牛骨の煮込み料理⑤ 日常に戻って

 祭祀が終わって王族や貴族が帰れば、また普段通りの日常が始まった。


 庖人は屠殺場から捌いた牛肉を運び、陵墓の料理方の巫女は顔も知らない亡き王たちの食事のために厨房に立つ。

 その今朝にハユンが任されたのは、前菜を作ることだ。


 この国での前菜は、八角形の器に並べられた八種類の具材を薄焼きの餅で包んで食べる形で出されることが多い。

 ハユンは具材に火を通しそれぞれの味付けをすませると、黒い漆器に順番に並べて形を整えた。具材はもやしの和え物、しいたけの煮物、人参の甘酢漬け、錦糸卵、さやえんどうなど、白黒赤黄青の五色が揃うように選んだものだ。


(死んだ偉い人には豪華な料理が捧げられて、飢えて死ぬ人には何も与えられないっていうのがおかしいのはわかってる。だけど……)


 炒めた牛肉を箸で器に載せながら、ハユンは心の中でつぶやいた。

 自分の国が危ういことを折に触れて感じているハユンは、鈍感な顔をした他人が行ったり来たりする厨房の中でどうしようもない焦燥感に駆られることもある。


 目の前に豪華な食事がある一方で、どこかの誰かは過去の自分のように飢饉に苦しんでいる。このまま行けばハユンの国は崩壊を迎え、この陵墓が失われるときもいつかはやって来るのだろう。


 しかしハユンは、今日も死んだ王たちに料理を作るしかない。死ぬ前に反乱を選ぶ人々もいるが、彼らの選択をハユンが選ぶことはない。死者に仕えることが今のハユンを生かす役割である限り、逆らうことは決してできないのである。


(私に許されているのは、ただ近づく終わりに気付くことだけ。どうせ悩んだって、私はこの場所から離れられはしない)


 ハユンはかすかに焦げ目をつけた薄焼きの餅を、具材の並んだ八角形の器の中央に何枚か重ねた。


 なぜ死者のために料理を作るのか。ハユンはどうしてもその意味を考えてしまうが、正しさを求めてはいけなかった。良いか悪いかは関係なく、未来を犠牲にして過去を祀り続ける世界に身を置くのが、ハユンに与えられた定めである。

 その定めに従えば、少なくとも今日は祭壇から下げられた食事をもらうことができる。食事があれば、飢えずに食べることができるのだ。


(今日生き延びた先に何があるかはわからない。でも明日突然にあの祭祀の牛のように殺されることになっても、そもそもあの日死なずに巫女に選ばれたことが私の幸運だから)


 飢饉の中で苦しんだ幼い記憶と、祭祀で屠られて捌かれている牛の姿がハユンの頭の中で重なり離れていく。

 与えられた豊富な餌を食べて何も考えることなく肥えた犠牛は、やせ細って死にそうな幼いハユンとも、不安を拭えないまま漫然と生きている今のハユンとも違う。


 あの牛に近い存在なのはむしろ、終末が迫っていることも知らずに菓子や豪華な食事を食べ続けている都の貴族や、着飾ることに夢中になって王である息子よりも派手に装っていた母后である。


 しかし忍び寄る死から逃れられない状況にいるという点においては、ハユンを含む巫女も都の人々も皆犠牛と同じだった。

 犠牛が祭祀で亡き王たちのために捌かれるように、やがて訪れる亡国の日には飢えた民に捧げられる生贄として殺される存在が必要なのだ。


(あの小さい王様がいずれ屠られる牛じゃなくて名君になってくれたなら、違う未来もあるかもしれないけど。でもそんな期待はするだけ無駄だしね)


 賢そうな幼君も誰も国の崩壊を止めることはできない。


 それならば例え食料を求めて恨みこの陵墓に押し寄せて来た暴徒に殺される日が来たとしても、飢えて死ぬことに比べれば随分ましだとハユンは思わざるをえない。

 牛の煮込み料理で満腹になれるのも、様々な菓子や果物を食べる機会があるのも、すべてハユンが滅びゆく国の巫女に選ばれたからこその結果なのだ。


(これはこれで、よく出来た方かな)


 そしてハユンは最後に仕上げの三つ葉を餅の上に載せて、前菜を完成させた。

 八角の黒い漆器に様々な五色の具材が並んだ前菜は、王たちの墓前に似合う色鮮やかで華やかな仕上がりだった。

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