叙の一 まつろわぬ客になごり雪を ②


 踵を返すと、長い黒髪をなびかせながら神矢サヲリは校庭を後にする。


 途中、“作務衣姿の老人と中等部の女子生徒”といった風変わりな二人組と擦れ違い、彼女は足を止めた。


「屋上に上がった者たちは、なにやらに遮られて、あの娘に近寄れんそうじゃな?」


 杖を手にした老人は、長く伸ばしたあご髭を弄りつつ、サヲリにだけ聞こえるような小声でそっと呟いた。


「そうですか……それで、私になにか?」


「このまま放っておいてよいのか? と、聞いておる。あそこでおるのは、『陽之巫女ひのみこ』の、その“影”として……サヲリ、お前自らがこちら側に引き入れた娘ではなかったか?」


「ええ、奴らを欺くために用意しておいた“影”の一人……ですから、たとえどのような状況で彼女を失ったとしても、それらはすべて想定の範囲内かと?」


 老人とサヲリは、周りに悟られないよう囁きながら会話を続ける。


「――それに、最早あのような状態では、手の施しようがあるとも思えません。それよりも今は、彼女を操っている者の捕獲を優先すべきかと……違いまして?」


 老人に背を向けたまま、サヲリは振り返ることなく淡々と応えていく。彼女から視線を外した老人は、しばし思案を巡らせた。


「ふむ、いかにもお前らしい理屈じゃな……して、これからどうするつもりじゃ?」


「奴らの狙いが陽之巫女である以上、侵入者はまだこの附近に潜んでいるはず……ならば、その者を捕らえた後に、新たな対応策を講じる所存です。ほかにご用件がなければ、私は急ぎますので……」


 畳み掛けるようにそう述べたサヲリは、軽く会釈を済ますと速やかにその場から立ち去っていくのだった。


(相も変わらず、可愛気のない女子おなごじゃて。これといって、打つ手もなかろうに……)


 落ち着いた口調で装ってはいても、時折険しい表情を覗かせていた……そんなサヲリの背中を、老人は蔑んだ目で見送る。極東学院の理事長代行を勤める神矢かみや宗義むねよしは、となりに控える少女の頭をグリグリと撫で回しながら、深い溜息をいた。


「あれで冷静に振る舞っとるつもりなのじゃからのう? 殺気立っておるのが手に取るようじゃわい」


「ん、そんな素直じゃないトコも、サッちんの魅力のひとつ……っていうか、そこを慕ってくる下僕ファンも少なくない感じ?」


 そう進言するのは、神矢宗義の“お抱えくの一”――中等部三年の水縞みしま蓮華れんげは、物知り顔でコクコクと頷く。


「周りが甘やかすから、ああしてつけ上がる……すべて抱え込まねば気が済まん、あの我儘気質がいつまで経っても治らんのは、全部お主らのせいじゃぞ?」


 そう言って愚痴をこぼす宗義は、サヲリの祖父であると同時に、二十万から三十万人と謳われるアルザルの民を束ねる、『首長』といった立場でもある。後手後手に回ったこの状況を、サヲリ自身、苦々しい思いでいることなど、彼にはすべてお見通しであった。


「身のほどを知るにはよい機会じゃが、その代償が級友ともの命ではのう……あの若さで背負わせるには、ちと忍びなかろうて?」


 杖を手に校舎へと向き直る宗義は、鋭い眼差しで屋上を見据えた。


「時に蓮華さんや……お主の眼力をもってしても、あのは解けぬものか?」


「ん、さっきからずっと呼び掛けてるんだけど、全然応えない……っていうかあの人、『御魂みたま』自体がまったく診えない。抜け殻も同然って感じ? 蓮華の『傀儡廻くぐつまわし』とは、根本からして別物っぽい」


 身の丈の半分近くもある木箱を軽々と背中に担いだ少女は、おかっぱ頭をこねくり回す老人の手を払い除けると、表情を変えることなくそう答えた。


「御魂もなく、か……まったく不可解じゃのう」


「でも、蓮華にはだいたい予想がついてる……っていうか、多分オカルトの範疇だから想像の域は超えない感じ」



 『旋風かぜ傀儡師くぐつし』の異名を持つ水縞蓮華の能力ちから、『傀儡廻し』とは――『御魂』と呼ばれる“霊魂アストラル体”に直接憑依することで、相手を人形のように意のままに操る術である。


