第9話 猟犬は走らない 前編

 高さ200 m越えのビルの屋上ともなると、さすがにビル風が酷い。分厚い合皮シンセティックジャケットを着ていても、冷気が骨身まで染みてくる。中心街セントラルに聳える1000 m級超々高層建築物ハイパービルディングからの吹きおろしや剥離流、高速飛行する浮遊自動車ホバー・カーの車列が生み出す複雑な気流は、嵐のように荒れ狂っている。

 私はビル風によって体勢を崩されないように気をつけながら、背負っていたギターケースを下した。これから人を撃ち殺そうとしている狙撃手が、風でコケて投身自殺をするなど、笑い話にもならない。


 私の名はカイト。この街の裏社会ではそこそこ名のある雇われ狙撃手だ。今回の標的はシグメンツ社の技術部長だった。アシス協会からの依頼。シグメンツ社は位置情報サービス業の中堅で、CEOならともかく、技術部長ていどの小物に殺すほどの価値があるとは思えないが、まあそんなことはどうでもいい。私は仕事をするだけだ。


 ギターケースの中身を取り出し、自分の得物を組み立てる。インガソル77。時代錯誤的なフォーリングブロック・アクションが特徴の単発式ライフル。使用弾薬はケースレス.50ALM弾。電気発火式かつ発射機構は論理ロジックトリガーのみ。物理フィジカルトリガーはない。連射機能を犠牲に、構造を極限まで簡略化して、精度と威力を向上させているのだ。

 銃の側面のレバーを引き、鎖栓をスライドさせる。露出した薬室にケースレス50ALM弾を押し込んで装填。レバーを元に戻し、薬室を閉鎖する。ついで、上部レールの思考シンキングスコープから光繊維/超電導ケーブルを引き出し、左眼窩の神経接続端子台ニューロン・ターミナルに突き刺した。視界の半分がスコープからの景色になる。

「リンク完了」

 私は二脚を展開し、ビル屋上外縁部の立ち上がり、パラペットにインガソル77を据えた。片膝立ちになり、真向かいのビルの53階に銃を向けると、雇い主の情報通り、ターゲットが会議に出席しているのが見えた。シグメント社の技術部長、ジョンソン・スズキ。やせぎすの冴えない中年男。窓際の席に座り、白髪混じりの頭をときどきこくりこくりと動かしている。

 吹き荒れる狂風の中で、狙撃を敢行するのは容易なことではない。だが、私とインガソル77になら可能だ。思考シンキングスコープが大気中の微粒子の動きを観測し、私とターゲットの間に流れる気流をAR表示、最適な弾道を導き出す。

 ビル風が弱まる一瞬。私は意思によって論理ロジックトリガーを引いた。

 発射信号が光の速さでケーブルを通り、インガソル77に伝わる。ケースレス50ALM弾に電流が流れ込み、弾丸を囲む導体がプラズマ化する。固体-プラズマ間相転移による爆発的膨張が弾丸を音速の五倍の速さで押し出した。

 銃口を飛び出した弾丸は、白髪頭に吸い込まれる様な弾道を描く。厚い強化ガラスが砕け、シグメント社の会議室に真っ赤な花が咲いた。

 依頼は達成。長居は無用だ。私は手早くインガソル77を元通りにギターケースへ収め、屋上を後にした。


 私がジョンソン・スズキを殺してから、二週間が経った。ジョンソン・スズキ狙撃事件は、FCBCフラスコ・シティ・ブロード・キャスト日刊電子新聞の二十三面の片隅に乗った。記事によると、競合他社の差し向けた殺し屋アサシンの犯行ではないか、ということだった。この街ではよくある話で、市民のほとんどは、もうジョンソン・スズキの死を忘れているだろう。

 そんなことを考えながら、私は『溝』の闇市通りを歩いていた。中心街セントラルの最下層、高層ビルを支える基盤と基盤の合間にできた細い路地。無法者たちの吹き溜まり。いとしの我が故郷。

 路地の両脇には露店が立ち並んでいる。精神加速材アクセルやサイバネのパーツ、ブランドものバックのコピー品、市軍の横流し品まで。明らかに違法な物品が平然と売買されている。ここは、企業警察や市警の手が届かない犯罪者たちの楽園だ。治安はすごぶる悪いが、その代わりに自由がある。

 生体拡張バイオ・オーグメントを施した巨漢や、水着にPCVコートを羽織っただけの女サムライとすれ違いながら、路地を進んでいく。私が目指しているのはベゼル爺の店だった。ベゼル爺とは養父が生きていたころからの付き合いで、私と同じように雇われ狙撃手だった養父も彼の店で銃や弾薬を買っていた。

 闇市通りを進んでいくと、廃材を組み合わせて作った小汚い小屋が見えてくる。店前につり下げられた宝石のプラスチック製イミテーションがベゼル爺の店のトレードマークだ。いつものように、黒いゴミ袋でできたノレンをくぐって店内に入ろうとするが、中から出てきた人物とぶつかってしまった。

「おっと、失礼」

 ぶつかってきた相手は軽く頭を下げた。カーキ色のトレンチコートと帽子を被った重身体拡張者ヘビィ・サイボーグ。その顔は異形で、犬のように長いマズルと長い三角形の耳を持っている。文句の一つもいってやるつもりだったが、珍しいサイバネにあっけを取られている隙に、その男は人ごみに紛れてどこかへ消えてしまった。

「もう、なんだよ」

 気を取り直して店内に入ると、そこにはいつも通り、陳列された銃器に半ば埋もれるようにして佇むベゼル爺の姿があった。

 壁や天井からつり下げられている銃器の中には、市軍の旧式装備品が多い。軍属時代のコネを使っていると聞いたことがある。ベゼル爺と私の養父は共に都市間戦争を生き残った戦友だったらしい。

「ひさしぶり、ベゼル爺」

「おお、カイトか。大体二週間ぶりだな」

 ベゼル爺は電子制御銃スマート・ガンの手入れを止めていった。小柄で痩せこけた彼の姿は、ファンタジー映画にでてくる小鬼ゴブリンのような趣がある。

「そっちは変わりない? 私はまとまった金が入ったから、良い品がないか見に来たんだけど」

「……さっきお前と店先でぶつかった男の顔、見たか?」

 ベゼル爺は神妙な顔つきでいった。

「あの犬面?」

「ああ、そうだ。あいつ、『ニ~三週間以内で、ケースレス50ALM弾をこの店で買ったやつはいないか?』って聞いてきやがった」

 私は生唾を飲み込んだ。ケースレス50ALM弾はかつて市軍で正式採用されていた弾だが、いまは生産が停止されており、その流通量は多くない。偶然なのか、私を探していたのか。シグメント社の企業警察? 殺し屋アサシン? いや、まさか。

「それで……なんて答えたの?」

「ここじゃそんな弾扱ってねえって答えた。そしたら、おとなしく帰ってったよ」

「ありがとう。ベゼル爺」

「ああ、だがここに長居しない方が良いだろう。しばらく、『溝』にも来るな。おとなしく、身をひそめておくんだ。イネス宇宙港辺りにある『ニュー・イネス・ターミナル・ホテル』は知り合いが支配人をやってる。俺の名前を出せば、いろいろと工面してくれるはずだ」

 ベゼル爺は胸ポケットから純金トークンを何枚か取り出し、私の右手に握らせた。

「とりあえず、これで当面はしのげ」

「……こめん」

「いいってことよ。お前になにかあったら、ロブの野郎に面目が立たん。さあ、早く行け」

 私はベゼル爺に促されるまま、店を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る