雨の日に捧ぐメッセージ

@tukimitatara

第1話

六月といえば、思い浮かぶものは何だろうか。

 父の日やジューン・ブライドといった行事もあるが、真っ先に浮かんでくるのは恐らく梅雨の時期特有のジメジメとした気候だろう。

 特に学生の身なら登下校中に降る雨に良い思いはしない。

 そういう意味で今日は最悪の気分だった。

 午後から降り出した雨は段々と強くなり、既に木々を折らんとばかりになっている。音を立てて落ちる光景はまるで滝のようだ。

 そして、どうやら雨天は頭痛までも引き連れてきたようで、現在気分は最悪だったりする。

 端的にいってもgoddamnチクショウといったぐらいだが、やはり雨は嫌いだ。

 憂鬱な心を隠すこともせず、机に項垂うなだれているとチャイムが鳴った。どうやら帰りのHRも終わりの時間が来たようである。

「起立、礼」

『さよならー』

 挨拶を皮切かわきりとして何人ものクラスメイトが教室を出て行くが、未だ数人残っていた。かくいう俺もそのうちの一人である。

 雨と頭痛のせいか、どうにも動く気が起きないのだ。再び机に頭を落としていると後から声が掛かった。

「晴也君、助けてー!」

 声の主は二つ後ろの席に居る少女。少し茶色がかった髪を一つ結びにし、烏羽色艶やかな黒の瞳を持つ彼女は、ほんのりとした可愛らしさを放っていた。

 そんな彼女だが、中身も少し幼い。何というか純粋な子供のような雰囲気を持っている。大半の人間が失ったものを彼女はまだ持っていたのだ。

「どうした? 雨音ちゃん」

「テスト直しをしたいんだけど全然わからなくて、やばいのですよ。どうか私に英語を教えてくださいませー」

 土下座でもするのではないかと思うほど低姿勢で頼んできた彼女。テスト用紙にノート、筆記用具を用意すると一問ずつ二人で挑み始めた。

 勉強が始まってから数十分が経つ。教室には既に二人だけとなっていて、カリカリと心地の良い音だけが響いていた。

 ノートと向き合う彼女の姿は真剣そのもので、凛とした力強さを感じる。普段からは想像しがたいその姿に、見惚れてしまったのは仕方ないことだった。

 風に揺らされる窓も、降っているはずの雨も、忘れてしまうほどの力強い姿がそこにあり、彼女の底にでもあるようなものをひしひしと感じさせられた。とはいえ――

「あれ、何か全然違う答えになっちゃった」

 ――全てが完璧なわけではない。そんな彼女を手伝うことが自分の仕事だ。

「うん、この動詞は他動詞だから後ろに目的語が来るのは分かるよね? その時点で前置詞が後ろに来ているのはおかしいから正しい答えは前置詞の付いていない(ア)になるよ」

「おぉ、ありがと。……よしこれで全部終わった!」

 なんだかんだで優秀だった雨音ちゃんは数十分でテスト直しを終わらせてしまった。教えてるはずの俺は全て終わらせるのに二時間もかかったというのにだ。……ちょっと悔しいな、うん。

「あー、雨降ってるね」

 少し弱まってきているが、未だに雨は降っている。まあ青空も見えないとはいえ、この分なら直に止むだろう。

 ……それでも、後少しだけここに残っていたい。きっと雨が嫌いなだけじゃない理由がそこにはあった。

「晴也君、もう少し雨が弱まるまで休んでよー」

「りょーかい」

 彼女はそんな願いに気づいたのか、二人で雨が弱まるまで駄弁り始めた。

「中学の時はさ、部活以外ずっと遊んでたんだよねー。好きな人とかもいなかったしさ」

「あー、俺も結構遊んでた。部活はすごい力入れてたんだけど他にやることもなくてゲームやったりラノベ読んだりしてたな」

 語りの内容には少し嘘がある。中学では生徒会に入り、部活と共にそれなりに熱中していた。忙しい日々も多く、充実していた気がする。だが、それは人と付き合うのも得意じゃなかったから、忙しい部活や委員会の時はそれを仕事で忘れられたから、人から逃げられたから、熱中していたようなものだ。

「高校に来てからは勉強ばっかりで部活も最近忙しいし、続けていけるかなぁ」

「でも、続けていければ楽しいと思うよ?学校生活に慣れてきたなら、特にね」

 高校に入って、久々に胸を張って友達だと思えるような人に会えたため、今は楽しく毎日を過ごせている。中学の時みたいに部活や委員会、ゲームへ逃げずにいられることが嬉しかった。