 たとえ憑依を拒んだとしても、御魂が“器”から弾き出されるだけで、元の肉体に戻ることはない。その場合、霊魂体としてこの世に浮遊し続けながら自然消滅を待つか、もしくは木偶人形へと移されて蓮華に使役することになる。


 故に、御魂のない“器”だけの状態――いわゆる、空の肉体を操ることなど、現在いまの蓮華の能力では不可能であった。



「――元々、御魂を持たないモノを操る術者……たとえば、『人形使いパペットマスター』や『死霊術師ネクロマンサー』、『霊幻導師』なんかに近い感じ? 蓮華の術でどうこうできる代物じゃない」


 『口寄せ』の降霊術が基礎ベースの自分の能力では、不確定要素の塊のようなこの現象には、到底干渉できるものではない……と、蓮華は俯いた。


「歩き巫女界隈でも、『無類の使い手』との呼び声高い蓮華おまえさんが、そこまで情けない物言いをするとはのう……。ふむ、この学舎まなびやもいよいよをもって終いかもしれんて? はぁ、桑原桑原……」


 ふさぎ込む蓮華に向かって、宗義はこれ見よがしに嘆息してみせる。


「やはり、侵入者を捕らえんことには話にもならんか……さて、どうしたものかのう?」


「……蓮華、サッちんの応援に行ってくる」


 それまで諦めムードを漂わせながら、しょんぼりしていた蓮華は、意を決したかのように顔を上げると、宗義に向かってそう訴えた。


「ふむ?」


「索敵なら蓮華にだって……っていうか、爺様は蓮華が傍にいなくて大丈夫? 自分のこと、自分でできる?」


「そうさのう……」


 真っ直ぐな瞳で見つめてくる少女を尻目に、宗義は白く伸びた顎ひげを弄りながら暫し黙考する。ややすると、杖を大地に突き立てて、“パーン”と柏手をひとつ打った。


が御魂、神祖と在りて天上よりみそわしまして、我が身を衛る楯と成り賜ふ……」


 祝詞に次いでササッと印を結び、“ふんっ”と、気合い一閃! 自らの身体に青白い光輪の渦を纏わせながら、瞼を閉じて精神を集中させる。


 続けざまに『静謐』と『拒絶』の空間式を編み上げると、神矢宗義は次から次へ不可侵領域の術式を周囲に展開させていく。


 術式により完成させた特殊な力場が、幾重にも重なって交じり合う。やがて彼を中心に、およそ二メートル四方が完全な閉鎖空間と化す――何人なんぴとたりとも立ち入ることの叶わない、“結界式”の完成であった。


「儂のことは気にせんでよい。そなたのあるじとして命ずる……蓮華よ、あの“跳ねっ返り”の元へ、早く行ってやりなさい」


 宗義はサヲリが向かった先を杖で指し示し、蓮華を促す。


「ん、わかった……っていうか、御意!」


 きりりと敬礼する少女は、続けざまに“ピィー!”と指笛を鳴らすと、頭上に奇妙な翼影かげを呼び寄せた。


「いくよ、旋風つむじっ!」


 その翼影を伴った水縞蓮華は、高等部の校舎の中へとサヲリの後を追うのだった。


(敵の本体を見つけ出すことなど、我が『天龍衆』に掛かれば造作もないこと……じゃが、若い連中がどこまでやれるか見物みものではあるかのう? あれらの成長なくして、亜瑠坐瑠アルザルの繁栄もアガルタの開廟も成しえんのじゃからな……)



