第10話 猟犬は走らない 後編

 やはり、なにかおかしい。つけられている、私はそう確信していた。

 私はベゼル爺の店を去り、『溝』からの脱出口である共用エレベーターへ急いでいた。闇市通りは意外と人通りが多い。人をつけようとしても、すぐに見失ってしまうはずだ。しかし、私は、店を出てからずっと何者かの視線と気配を感じていた。ときどき、振り返ったり、辺りを見回してみるが、あの犬面の姿は見えない。

「ちくしょう」

 冷や汗が額から噴き出し、手のひらがじっとりと汗ばむ。ジャケットの下に隠したホルスター。その中身の重さを意識する。

「くそっ」

 人ごみをかき分けながら、養父の最後を思い出す。ロブ・フィッシャーは、赤ん坊だった私をスクラップ溜まりから救い、育て、この街で生きる術と狙撃を教えてくれた。父は私の目の前で、企業の殺し屋アサシンに殺された。社員を殺された企業の報復だった。

 異様に礼儀正しく、笑顔を絶やさぬ、スリーピーススーツの殺し屋アサシンの男はこういった。

「報いを受ける時がきたのです」

 次の瞬間、男は父の首を手刀で跳ね飛ばした。そして、一枚の名刺を私に残していった。この街で最も巨大な企業、ポイニクス社の社章があしらわれた名刺。私は父が虎の尾を踏んだことを悟った。

 だからこそ、気をつけてきたはずだった。証拠を残さぬよう、細心の注意を払ってきた。監視カメラや警備ドローン、浮遊自動車ホバー・カーの車載カメラに映らぬよう狙撃位置とそこに至るまでの経路を吟味。不可能とも思えるような狙撃も、幾度となくこなした。現場に物的証拠となり得るものは、なにも残していない。足がつくとすれば、それこそ弾薬の入手経路くらいしか……。

 私は闇市通りから、さらに細い路地へと飛び込んだ。大人一人がやっと通れるほどの細さ。暗く湿っぽいその路地には、生きてるのか死んでるのかもわからない加速材ヤク中アクセル・ジャンキーが何人か転がっているが、気にしてはいられない。そいつらを跨いで、さらに路地の奥へと向かう。

 無計画な上方再開発の象徴でもある『溝』の路地は非常に入り組んでおり、複雑怪奇な迷路と化している。当然、地図もなく、土地勘がなければ迷うのは必至だ。

 私は風化した頭蓋骨や放置された空のアンプルを踏み砕いて、薄暗い路地を右へ左へと、必死に走り回った。しばらく、走り、体力が尽きる寸前のところで、私は立ち止まった。

「はあっ、はあっ。どうだ流石にこれで――」

 撒けただろう、と言おうとした私の耳にコツコツという足音が聞こえてきた。硬い靴底が地面を叩く音だ。相手は歩いている。

「バカな。そんな」

 あれだけ走り回ったのに、歩きで追いつかれるはずがない。ありえない。そう思いたかった。だが、現実に、足音はすぐ近くの辻まできている。

 私は覚悟を決め、ホルスターから拳銃を抜いた。拳銃を構え、足音のする辻の方へ照準を合わせる。辻の角から身を晒した瞬間に、脳天に鉛玉をぶち込んでやる。

 しかし、足音はそこで止まった。あと一瞬で、辻の角から出て来る追っ手の姿が見えたはずだ。

「出て来い! 相手をしてやる」

 私は叫んだ。だが、応答はない。

「チキン野郎。出てきやがれ!」

 引き金を引く。狭い路地に銃声が響いた。だが、応答はない。

「ちくしょう。なんなんだコイツは……」

 私が身を翻し、歩きはじめると、それに答えるように、またコツコツという足音が聞こえてくる。度々振り返ったり、立ち止まってみるが、追っ手の姿は見えない。つかず離れず。追っ手は私の射線に身を晒さないようにしながら、しかし、確実に追跡してくる。

「くそっ、くそっ」

 涙で視界が滲む。気が狂いそうだった。徐々に追い詰められ、真綿で首を絞められるような感覚。絶望が寒気のように身体に染みこんでくる。身体がガタガタと震える。

 父の跳ねられた首。その恐怖を焼きつけた表情を思い出す。ああなりたくない。その一心で、私は歩みを進めた。


 必死で逃げ続けた私は、いつの間にか地下通路にいた。白い電灯が浮浪者たちの薄汚れた衣服と、壁に書かれたラクガキを照らす。ふと、私はあの足音が聞こえなくなっているのに気が付いた。

「撒いた……のか?」

 握ったままだった拳銃をホルスターにしまい、半信半疑のまま、地下通路を進む。ここは、この街の底辺の『溝』のさらに底辺だ。はみ出しものたちが集まる吹き溜まりから、さらにはみ出してしまったものたちが集まっている。

 だが、確かここを抜ければ、近くに共用エレベーターがあったはずだ、そこからイネス宇宙港に行く方法など無限にある。とにかく、地上に出れば、完全に追っ手を撒く方法がなにかあるはずだ。

 地下通路の中ほどまで来たところで、浮浪者たちとは明らかに違う存在が壁に寄りかかっているのが見えた。

 流行のスチームパンク・ゴスに身をつつんだ少女。歳は十五~六か。溶接メガネを模したMRゴーグルをつけ、ボブカットの赤毛の上に、古めかしいシルクハットを乗せている。もっとも目を引くのは、スカートの裾から見える黄金の義足だった。それは、あまりにも太く、無骨で、少女のシルエットを完全に壊していた。

