎをヨーグルトで混ぜ合わせたもので、チーズに近い味わいの塩気のあるヨーグルトが案外葡萄酒と良く合った。
またこんもりと皿に盛られた一口大のパイは焼きたてで香ばしく、さくさくした生地の中には子牛の肉とマッシュルームを角切りにした具が肉汁たっぷりに詰まっている。
青磁の器に白身が映える蒸した鱈は、ココナッツミルクを使った濃厚なソースが身に絡み、粗挽きの黒胡椒がアクセントになっていて美味しかった。
ピタパンで鱈のソースを熱心にかき集めて、ムフタールはその味の良さに感動する。
「この魚のたれ、めちゃめちゃ旨いな」
「そうですね。濃すぎず薄すぎず、よい塩梅です」
サレハは控えめに白身を口にしながら、同意した。
大食のムフタールに比べるとやはり食べる量は少ないが、それでもサレハはサレハで楽しんでいるようであった。
(あとまだ食べていないのは、この鶏料理だけだな)
あらかた手を付けた皿を満足して眺めた後、ムフタールは赤い宝石のようなザクロの粒が散りばめられた鶏の煮込み料理を取り皿に載せた。
藍色の縁取りが目に鮮やかな彩陶に盛られた鶏肉はこってりとした茶色のペーストで煮込まれたもので、香辛料の良い匂いがしていた。
熱々とまではいかないもののまだほんのりと温かい鶏肉をよそうと、空腹ではないはずなのに食欲がわいてくる気がする。
そしてムフタールは器用に手で肉片をちぎり、煮込み料理を一口食べた。
(ん、旨い)
想像していた通りの美味しさに、ムフタールは一人で頷いた。
深い甘みのあるザクロのソースと細かく砕かれた胡桃でできたペーストの染み込んだ鶏肉はほろほろとやわらかく、素材の良さが一つに溶け合い凝縮している。新鮮なザクロの実と大きめに刻まれた胡桃が彩りよく載っているのも、味や食感に変化を与えていた。
香辛料で辛めに仕上げられた味付けは、隣に添えられたバターと卵黄をまぶされた蒸し飯と食べても美味しかった。
(あと葡萄酒にもよく合うな)
ムフタールはグラスに注がれた葡萄酒を飲むと、一息ついてまた鶏肉を取り皿に盛った。
ふと目を上げると、蝋燭がいくつか消えて暗くなった室内には歌い手の女奴隷も現れ、高官たちの耳を楽しませていた。
しかしムフタールは特に聞こえてくる歌には注意を払わず、料理を食べ続けた。
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