牛骨の煮込み料理④ 牛骨の煮込み料理

 庖人が牛を捌き終えて帰った後は、都からの参列者は陵墓に隣接した客庁で休み、料理方であるハユンたちは厨房で牛肉を調理した。


 牛のやわらかい部分はすぐに食べれる牛炙と牛膾にして、墳墓の前の祭壇と客庁で待つ参列者に持って行く。牛炙は牛肉を串に刺して炙ったものであり、牛膾は生のまま細切りにして芥子菜を添え酢をつけて食すものだ。

 王族や貴族の人々はハユンたちが作った牛の料理に舌鼓を打ち、その日はそのまま客庁に泊まった。


 残った骨や内臓は大釜に入れて長時間煮込んでおき、祭祀の片づけを終えた後で陵墓に仕える者たちで分け合う。陵墓に眠る王とその子孫たちが食した余りが、ハユンたちに与えられ食べることを許された部位なのだ。


 すべての作業が完了した夜、ハユンも他の巫女たちとともに控え室でその煮込み料理を食べた。


 鍮器に取り分けられた煮込み料理は雪のように白濁しており、肉の下には柔らかく茹でた素麺が隠れている。

 ほとんど味付けをしない真水で煮る料理であるため、巫女たちは食卓に置かれた薬味皿から塩や刻んだ葱、漬物などをとって、それぞれ好みの味に調節していた。


「新しい王様は、幼いけど利発そうだったね」

「うん、あんまり前の陛下には似てなかった。でも母方のソヌ氏が後ろにいるんじゃあ、どうなるかわからないな」

「ソヌ氏の政敵のファン氏も何か企んでるって噂だしね」


 他の料理方の巫女たちがあれこれ好きに雑談しているのを、ハユンは薬味をのせながら聞いていた。厨房の長であるソンスクが客庁から戻っていないせいか、皆普段よりも饒舌になっていた。


 彼女たちが軽い調子で話している通り、都では日々内部抗争が起きている。


 祭祀にやって来た都の高貴な人々は、男も女も皆綺麗な服を着て参列していた。だがその美しさの裏で政治は外戚によって私物化され、国は乱れている。

 現在の王も有力貴族が権力を握り続けるために立てられた幼君であり、実権は派手好きな母后の実家であるソヌ氏が握っていた。椅子の取り合いに夢中な彼らは、荒廃する国土を顧みることなく虚飾の世界に生きる。


 俗世から距離を置いているはずの巫女でもわかるほどに、王宮は腐敗し機能していないのだ。


(あの人たちがいなくなったら、国のお世話になっている私たちも困るんだけどね)


 食べることに集中したいハユンは、耳に入る会話を適当なところで聞き流した。


 そして雑念を払ってから、煮込み料理に入れた素麺を箸ですする。

 骨の髄までじっくりと煮込まれた湯が絡んだ素麺は細く喉ごしがよく、熱くとろけるような牛の旨味に祭祀の片付けで冷えた体も温まった。味は漬物を入れずに辛さを控えて、多めの葱と少量の塩でさっぱりといただくのが、ハユンの好みだ。


 しかしより味わって具の肉を食べようとしたところで、急にハユンは名前を呼ばれた。


「ねえ。ハユンはこれからこの国がどうなると思う?」


 妙に明るい声に顔を上げると、ちょうどすぐ上の先輩にあたるチャンヒがハユンの方を向いていた。

 会話の輪に入れてあげようという親切なのだろうが、ハユンは別にそれほど話したくはない。ただ食べることに、集中していたかった。


 だが場をしらけさせるのも避けたいので、心の中でため息を吐きながらもハユンは適当に思ったことを述べた。


「最近は農民の反乱もあるって言いますし、誰が権力を握っても国はまとまらないでしょうね」


 今のところは起きてもまだ大抵は鎮圧されているようだが、農民が蜂起したという話は近年徐々に増えている。門閥貴族が財を蓄える一方で、渇水や日照りなどの天候不良が続き農民の生活はどんどん苦しくなっている。例え今突然に政治に明るい人が国の頂点に立ったとしても、この状況を変えるのは難しいだろう。

