鯛と野蒜の和え物③ 饗膳と権力と

 酒礼が終わった後には、食事が振る舞われる饗膳が始まった。


 仲持の姉婿の旅仁が予告していた通り、脚付きの膳に載って運ばれてきた食事は朝平が普段一日で食べるよりもずっと量が多く、また豪華なものだった。

 大小様々の土師器には、鮑の塩辛、干蛸、冬瓜の酢漬などの酒にあう品々がそれぞれ載っている。飯は白米を蒸した強飯で、椀にいっぱいに盛られて温かな湯気をあげていた。


(料理は普通に旨いことは旨い。こういう場じゃなければ、さらにもっと旨いだろうに)


 飯はつややかで良い味で、味の濃厚な鮑の塩辛などと併せて食べればより一層美味しい。

 磯の香を残した干蛸も噛むと素材の味がしっかりと感じられ、絶妙な歯ざわりの酢漬は間に挟んで食べれば食欲がわきそうなほど良い酸っぱさだ。


 しかし酔って気分が悪い朝平は、あまり箸が進まなかった。


 各地の珍味が集められた献立を見ているとそれだけで国が栄えていることを実感できるものの、同時に重い税をかけられ疲弊した地方の存在を思い起こさせる。

 用意された品々の中でも、一番大きな皿に載っているのが小鯛の焼物だった。出席者全員に一匹ずつ鯛があるのは豪勢なものだと朝平は思う。


 香ばしく焼けた小鯛はふわりとそそる匂いをさせながら、白くなった目で朝平の方を見ていた。

 箸でほぐして取って食べてみると、よくしまった新鮮な身にちょうどよく塩味がついているのだが、それでも朝平の気分が晴れることはなかった。


(本当なら鯛は好物のはずなんだが……)


 以前に食べた鯛の美味しかった記憶をぼんやりと思い出しながら、朝平は海藻の入ったさっぱりとした汁もので白身を飲み下してため息を吐く。

 するとふと耳に、酒焼けした男の声が聞こえてきた。


「しかし昨年は、難儀したなあ」


 声の方を見てみると、少し離れた場所に靖家が坐っていた。それほど身分の高くはない中級役人の朝平であるが、仲持の人脈のおかげなのか大声なら届くほどには靖家とその側近と席が近い。

 靖家は巨漢で髭が濃く、さらに派手な文様の入った舶来の衣を着ていたのでよく目立っていた。


「やっとあの反乱の始末も終わって、ようやく肩の荷が下りたわ」

「太師様がいたからこその、今日のこの都の春です」


 盃を持った靖家が大きな声で笑い、取り巻きの貴族の男たちが機嫌をとる。

 反乱というのは、昨年の夏に起きた柏守王(かしわもりおう)の乱のことである。


 柏守王は靖家の専横によって皇太子を廃された人物であり、靖家を深く恨んでいた。そこで彼は靖家に反感を抱いている他の貴族と手を組み、謀叛を企てた。靖家の政治は民や敵対者に犠牲を強いるものであったので、彼の支配に反対する者は大勢集まった。

 しかし謀叛に関わっていたものの中から密告者が出たことにより計画は露見し、首謀者である柏守王とその仲間は獄に送られ拷問により獄死した。他にもこの事件に連座して処罰を受けた貴族や役人は数えきれないほどおり、その処遇がすべて決まったのはつい先日なのである。


(そして政敵を滅ぼし尽くした靖家は、この国の絶対的な権力者になった)


 松明の光に照らされる華麗な庭園での宴を目に映しながら、朝平は靖家の持つ力の大きさを実感した。このにぎわいの中心にいるその髭の男に比べれば、朝平は姿が見える近さに坐ってはいても水泡のように小さな存在である。

 そうした決定的な空しさを噛みしめていると、唐突に隣の仲持が朝平の視界に入った。


「朝平殿。もしもふきが苦手なら、私がもらってもいいですか?」


 そう言って仲持が、箸を付けていない朝平の器に入ったふきの煮物をじっと見る。

 ふきがそう好きではないことは確かなので、朝平は呆気にとられながらも頷いた。


「ああ、ありがとう」

「じゃあ、いただきますね」


 仲持はまったく遠慮することなく、朝平の分のふきを箸でとって食べた。

 自分が食べたかっただけなのか、それとも親切や気遣いだったのか、朝平には判断がつかなかった。


(とりあえず、楽しんでるふりくらいはしようか)


 我に返った朝平は、残っている料理をぽつぽつと口に運び、周囲の会話に合わせて表情を作った。少しずつ酒も飲んでみたが、甘く濃い味はやはり苦手だった。


 横目で仲持を見てみると、社交的な彼は今度は朝平から見て又隣の男と話をしていた。仲持は朝平のことを友人の一人に数えてはいるが、ありがたいことにその分類は特別なものではないようだ。


 それから楽士が演奏する琴の音色は何度か変わり、時は過ぎて宴は次第に終わりに向かった。


「宴は楽しいですが、帰る時間が寂しいですよね。朝平殿とはまた明日も会えますが、それでも何となく別れを言うは物悲しいです」


 人が減っていく宴席を見ながら、仲持が名残惜しそうに言った。

 近くに残っているのは、もう朝平だけだった。


「そうだな」


 朝平は口では同意した。

 しかし明日も仲持と会うという前提は朝平には救いにはならず、心の中ではひとまずの終わりと別れにただ安心していた。


(この場所は財は尽くされているが、それだけだ)


 松明の明かりはいくつか消えて暗くなり、池は今は空の月と桃の花を映してる。


 靖家の屋敷は庭園も建物も美しいが、これだけのものが建つまでに何が行われてきたのかを考えると、褒め称える気は起きなかった。


 夜が深まり冷え込んだ風に、朝平は衣の襟を引き寄せた。

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