揚げ魚の甘酢あんかけ④ 宴席と白酒
替え玉としての岳紹のほとんど最初で最後になる仕事は、犀国の総攻撃の前夜に行われる最後の宴に出席することだった。
これから宴が行われる館舎へと続く渡り廊下を、岳紹は敬然とともに不思議な気持ちで歩いた。
敬然の話では、もう本物の皇帝は他の腹心と共に城外へ逃げているとのことである。今の岳紹は、名実ともに皇帝の身代わりなのだ。
館の入り口にある、万字の文様が組まれた格子のはめられた引き戸を召使いが開ける。岳紹は敬然に先導されて、中へと進んだ。
すると入り口近くに立っていた官吏が、館中に皇帝の登場を告げた。
「皇帝陛下のお成りである」
「誠に、お喜び申し上げます」
官吏の朗々とした呼びかけに応えて、席で待っていた臣下たちが声を揃えて挨拶をする。
広々とした館の中には数十もの席がしつらえてあり、それぞれの身分にあった袍を着た男たちが坐っていた。
岳紹は官吏に案内されるまま、黙って移動した。その場の人々の視線が偽の皇帝である岳紹に集まっているが、違和感を抱いた様子の者はいない。
(まずは大きな問題なかったらしいな)
他の出席者から少し離れた所へと用意された敷物の席に腰を下ろし、岳紹は堂々とした気分で顔を上げる。
皇帝の席は庭園と対面するように設けられており、大きく扉が開け放たれた軒下から覗く外の池や柳を、秋の月が淡く照らしているのを眺めることができた。
席ごとに置かれた小卓には蒸し鶏の燻製に豚の腸詰、白菜の酢漬けなどの様々な
「まだこれからも料理は来る。そこに置いてあるものは適当に酒のつまみにするだけで大丈夫だ」
すぐ側の席に座った敬然が、岳紹に小声で説明する。
岳紹は生まれて初めて見る品数を前にして、まだ他にも料理が用意されていることに驚いた。
やがてすべての盃に酒が行きわたると、宴会を取り仕切る係の官吏が立ち上がり、宴の開始を告げる。
「皇帝陛下の御世と今宵の月に、乾杯」
官吏は盃を掲げ、酒を飲み干した。
同時に楽師の奏でる琴や鼓の音色の調子も変わり、酒杯の応酬が始まる。
岳紹も盃を手にとり、一気に飲んだ。
(これが偉い人たちの飲む酒か)
白酒は岳紹はこれまで自分が口にしてきたものとはまったく違う、醇美な味がするものだった。その濃く甘いまろやかな口当たりに、岳紹は早くもほどよい酔いを感じた。
盃が空になると、酒器を持った召使いがすぐにまた満たす。
岳紹は酒を飲み進めながら、肴饌に箸をつけた。
鶏肉の燻製はコクがあって美味しく、どの品も酒によく合うしっかりした味のものばかりだった。
やがて最初の一口が一段落したころになると、どこからか七、八人ほどの妓女が現れた。彼女たちはゆったりとした鮮やかな色の衣装を着ており、軒下に設けられた舞台で音楽に合わせて舞踊を披露した。
月夜の庭園を背景にして並ぶ妓女たちはどの者も見目麗しく、長い袖を揺らして舞う姿は同じ人間だとは思えないほどに華やかだった。
(まるで夢みたいだな……)
語彙の少ない岳紹は、妓女たちの美しさに見合った言葉が見つからないままに見惚れた。
しばらくすると妓女たちは舞いながら宴席へと移動を始め、そのうちの一人は岳紹のいる皇帝の席の方へとやって来た。
「初めまして。お目にかかれて、光栄です。皇帝陛下」
そう言って岳紹の隣にちょんと坐ったのは、まだ少女に近い雰囲気を残した年の若い女人だった。
漆黒の髪は金色の髪飾りを挿して綺麗にまとめられ、薄く化粧をした顔は兎のように愛らしい。薄空色の襦に濃紺の
特に人と接することもなく順調に替え玉を演じていたところを突然美女に話しかけられて、岳紹は判断に迷って敬然の方を向いた。
敬然は支持を仰ぐ岳紹に、そっと耳打ちした。
「その女は替え玉の事情を知っている者だ。この先は彼女に適当に合わせれば良い」
敬然に説明されている岳紹を、妓女は訳知り顔で笑って見ていた。どうやら彼女は本当に岳紹がぼろを出しても問題ないように用意された人間らしい。
納得した岳紹は頷き、早速質問をした。
「なるほど。それで名前は?」
「
奏でられている楽の音と同じくらい澄んだ声で、妓女は答えた。
「良い名前だな。踊りも上手だった」
岳紹は彩珂の舞踊を詳細に覚えていたわけではないが、とりあえず褒める。
すると彩珂は、蕾がほころぶように美しく笑った。
「そうですか? 踊るのが一番好きなので、嬉しいです」
彩珂が岳紹に微笑むのは、それが妓女である彼女の生業だからである。
だがそれをわかっていても、岳紹は彩珂が十二分に好ましいと思った。
岳紹に身を寄せて坐る彩珂は目を輝かせて、召使いが盆をもって歩いてくるのを見た。
「あ、次の料理が来たみたいですよ」
「そうだな。どうやらこれは鶏湯のようだ」
召使いが小卓に置いた椀の中身を食べるため、岳紹は匙を手にとった。
椀の中で湯気を立てているのは、花びらのように綺麗な溶き卵が入った鶏だしの湯だ。
「私、卵好きなんです」
ねだるように甘えた声で彩珂が言ったので、そこから先は二人で分けて料理を食べた。
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