肉団子入りのスープ② 都からの来訪者

 牢獄の掃除のついでに塔の上の階の掃除もしたテルエスは、作業を終えると礼拝堂で昼の祈りに加わり昼食を食べた。

 食後の自由時間は、図書室で本を読んで過ごす。

 図書室には他の修道女も何人かいたので、静かなわりににぎわいがあった。


 そしてちょうどまた労働が始まる時間になって図書室を出たころ、修道女見習いの少女がテルエスの元にやって来た。


「テルエス様。都からの馬車が着いたようです」

 少女はまだたどたどしさの残した声で、門番からの伝言を届ける。

「今、行きます。知らせてくれて、ありがとうございます」

 見習いの少女にお礼を言い、テルエスは門へと向かった。


 到着は予定通りの時間で、心の準備も万端である。


 大きな石を組んで造られた城壁に設けられた重々しい正門の方へと歩いて行くと、護送でやって来た都の兵士の一団が見えてきた。裁判が終わるまでは隣接する男子修道院にある巡礼者向けの施設に泊まる予定の彼らは、女子修道院の敷地を興味深げに眺めている。

 さらに近づけば、中でも一段と身なりの整った兵士の男が話しかけてきた。


「あなたがテルエス殿ですか?」

「はい。私です」

「護送の責任者のラーシュです。罪人を引き渡しに参りました」


 テルエスが返事をすると、男は名乗った。

 まだ若く見えるが、鎖帷子も剣も立派なのでおそらく地位のある人なのだろう。


「おい、連れてこい」


 男が配下の兵士たちに声をかけると、一人の兵士が金属製の手枷で拘束された女性を引っ張ってきた。

 その人が今日牢獄に送られてきた人間であることは、状況からすぐにわかった。だが彼女が想像していたよりもずっと美しかったので、テルエスは思わず驚いた。


「あの、彼女が」


 連れてこられた女性と責任者の男の顔を交互に見て、テルエスはまとまりのない言葉で尋ねた。


 まず印象的だったのが、冬の湖畔に似た色をした青みがかった灰色の目だった。

 綺麗な色合いの凛として形の良い瞳が、テルエスの存在を意図的に無視してよく晴れた空を見ている。


 立ち振る舞いに育ちの良さはなく、やせた体に粗末なぼろ布の服を着ているのに、顔立ちは不思議と端正で知的だ。後ろで一つに束ねられた黒髪はほつれていたが、梳けばきっと美しいものになるだろう。


(この方があの残虐な事件を起こした刺客ですか……?)


 テルエスは自分がどんな反応をするべきか、判断に困った。少なくとも人を二人は殺しているはずの女性だが、ひと目見ただけではとてもそうは思えない。

 だが男の方は、まったく迷いなく彼女を罪人として扱った。


「そう、この女が大罪人スヴェア・ノルデンです。明日裁かれて死ぬ女です」


 吐き捨てるように、男が彼女の名前を告げる。

 彼女がスヴェアという名前であることを、テルエスはそのときに知った。


 男がスヴェアのことを悪し様に話しても、スヴェアは何の反応も見せなかった。どうやら誰に対してもまともに相手にならないことを決め込んでいるようだ。


「獄に繋ぐまでは、私も同行します。牢獄はどちらですか、テルエス殿」


 スヴェアにはめられた手枷へと繋がった鎖を配下の兵士から受け取り、責任者の男はテルエスに案内を頼んだ。


「あ、はい。こちらです」


 自分の名前を呼ばれたことで、テルエスは慌てて我に返って歩き出した。修道院の敷地は広大で、目的地まではいくつか道を曲がらなければならない。


 男が鎖でスヴェアを引っ張り、テルエスに続く。

 スヴェアは渋々男に従い歩いた。


 三人は何の会話もなく、庭や建物を通り過ぎて黙々と進む。

 見知らぬ人が一緒であるせいか、塔への道のりは先程よりもずっと時間がかかる気がした。


 そしてしばらく移動してやっと、一行は牢獄に辿り着く。


 牢獄に着くと、責任者の男はテルエスが何か言う隙もなく行動した。

 手際よく牢獄の壁に固定された金具にスヴェアを拘束する鎖を留め、仕事を終える。


「ではまた明日、裁判場へ連れて行く際に参りますので」


 最後に翌日の予定を軽く説明し、男は梯子を登って去っていった。スヴェアを指定された場所に連行することだけが、都からやって来た騎士としての彼の役目なのだ。


 気付けばあっという間に、テルエスは牢獄でスヴェアと二人きりになっていた。


 スヴェアは早速、テルエスが掃除したばかりの牢獄の床に腰を下ろしていた。手枷の鎖の長さにそれなりに余裕があるため、座ったり寝転んだりすることは可能なようだ。

 手持ち無沙汰な様子で手枷の金具を弄んでいるスヴェアを前に態度に迷いつつも、テルエスは挨拶をした。


「牢番のテルエスです。短い間ですが、よろしくお願いします。スヴェア、さん」


 讃美歌ではいつもアルトになるテルエスのやや低い声が、石壁の部屋に響く。


 自分の名前を呼ばれたスヴェアは、灰色の目でほんの少しだけテルエスの方を見た。出会ってから少々の時間はたっているが、わずかでも視線を交わしたのはこれが初めてである。

 スヴェアの目は何回見ても綺麗で、テルエスは一瞬見惚れてしまった。


 だがスヴェアは何も言わずに冷ややかに笑うと、すぐにまたテルエスを無視して横を向いた。その沈黙の奥には、暗く深い諦めがあった。

 自分の罪を知りながらも、許しを請わない者の意志。血に汚れた罪人のスヴェアと修道女のテルエス人生は、決して越えられない遠さで隔たっている。


(やっぱり、この方は人を殺しているのですね)


 テルエスはそのとき、スヴェアが紛れもなく罪を犯した人間であることを確信した。スヴェアの佇まいは、単純に悪人には見えない。だけど無実の者であるはずもないだけの翳りを彼女は持っていた。


「水はここにあります。また夕食のときに来るので、なくなったら言ってくださいね」


 隅に置かれた水差しを指さしもう一度声をかけてみるが、スヴェアの反応はない。スヴェアの美しく整った横顔は完全にテルエスを拒絶していた。


(どうやら出直すしかないようです)


 少しも会話が成立しないまま、テルエスは仕方がなく牢獄を後にする。


 無視されるのは残念なことではあるが、仲良くなれると思っていたわけではない。

 テルエスは傷つくこともなく、気持ちをすぐに切り替えた。

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