7.醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ ―友に置いて行かれた役人― 

鯛と野蒜の和え物① 夕刻の兵部省

 朝平ともひらは宴に呼ばれるのが嫌いだった。

 酒も空世辞も苦手で話すこともなく、出ても得るものは何もないと感じていた。


 だが同じ兵部省に勤める仲持なかもちは、当然のように朝平も宴を楽しみにしているものだとして話しかけてくる。


「朝平殿。もうそろそろ出発しないと、太師様の屋敷の宴に遅れますよ」

 質朴に建てられた兵部省の館舎に、おっとりと急かす仲持の声が響く。

「わかってる。もうすぐに片付ける」

 仲持の呑気な明るさに少々の苛立ちを覚えながら、朝平は諸国の衛士の名前が書かれた名簿の巻物を箱の中にしまった。


 兵部省は武官や衛士の管理を行う部署であり、朝平は若いなりにそこでそれなりの役職をもらっている。省全体で見ればさらに高位の人間も多いが、少なくともこの部屋で働く数十人の中では朝平と仲持の位が最も高い。


 朝平はさらに筆や小刀を硯箱に入れて、机の上を整理した。


 片付けが終わったのを見届けると、隣に坐っていた仲持は上機嫌で立ち上がる。


「では、行きましょうか」

「ああ」


 ため息を吐きたい気持ちで、朝平は頷いた。


 そして宴に呼ばれていない官位の低い役人を中に残して、朝平と仲持は黒皮の靴を履いて館舎を出た。

 二人はそれほど立派な生まれではないものの一応は貴族の息子であるので、働き続けなければならない下級役人よりは暮らしは楽である。


 兵部省のすぐ近くには荏分門という名前の門があり、その小さな平門をくぐればすぐに宮城から出ることができた。


 都は暖かな春を迎えており、夕方でも外の風はやわらかった。

 大内裏の近くには高位の貴族が住む広く立派な屋敷が建てられており、道を挟んで続く築地塀も綺麗に整備されている。


 六位の文官である朝平と仲持は、深緑色の朝服に白い袴を身に着けて黒絹の帽を被り、人の行き交う大通りを歩く。


 仲持は夕焼けに照らされたぼんやりとした横顔で、何やらずっと幸せそうに朝平にとりとめもない話をしていた。

 どうしても暗い面持ちになる朝平は、適当に相づちを打ってごまかした。


(このまま気付いたら、全部終わっていればいいのに)


 朝平は心の中でつぶやく。


 しかしまだ宴は始まってもいなかった。

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