2.Leberknödelsuppe ―修道女と偽聖女― 

肉団子入りのスープ① 修道院の朝

 女子修道院の朝は、常に同じ時間、同じ順番で動き出す。

 毎朝陽が昇る前に鐘が鳴り、大勢の修道女が一斉に一日を始める。

 誰もが規則正しい生活で神に仕え、掟に粛々と従い、頭巾で髪を隠して質素な黒い衣で行動する。


 そうした修道女のうちの一人であるテルエスは、日々変わらぬ集団の流れの中で朝の祈りを捧げ、朝食をとった。実家を出て修道院に入ったばかりの幼いころは戸惑った厳格な規律と静寂も、二十歳を超えた今はすっかり慣れたものである。


(それにこの季節は気候が穏やかで、朝も気持ちがよいですし)


 食事を終えたテルエスが食堂から出ると、空は青く晴れて日が昇っていた。

 真っ白な漆喰が塗られた柱の並ぶ修道院の回廊を、春のやわらかな風が吹き抜ける。日差しのあたたかさに木々の葉が輝く、良い天気の朝だ。


(だけどこんなにも気持ちのいい陽気の日だと、今から外仕事じゃないことが悔やまれますね……)


 そのまま普段と同じように過ごすなら、食後は農園での労働に励むのがテルエスの日課である。しかし今日のテルエスには別の仕事があった。


 果樹園に畜舎、施療院に墓地。

 自給自足の生活の中で神に仕えることを至上目的とする修道院の土地には、様々な施設が存在する。


 そうした敷地の外れに建つ塔の地下にある、誰もいない牢獄。


 稀にその場所が使われる際、牢番として罪人の世話をするのはテルエスの役目だ。今日は久々に都から罪人が送られてくることになっているので、テルエスは牢獄に人を迎える準備をしなければならない。


 牢番としての仕事を果たすため、テルエスは水の入った桶や箒を用意して牢獄のある塔を掃除しに向かった。修道院は基本的には明るく清潔が保たれているが、牢獄は例外的な場所であった。


 牢獄は逃亡を防止するために地下に設けられ、梯子がなければ使えない落とし戸の他は手の届かないほどの高さにある小さな格子窓しかない。簡素な石造りのその狭く暗い空間は、冬は凍死してしまいそうなほどに寒いが、今は春なのでむしろ湿気で少々じめじめしているのが不快である。


 牢獄に下りたテルエスは、窓から吹き込んできた小枝や葉を箒で集めて捨てると、石床や石壁を雑巾で拭いた。

 半分土牢のようになってしまっている古い牢獄は、掃除をしてもそうたいした成果はない。だが一応は、清掃を続けた。


 途中でたまたま他の修道女が塔の前を通りかかる。彼女は鉄格子の窓から牢獄を覗きこんで、中のテルエスに尋ねた。


「随分頑張っているみたいだね。一晩かそこらしかいない罪人相手に、そこまでする必要はあるの?」


 テルエスと同じ服装で同じ生活をしていても思考は違う彼女は、罪人には薄汚れた場所で十分ではないかと言いたげな、不思議そうな顔をしていた。

 土ぼこりで汚れた服の裾をはらいながら立ち上がり、テルエスは窓の外の質問者に返答した。


「さあ、どうなんでしょうね。だけどここに人が来るのはたまにしかないことですし、やれるだけはやろうと思います」


 テルエスが牢番の係を引き継いでから、今回が初めての罪人の収監である。

 特別情け深くあろうと思っているわけではないが、自分の役割には忠実でありたかった。


 深い意味のある問いではなかったらしく、同輩は「なるほど、そうなんだ」と頷いて去って行く。特に引っかかることもなく、テルエスの受け答えに納得した様子であった。

 一人に戻ると、テルエスは再び掃除を続けた。


 ◆


 どんな罪人が今日この牢獄にやって来るのか。

 その人物について、テルエスはいくつか噂話を聞いていた。


 修道院はひたすら神と向き合う生活を送るためにあるので、通常は人里離れた場所に建てられることが多い。だがテルエスの所属する女子修道院は王国の都にほど近い丘陵に位置する大修道院の中にあるため、世俗の情報自体は比較的よく入ってくる。


 テルエスが耳にした話をまとめると、送られてくる罪人は聖女の名を騙った殺人者の女であるらしかった。


 王国の王は奇跡や聖遺物に並々ならぬ関心を持っており、国中から聖人や聖女をよく招いていた。だからその日も国王は、自身の血で病人を癒すことができる聖女だと辺境の民に慕われる若い女を呼び寄せていた。


 しかしその聖女は都への道中で一人の女に殺され、殺した女が聖女になりすまして国王の元にやって来た。


 聖女のふりをして王に謁見した偽聖女の彼女は、奇跡を起こすために用意されていたナイフを手にするとそのまま国王を刺し殺した。

 彼女はその場で捕らえられたが、心臓を一突きにされた国王は絶命した。


 その聖女と王を殺した女が、テルエスが迎える罪人だ。


 調べによると彼女は国王が聖戦と称して行った戦争により滅ぼされた土地の出身で、故郷を失った後は王国と敵対関係にある隣国に刺客として雇われていたという話である。


 国王はそう評判の良くない君主であったが、急に殺されれば国は混乱した。騒ぎを鎮めるため残された臣下たちは、まずは王を殺した女を見せしめに処刑することを決めた。

 聖女を殺した罪と、聖女の名を騙った罪、そして神から王権を与えられた王を殺した罪により、偽聖女は死刑になる。彼女は神に背いた大罪人として大修道院で行われる宗教裁判で裁かれるためにこの牢獄に送られてくるのであり、都の大臣たちにより結果の定められた形式的な裁判の判決はすぐに下る。


 テルエスの聞いた話がすべて真実であるなら、事情はどうであれ、彼女は処刑されても仕方がないだけのことはやっている。

 しかし日々のほとんど修道院の中だけで生きているテルエスにとっては、聖女殺しも王殺しも現実感のないどこかの誰かの話で、見知らぬ人間を憎んだり恐れたりはできない。


(裁くのも罰を与えるのも、私の役目ではありません。私がやるべきことは、牢番の係として牢獄に来る人を迎えることですから)


 神から与えられた使命をどう果たすかだけが、テルエスが考えることである。

 ただ日々田畑を耕すのと同じように準備を進めて、テルエスはやがて会うことになる彼女を待った。

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