 辛いことに向き合う訳でもなく、なあなあと関わりながらいる訳でもない。そんな日々が手に入ったのだから。

 そのせいか、柄にもないことを語ってしまった。

「そうだね、もう少し頑張ってみるよ!」

 ……だが、それも良い変化なのだろう。

 会話が進むに連れ、雨も弱まってきた。時刻は電車が駅へ到着する二十分前。駅へ行く時間を考えると、そろそろ学校を出なければならない。

「雨も弱まったし、そろそろ帰ろうか」

「そうだね、よし一緒に行こーう!」

 並んで教室を出て、そのまま階段へ向かう。

 こうして二人で歩いていると色んなことが頭に浮かんだ。

 中学のこと、高校のこと、進路のこと。

 中学で彼女は作っていない。逃げてばかりの日常に隣は要らなかったから。

 高校生になった今も作る気はない。それでも隣には一つの空間ができた。

 将来は作家になりたいと思っている。だが、その路を目指すからには絶対に隣を誰かに歩かせる気はない。自分が惚れた人に掛けなくてもいい苦労を掛けたくないから。

「うわぁ、身長差二十センチも――」

 そんな思いが「隣」を歩く彼女を見ていると揺らいでしまう。楽しそうに話す彼女はとても幸せそうで「彼女が隣にいて欲しい」そういった思いが湧いてきた。

 苦悩が続く。雨はやっぱり嫌いだ。この手の考えに埋もれそうになるから。雨が弱まってきても頭痛が治らないように、憂鬱な気分はずっと心に居座っていくのだ。

 暗くなる気分とは裏腹に、会話は確かな癒しを伴って楽しいものとなっていた。

 続く笑い声と幸せそうな表情の彼女。皮肉にもこんな時間が永遠になればと思ってしまう。

 隣を歩いてもらうのは怖いから、隣へ座ってくれている今に溺れていたかった。

 本当に欲しいものをわかっているはずなのに、ごまかして、自分に嘘をついて、隣を彼女が歩く未来が欲しいのに、ただ座ってくれている今が壊れるのが酷く怖い。

 結局は方向が変わっただけで未だに俺は逃げているのかもしれない。中学の頃から全く変わっていない自分。

 ……それでも、進みたいという想いが確かに胸の中にあった。

 昇降口までやってくると小さなことを思い出す。

「やべ、傘持ってくるの忘れた」

 黒一色の普通の傘。それこそコウモリみたいなそいつは、きっと家の玄関で休んでいるだろう。

 雨は未だに降っていて勢いこそないが、このまま帰ったら流石にびしょ濡れになってしまう。それは嫌だと思っていた時だ。

「えっと、だったら、傘入る?」

 鞄から折りたたみ傘を取り出した彼女がとんでもない発言をかましてきた。いわゆる『相合傘』というやつである。

 純粋な彼女のことだから意識なんてしていないだろうが、誰にでもこういうことをしているのではないかと不安になってきた。

 まあ、嬉しいことに変わりはない。素直に傘へ入ることにした。

「うん、ありがと」

 二人の距離が少し縮まった。少々、照れつつもこの状態に嬉しさを覚える。

 だがここで、あることに気がつく。

問題、身長差二十センチの二人が相合傘をする時に背の小さい方の人が傘を持つとどうなるか。

答え、大きな人の頭が傘に入らないという謎の状態になります。

「うぅ、もっと身長があったら……」

「傘、俺が持つよ」

 恨めしそうに呟く彼女は大人しく傘を渡してくれた。だが、受け取ったのは折りたたみ傘。今度は幅が足りず、借りている身で持ち主を濡らすのは忍びなかったから少し傘を彼女へ傾けた。

「別にこっちに傾けなくても良いよー。二人で入ろう♪」

「良いの? 雨が当たるようだったら言ってね」

 結局、二人で寄り添いながら傘に入ることになった。さらに縮まった距離で道を歩く。隣を見れば、彼女の愛らしい顔がそこにあった。

「何か、新鮮だね。あんまりこういうことをやってこなかったし」

 こちらを見つめてくる彼女の視線は自然と上目遣いになっていて、とても可愛い。チラチラと覗かせてくる顔は照れているだけだろうが、仄かに赤く染まっていて、一層愛おしく思えた。

 どんどん彼女に惹かれていくのを感じる。出会ってからたった2ヶ月。仲良くなったのだってつい最近だ。それでも心は止まらない。

 自分の持つどんな気持ちよりもこの想いが強くなれたなら、きっとこれを形にしてしまえるだろう。

 溜め込んできた苦悩が、後悔が全て溶けて、一つの想いへたどり着く。

 答えはもう出ていた。気持ちも決まっていた。覚悟だけが未だ足りてはいないけど、やはり強い想いが確かにある。

 瞳の綺麗な彼女、勉強中の凛とした彼女、駄弁っている時の幸せそうな彼女、隣を歩いている笑顔の素敵な女の子。

 大嫌いな雨の中で生まれた大切な思い出。やっぱり雨は嫌いだけど、今日降った雨には「ありがとう」を伝えたい。

 だってこんなにも色々なことのきっかけをくれたのだから。

 どうか、雨の音と共に聞こえる笑い声を未来へと繋げていきたい。変わり続ける日々の隣に雨の音があることを願って。だから――

「俺と付き合ってください」

 ――この言葉を君に伝えたい。

 

***

 

 いつからか少年の頭痛はすっかりと消えていた。

 二つの影が一つに溶け、雨の中をゆっくりと進んでいる。小さな雨音は未だ途絶えていなかった。

 少年の伝えたい言葉も未だに彼の口から出ていない。少女へと伝えたいもう一つの言葉が心を満たしているようだが、それでも焦ってはいなかった。

 雨の音の中へ響かせるなら、せめて晴れた日が良い。それが少年の心情だ。本日は雨天、彼女への気持ちを改めて実感した日。ならば、今日でない方が良いのだろう。これではフェアといえないから。いずれの晴天、自分をこれでもかと見せてから少女へと想いを伝えるのだ。

 彼はそれだけをこの場で決めた。耳に入ってくる愛おしいを聴きながら。

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