牛骨の煮込み料理③ 祭祀と犠牛
雨や雪が降ることもなかったので、昼からの祭祀は予定通りに行われた。
白く曇った寒空の下、直近の前王の墳墓の前には綾錦の掛けられた祭壇が置かれている。
祭壇には干し柿や菓子などがぎっしりと盛りつけられた高坏や豆腐や甘酒が入った椀などの様々な食膳が供物として並んでいた。
どの食膳もハユンを含む料理方の巫女が時間をかけて用意したものである。
また祭壇の後ろにそびえる墳墓はなだらかな丘のような形の巨大なもので、周りは御影石でできた柵に囲まれていた。
指示通り準備を手伝った後にやることがなくなったハユンは、他の料理方の巫女とともに祭壇の前に整列して開始を待った。周囲には清掃を担当する者など、他の管轄の人間も何十人か整列していた。
(こんなに寒いと、凍羊肉みたいになりそう)
ハユンは曇天の寒気にくしゃみをこらえながら、冷えて煮凝りになった羊肉の煮物を思い出した。人間も肉であるのは変わらないので、同じように煮て冷やせば煮凝りになることは間違いない。
震えながら立っていると、しばらくしてやっと都から来た人々の行列が墳墓の方へとやって来た。
ハユンは周囲の人間と同じように、袖に手を入れて合わせて敬礼の姿勢をとった。
歩いてくるのは幼い新王とその母などの王族、そして臣下である貴族の男たちである。
皆私語は慎んでいるため黙っているが、巫女の中には王族の人々の服装の華麗さに目を奪われ羨ましげにしている者も何人かいた。
王族の若い女性が着ている上衣の色は巫女と変わらぬ白だが、生地には金織りで吉祥文字が織り込まれている。色とりどりの裳も帯飾りで華麗に彩られ、髪も金や銀のかんざしで美しく結い上げられてた。また臣下の男たちも、年齢を問わず上等な官服と紗帽で正装している。
(確かに綺麗だけど、私はもうすこし普通の方がいいな)
ハユンは一番派手な母后の姿を見ながら、逆に少し冷めた気持ちになった。
年齢不詳の彼女の着る藍色の大礼服は細かな霊鳥の刺繍が施されていて美しく、黒地の祭服を身に着け重そうな冠を被って歩いている幼い王よりもずっと目立っている。
そして王族や貴族の入場が終わると、やっと祭祀が始まった。
祭壇の前に設けられた広場に縄で縛られた褐毛の太った牛が運ばれてきて、続いてその牛を捌く庖人の男性も登場する。
生贄の牛を祭壇の前で捌き供物とするのが、この祭祀の主要な儀式なのである。
動きやすそうな薄茶の衣と袴を着た中年男性の庖人は普段は陵墓の敷地内の屠畜場で家畜を解体している人物であり、ハユンたちはいつも彼が捌いた肉を料理していた。
「左に東王神、右に西王神。五色の天と地を統べる帝……」
普段のしがない姿から考えると意外なほどにはっきりした調子で、庖人は祝文を読み上げた。まずは祖霊へと繋がる神々への呼び掛けから始まり、次に歴代の王の長々しい諡号を並べていく。
彼は右手に大きな庖丁を持ちながら、左手でまだ生きて荒く息をしている牛の額に清めた小麦をふりかけた。
「また死せる貴方等に供するため、この牛を屠り奉る」
庖人は祝文の読み終えると、そのままもったいぶらずに庖丁で地面に横たわる牛の頚を切った。
血が吹きだし、大量に流れていく。
牛は抵抗して暴れたが、助手たちが縄を引っ張って抑えると次第に静かになった。
絶命し動かなくなった牛を、庖人は黙って粛々と皮を剥いだ。
祭祀という特別な場ではあるが、彼が最終的に行うのは日常の生業である。
だが参列者は王族や貴族も含めて皆、その彼の日常の技に見入った。まだ無垢な表情の幼君も、母親の隣でぐずらずただひたすらに瞳に牛を映していた。
亡き王に料理を作り捧げる自分の日常に意義を見い出せないハユンでさえ、祭壇で死ぬ牛の前では少し神妙な気持ちになる。
やがて庖人は一通り皮を剥ぐと、今度は助手に指示を出して牛を仰向けに寝かせて、腹をさっくりと切り開いた。
その刀捌きは鮮やかで、内臓は綺麗に露出した。
庖人はてきぱきと内臓を取り出し、助手はそれを用意してきた壺に収めた。
屠られた牛はその後、一部はやはり炎によって焼かれ、残りが参列者によって食される。
(供犠の牛に生まれれば、餌に困ることはないけど最後は殺される……)
冬空の下で丸々と肉付きのよい牛が解体されていく様子を眺めながら、ハユンは犠牛の人生について考えた。
餌を豊富に与えられて太った牛は、屠られるその日までは幸せだったようにハユンには思える。飢えて死ぬ苦しさを、犠牛が知ることはないからだ。
一方で頚を切られたそのときに牛にどんな想いがよぎるかは、人間のハユンにはわからない。
そして庖人は最後に、解体した牛の肉の塊を切り取り、助手が用意し点火した供物台の炎にくべた。
金属製の台座の上で組まれた薪は勢いよく燃えて、肉塊は炎に飲み込まれてすぐに見えなくなる。
後には、焦げた匂いだけが残っていた。
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