 私は気付かないフリをして、少女の前を通り過ぎようとした。

「お姉さん、もう逃げられないよ」

 少女は急に口を開いていった。心臓を掴まれた心地になる。こいつも、追っ手か。

犬面ドッグフェイスに一度においを掴まれたらもう逃げられない。あたしも経験あるからね。わかるんだ。諦めな」

 少女はどこか得意げにそういった。

「そう言われて、おとなしく諦める人間がいると思う?」

 私は一度拳銃をホルスターにしまったことを激しく後悔していた。こいつの足がどんなサイバネなのかはわからない。私の早抜きがこいつの攻撃速度を上回れるかどうかは、完全に博打だ。

「拳銃じゃあたしは殺れないよ。この足、近接格闘特化型だから。お姉さんみたいな狙撃特化型のサイバネだと、この距離に入られた時点で、勝ち目はないんだよ。お姉さん、犬面ドッグフェイスに上手いこと、ここまで追い込まれたってワケ。わかる?」

 少女は首を傾げ、片眉を上げた。

「そっか。じゃあ、降参する――っ」

 私は口ではそういいながら、ホルスターから拳銃を抜き、少女に向かって撃った。撃った、はずだった。

「えっ?」

 拳銃は地下通路の壁に叩きつけられ、床に転がっていた。拳銃を握っていたはずの自分の右手を見てみると、人差し指があらぬ方向に曲がってるのが見えた。

「ああっ!」

 遅れて、激痛。右手を庇い、思わずうずくまる。

「結構コスいね。お姉さん」

 少女は右足の腿を上げていた。どうやら自分は目にもとまらぬ速さで、右手を蹴りつけられたらしいと気がつく。

「調子に、乗るな!」

 歯を食いしばり、痛みを闘志に変える。私はズボンのベルトに挟んでおいたフォールディングナイフを左手に握り、立ち上がった。

 少女はニマニマと笑みを浮かべる。私はそれで完全に頭に血が上った。ここまで小馬鹿にされていられるものか。あの余裕そうな表情を切り刻んでやる。

「おっと」

 ナイフの横振りを、少女は僅かに膝を沈みこませて躱す。すかさず、袈裟に切りつけるも、バックステップで距離を取られる。

「死ねっ」

 私は少女の胸に向かってナイフを思いきり突き出した。次の瞬間、私はふわりとした浮遊感を感じると、天地がひっくり返り、地面に思いきり叩きつけられた。

「がっ」

 息が詰まる。一本背負いの要領で投げられたらしい、と衝撃で揺れる頭が、どこか他人事のようにそう判断した。

 少女は私を足で蹴ってうつむせにし、左手を捻り上げた。痛みのあまり、ナイフを取り落としてしまう。

「ぐううう」

 屈辱。痛み。少女に組み敷かれ、どうしようもなくなった私は呻いていた。そこに、またコツコツという足音が聞こえてきた。反射的に、生唾を飲み込む。

 現れたのは、やはり犬面の男だった。

真鍮飛蝗ブラスホッパー、上手くやったな。こいつを使え」

 犬面の男は少女に黒い手錠を投げてよこした。少女は手錠をキャッチすると、すかさず、私の手を後ろ手に手錠をかけた。

「これでよしっと」

「あと数分で市警の警官が到着するそうだ」

 犬面の男は少女に語りかけた。

「お前ら、一体何者なんだ!」

 私は身を捩りながら吼えた。犬面の男がこちらを見た。

「俺たちは探偵だ。市警にジョンソン・スズキ狙撃事件の捜査協力を申請された、な。お前が使用したケースレス50ALM弾を扱ってる店を片っ端から調べるのは骨が折れたが、お前と直接会えたのは幸運だった」

「……なぜ私が実行犯だと」

「においだよ」

「におい?」

「人間には、個々人に固有な体臭ってもんがある。お前は現場になにも残さなかったつもりだろうが、においは残っていたのさ。お前、狙撃するときに片膝をついただろ?」

 私は男の長いマズルを見た。風のウワサで、警察犬を代替する、臭気追跡用のサイバネがあると聞いていたが、これほど高性能なものだとは知らなかった。

「図星のようだな」

「なんで……なんで私なんだ。他にも雇われの殺し屋アサシンンなんていくらでもいる。私に殺しを依頼したヤツだっているんだ! 私だけ捕まるなんて、こんなの、不公平だ」

 父は死に、私は捕まり、だが私の父を殺したあいつはそのままだ。復讐などとうの昔に諦めた私なのに、命まで取られないようだとわかった瞬間に思わず安心してしまった私なのに。それが、なぜかいまになって無性に悔しくてたまらなかった。

「お前の殺したジョンソン・スズキにはな、妻子がいた。二十年連れ添った妻と、二人の子ども。知らなかっただろう? お前にとっては、飯の種に過ぎない人間にも人生と家族があったんだ。得られるはずの未来と幸福があった。お前はそれを身勝手にも奪ったんだ。少しばかりの金のために。これを不公平と言わずになんと呼ぶ?」

 犬面の男は静かに、諭すようにそういった。だが、そこにはわずかに怒気が滲み出ていた。私はなにも言えなかった。

「罪を償え」

 どこからかサイレンの音が聞こえてきた。私は来るべき報いに耐えるために、目をつむった。

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