揚げ魚の甘酢あんかけ⑤ 揚げ魚の甘酢あんかけ

 宴席には次から次へと新しい料理が運ばれてくるので、量の問題はまったくなかった。その豪華さは、敵の軍勢を前にして自暴自棄になっているとしか思えないほどだ。


(この服装じゃなければ、もっと良かったんだが……)


 岳紹は帯がきつく、普段よりも食べられないことを残念に思った。


 ふと気づくと、敬然はいつの間にか姿が見えなくなっていた。

 何か用があったのかもしれないが、彩珂と二人きりにするために気を遣ってくれた可能性もあるにはあった。


「この饅頭、熱いうちに食べた方が美味しいですよ」

「ああ、これは確かに旨い」


 彩珂が二つに割ってすすめてきたので、岳紹は肉入りの饅頭を頬張った。

 ひき肉を具にした饅頭は、生地がしっかりとしていて食べごたえがあった。


 食事と共に酒も進み、岳紹はただ蕩けそうな頭で楽しさだけを感じた。


「本当に、替え玉になって良かった」


 岳紹はしみじみとつぶやいた。


 自分が皇帝の身代わりであることについて発言しても、今一番に盛り上がっている宴の最中では彩珂以外に耳を傾ける者はいない。

 梁から吊るされたいくつもの灯籠に明々と照らされた館の中は、楽士の奏でる音色と人々のざわめきに満たされて最後の煌めきを見せていた。


「皇帝の身代わりで死ぬ役目なんて、嫌じゃないんですか?」


 不思議そうな顔をして、彩珂は岳紹を見つめる。

 岳紹は盃を手にしながら、小さく笑った。


「いいや、今の俺は本当に幸せ者だよ。王の身代わりになったおかげで美味しい酒を飲んで豪華な食事を食べれて、彩珂のような美女と話せたんだから。明日死んだって、おつりがくる」

「それは言いすぎだと思いますけど」


 つらつらと本音を述べる中に褒め言葉を混ぜると、彩珂は照れたように頬を赤らめる。岳紹は彩珂のそうした人に媚びながらも素直なところが、とても魅力的に感じられた。

 だが一方で岳紹がその先を語れるのは口説き文句ではなく、自分が最後に引いた当たりくじについてのことだった。


「だって大変なのは、これからもこの悲惨な国と共に生きていかなきゃならない皇帝の方だろう? そんな可哀想な男よりも、最後の最後に幸せがあっての死ぬ俺の方がずっと幸せだ」


 岳紹はもはや開き直った明るさで、盃の酒を飲み干し空にする。


 あんまりにも気分がいいので、岳紹はこの場にいることができなかった皇帝に同情しはじめていた。しかし岳紹と同じ顔らしい彼がここにいたとしても、岳紹と同じように楽しめたかどうかはわからない。


 岳紹の極論にさすがに反応に困ったようで、彩珂はただ隣で笑っていた。

 するとちょうどまた、召使いが新しい料理を運んで来る。


「よくわからないものが来たな。魚なのか?」


 召使いの置いた大皿に載っていた餡かけのその料理は、岳紹には何であるのかすぐに理解できなかった。


 頭と尻尾は魚に見えるが、上身のあるはずの場所には人の指先ほどの太さの毛のようなものが密集している。添えられた青菜が赤い餡に映えて鮮やかだが、外観はかなり不可解だった。


 いぶかしむ岳紹に、彩珂は箸をとって料理の説明をした。


「ああ。これは松鼠桂魚りすけつぎょっていう魚の揚げ物です。包丁で細かく切れ込みを入れた魚を揚げると白身が逆立ち、栗鼠の毛皮みたいに見えるって料理なんですよ」


 彩珂が箸で身をつまんでとると、中は確かに魚の白身だった。


「そういう料理だったのか」


 腑に落ちた岳紹は、興味深くその揚げ魚を見つめた。

 皇帝の替え玉として偽りの姿でいる身として、栗鼠に似せて揚げられた魚に自分と重なるところがあるような気がする。


(魚も松鼠りすになったりするものなんだな。俺よりもすごい変化だ)


 岳紹は面白がりながら、箸をつけてみた。

 そして口に入れた瞬間、その美味しさに驚いた。


(思ったよりもずっと旨いな、これは)


 見かけ倒しの料理に感じられてそれほど期待はしていなかったが、松鼠桂魚の味はとても良かった。

 さっくりと薄い衣は熱々で香ばしく、甘酸っぱい餡が白身の淡泊な味わいを引き立てている。細く刻まれた魚は新鮮でやわらかく、小骨も少なく食べやすかった。


 岳紹はもう大分満腹に近かったが、あまりの美味しさに箸を止めずに食べた。様々な料理を食べることができた一日だったが、一番気に入ったのはこの松鼠桂魚だった。


 ときおり彩珂も食べたので、魚はあっという間に頭と尻尾だけになった。

 食べ終えた岳紹は満足な気分で、息を吐いた。


 彩珂はそんな岳紹を見てくすくす笑って、顔を近づけた。


「ここに餡がついてますよ」


 そっと頬にふれて、彩珂は微笑んだ。


 彩珂の澄んだ目が、皇帝の装束を着た岳紹の薄い顔を映し出す。

 ごく至近距離で見ても何も瑕疵が見当たらないほど、彩珂は美しかった。


 その白い胸元に少し気が迷って、岳紹はおもむろに彩珂に口づけをした。紅をさした唇はやわらかく、そして案外冷えていていた。


 岳紹はそのとき浮かんだ漠然とした想いを、何も言葉にはできなかった。


 だが彩珂は岳紹を拒まなかったし、むしろ誘うように岳紹の背中に腕を回した。

 それは彼女は妓女という職業であるためある程度は当然のことであったが、岳紹は自分が受け入れられたのだと思った。


 彩珂の動きに呼応するように、岳紹もまた彩珂の腰を抱いた。

 それで幸せなのかはわからないが、きっとこの先も彼女は強かに生きていくのだと岳紹は静かに思う。


(俺は明日死ぬけど、だから)


 席の裏にあった衝立の影へとそっと彩珂を押し倒し、岳紹は今度はその細い首筋を求めた。

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