 そうした現状を踏まえて、ハユンは話が重くなりすぎない程度に軽い言葉で答えた。


 するとやはりチャンヒはハユンが話した内容よりもとりあえず仲間外れの形にはしなかったという結果に満足したようで、適当な表情で頷いた。


「そういうの、本当に怖いよね」

「でもこんな貧乏な国であんなに着飾れば、恨まれるよ」


 チャンヒの隣のダソムが、興味で話題を母后の服装の話に逸らしていく。

 広がらない回答への反応を早めに切り上げて深い意味のない会話に戻る同僚たちに、ハユンは心底ほっとした。ハユンは彼女たちに付き合って、気付いているのに呑気なふりをして楽になれるとは思わない。


(冷めないうちに、早く食べよう)


 ハユンは今度は匙で煮込み料理をすくい、口にふくんだ。

 具として入っていたのはちょうど胃のあたりの白い内臓であり、噛みしめて柔らかな食感を楽しむと臭みの消えた淡泊な旨味が口の中に広がる。淡く濁った湯はあっさりとした風味で、少々ふりかけた塩が全体を引き締めていた。

 祭壇の前で暴れていた牛の体の一部を今食べているのだと思うと、ハユンは少し不思議な気分になった。


 そして牛の骨を煮込んだ大釜が空になった後には、供物の余りの菓子や果物を分けて食べる時間になった。

 菓子は薬菓や油菓、餅に飴。果物は大棗や梨など。余り物とは言え本来は亡き王に捧げられた品々であるため、すべて食卓の上に並べると壮観だ。


「あ、私は薬菓が食べたい」

「その林檎、こっちにもちょうだい」

「飲み物はお茶がいいかな。それとも甘酒?」


 巫女たちは主張し合いながら、せっせと菓子と果物の配分を進める。

 その隅でハユンはひっそりと、自分の分として咎められない程度の量を適切に小皿に確保して食べた。牛の煮込み料理をお腹いっぱいに食べたハユンだが、菓子と果物は別腹だった。


 花の形を模った薬菓は、小麦粉をごま油と酒で練って揚げたものを生姜と桂皮の入った蜂蜜に漬け込んだ菓子である。艶のある表面はきつね色で香ばしく、蜂蜜と油の染みた中身はとろりとしていて甘い。


 油菓は砕いたもち米を練って蒸したものを細長く切り、乾かした後に揚げてきな粉や松の実を飴でまぶした揚げ菓子だ。こちらは薬菓とは違うほどよい硬さの仕上がりで、中が空洞になっているので食べると軽い食感が楽しめる。


 その他の菓子も果物も、料理方で苦労して準備した甲斐がありどれもとても美味しかった。


(都の人たちはずっとこういう時間を過ごしているから、大事なことを考えられないんだろうな)


 普段は食べることのない豪華な菓子を一通り食べたハユンは、お茶を飲みながら都の人々が道を誤まる原因について少しだけ考えた。

 都の裕福な人たちはこうしたものも食べ慣れているかもしれないが、貧しい農民に生まれれば一生食べる機会がないことをハユンは知っていた。


 しかし目の前にまだたくさん並んでいる菓子や果物の味は、国土に横たわる問題を忘れさせるのには十分すぎるほどに甘美だった。


(薬菓は甘くて、柔らかい……)


 雑談を楽しみ続ける同僚たちの輪から外れて一人、ハユンは子供に戻ったように菓子をまた食べる。


 ハユンは陵墓の巫女であることに、誇りややりがいを感じているわけではない。料理方の仕事も人間関係も、迷いなく好きだとは言えない。

 だが今夜のように美味しいものに囲まれたときには文句は言えず、やはり黙って幸せになるしかなかった。

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