「――様……御館おやかた様」


 気づくと、恭しく頭を垂れたダークスーツ姿の男が一人、宗義の『結界』を隔てて跪いていた。


「ふむ……防人さきもりか? 『天龍八武衆おまえたち』が、わざわざこんな場所に顔を出すとは珍しいのう。いったい、どんな用向きじゃ?」


「はっ、晃比古様の居所が掴めましたので、取り急ぎご報告を、と……」


 見た目、二十代半ばであろうか。黒縁眼鏡をかけたインテリ風の若い男、天能あまの防人さきもりは顔を上げることなく報告を続けた。


「それと、かねてより内偵を続けておりましたプエルトリコ領内におきまして、『ヴァグザの主要拠点のひとつを突き止めた模様』――との報せが届きました。現在、先遣隊がその周辺を包囲し、突入の準備を整えつつ待機しております」


「ふむ……近頃は、中南米を活動の中心にしておるという噂……ない話ではないか」


 神妙な面持ちで、男の報告に耳を傾ける宗義。


「――ヴァージン諸島内のセントクロイ島では、晃比古様に似た東洋人の目撃証言も取れたとのこと。十中八九、間違いはないかと?」


「ふむ、ご苦労じゃったな。そうか……晃比古の奴、しっかり生きとったか」


「つきましては、以後のご指示を賜りたく……急を要しましたので、畏れながら直接こちらまで参った次第でございます」


 その件じゃがのう……と、神矢宗義はあご髭を弄りながら、“ちら”と屋上を見やった。校舎の騒ぎは落ち着くばかりかさらに拡大を続け、事態が収まる気配など一向にみられない。


「儂は今、ここを離れるわけにはいかんのでな……防人よ、ここらでひとつ、その手腕を振るってみてはどうじゃ? 天龍衆次期頭領候補として、そろそろ陣頭指揮を任せねば……と、そう思っておったところじゃて。それとも、お主にはまだ荷が重いかのう?」


「いえ、勅命とあれば謹んでお受けいたします。ところで御館様、この騒ぎはいったい……?」


 面を上げた防人は一転、怪訝そうな表情かおで辺りの様子を覗った。


「ふむ、どうやらが何匹か入り込んだようじゃ。すでにサヲリたちがこの場の収拾に取り掛かってはいるが、どうにも手際が今ひとつのようでな……」


「ヴァグザの手の者が、このような場所にまで……? “近衛八幡結界式”が機能していて、でありましょうか?」


「ふむ、結界式以外に守りの手段を持たぬ我々には、最早、安住の地など、この世にはないのかもしれんのう……まったく、困ったものじゃて」


 そう言って、宗義は『亜瑠坐瑠』の行く末を憂う。これからは彼らのような新たな世代に期待する以外、自分たちの生き残る道はないのだろうと思い、眼の前の若者へと静かに視線を落とした。


「天巫女も然り、おぬしら天龍衆もまた然り……すべての責任は儂が負うでな、存分に采配を振るうて構わん。防人、結果を出してみせい!」


 神矢宗義は畏まる防人の鼻面に杖の先を突き出し、強い口調で命を下す。そこには、これまでの飄々とした老人の姿はどこにもなかった。


「御意! この天能防人、『天龍衆』の名において、必ずや御館様のご期待に沿えますよう、誠心誠意、努めさせていただきます」


「時に防人、サヲリとは……許嫁に会ってはゆかんのか?」


 一礼し、その場から立ち去ろうとする防人のその背中に、神矢宗義は声を掛けて留める。


「は、いえ……今は互いに、立場や任務がございますゆえ……。では一旦、丹波の屯所に帰還いたします」


 亜瑠坐瑠史上『最強の私兵』と謳われる、隠密集団『天龍八武衆』――その序列二位、『破魔はま天邪鬼あまのじゃく』こと天能防人は、それだけを言い残すと煙の如くその場から姿を消した。


「いつもながら、堅苦しい男じゃて。しかし、開校から僅か三年にしてこの有様とは……ここの結界式セキュリティーも、やはり盤石とはいえんな。のう晃比古……お前は今、なにを考えておる?」


 苦渋の表情を浮かべた宗義翁は、誰に聞かせるでもない弱音を吐露する。そして、先住民族『亜瑠坐瑠』の保護に並々ならぬ尽力を注いでいた娘婿の名を、思わず口にするのだった。

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