鯛と野蒜の和え物⑥ 友に置いて行かれた役人

 主の死んだ屋敷から立ち去って、自宅へ帰って着替えて寝る。


 そしてまた再び、望まない夜明けがやって来た。


 宮城の開門時間に合わせて鳴り響く鼓の音を聞きながら、朝平は役人の一人として朝服を着て門をくぐる。

 昨夜の酒がまだ残っており、勤務前の気分としては最悪だった。


 兵部省の館舎に入ると下駄箱にはもう十何人分もの靴が並んでいて、ちょうどそこに立っていた仲持が明るく挨拶をする。


「朝平殿、おはようございます。昨日はいろいろなお話が出来て楽しかったですね」


 楽しかったと言われても、朝平はまず仲持とそうたいして話をした覚えがなかった。しかし過剰にまぶしい仲持の笑顔に、朝平は早々に気疲れを感じながらも無難に返事した。


「おはよう、仲持殿。昨夜はどうもありがとう」


 朝平が感謝しているふりをしてお礼を言うと、仲持は嬉しそうにまた何かを話し出した。

 いつも通り適当に頷きながら、朝平は自分の靴を下駄箱にしまう。朝平が話を聞き流していることに、仲持が気付くことはなかった。


 仲持の家門が靖家と接近していることはともかく、仲持本人は善良で人の好い人間であることは確かである。


 しかし朝平は、その仲持の純粋さを好ましく思うことはできない。


 それは亡き友を忘れられないからというよりは、朝平のほとんど価値のない誇りの問題であった。大義のために死んだ友がいるのに逃げた自分が生きて楽しむのは、格好の悪いことだと朝平は思った。

 だから例えあの鯛と野蒜の和え物が器に盛られていたとしても、今の朝平は宴も酒も楽しむことはできなかった。


(俺は負けて死にたくはなかったけど、死にたい気分で生きたくもなかった)


 話し続ける仲持の隣を歩きながら、朝平はどうしようもなく重い気持ちで目を閉じそうになる。

 生き残った自分を卑怯者だと思いたくない朝平は、勝利者たちに迎合する人生を許すことができない。


 だが朝平は命を懸けることを選べなかった人間であり、また同時に結果的に親友の死によって守られてしまった存在である。

 だから望むものが何も無くなっても、ただ生きるしかなかった。


 何度憂鬱な朝を迎えても、役人として木簡や巻物に書かれた名前を写し続ける不毛な日々は続き、終わったはずの宴もいつかまた開かれる。

 招かれた宴がどんなに華やかなものだとしても、そこで仲持が何回朝平のことを友だと言ったとしても、朝平は輪から外れたところにいた。


 頭に入って来ない仲持の声に相づちを打ち、朝平は館舎の廊下を進む。


 朝平は中途半端に自尊心を持ち合わせていたために、今日も明日もどこにも属せないまま一人すべてが終わる日を待ち続けるのである。

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