第8話 銀龍飯店

 『銀龍飯店』はフラスコ・シティ中心街セントラルにある中華料理店である。ちょうど、都市鉄の中心街セントラル駅の西口にほど近いところにあるので、『西口飯店』なんて呼ばれ方もしたりする。本格的な中華を出す割に、値段もリーズナブルなので利用客も多い。俺も市警時代は仲間うちでよく訪れたものだ。

 そんな銀龍飯店に、俺は真鍮飛蝗ブラスホッパーを引き連れて訪れていた。


 銀龍飯店の嬉しいのは、ランチをやっていて、昼時も開店しているところだ。おまけに、夜に行くよりも同じ料理が少し安い。そのかわり、選べるメニューが制限されるが。

「好きなもん好きなだけ頼んでいいぞ」

 俺は真鍮飛蝗ブラスホッパーに空中投影されたメニュー表を差し出スワイプして言った。前回の依頼者が滞りなく依頼料を払ってくれたため、いつもと違って懐には少し余裕があるのだ。

「マジ?あんまん百個頼んでいい?」

「全部食えるならな」

 俺がそういうと、真鍮飛蝗ブラスホッパーは空中投影されたメニュー表を前のめりになって見つめ、ページを送り始めた。しかし、しばらくすると、メニュー表から目を離して、ソファに背を預けた。

「あー、いいや。犬面ドッグフェイス、あんたが適当に頼んで」

「いいのか?本当に。好きに頼めば良いんだぞ」

「うん、いいよ。なんか気が乗らないから」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはそう言って携帯端末を取り出し、立体ホロTVを観始めた。


 俺は真鍮飛蝗ブラスホッパーが食べられそうなものを何品か見繕って、注文した。数分後、ドラム缶に車輪を付けたような形をした配膳ロボットが、一品目を持ってきた。自分の天板に乗せられた皿を器用にマニピュレーターで掴み、机を置いた。

「ご注文の『鶏肉のカシューナッツ炒め』です。どうぞ、ごゆっくり」

 電子音声がドラム缶下方に付いたスピーカーから響いた。取り皿を配膳し終えると、配膳ロボットはマニピュレーターの先端で頭を下げるような仕草をしてから、去っていった。

 よくいる接客用アンドロイドと比べれば淡泊な接客ではあるが、それでも十分だし、こういう所でコスト・カットをしているのだろう。

「おっ、きたきた」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは顔を上げて、携帯端末を懐に仕舞った。彼女は鶏肉のカシューナッツ炒めの皿に置いてあった取り分け用のレンゲを掴み、ごっそりと自分の取り皿に分けて、そのまま食べ始めた。

「へえ、これがカシューナッツか」

「おいそれ……まあいいか」

 俺は真鍮飛蝗ブラスホッパーを止めようとして、やめた。薄々感づいていたが、彼女はどうやら箸を使えないらしい。注文をこちらに任せたのも、メニューを見てもそれが何の料理なのかわからなかったからなのだろう。

 幼年期から『ウサギ穴』の戦闘員として使われて来た彼女は、戦闘ぐらいしかやってこれなかった為、やや世間知らずな所がある。しかも、それを深く恥じているらしく、他人に無知や無教養を知られるのをかなり嫌がる。それが、共同生活を送ってやっとわかってきた。

 彼女の自尊心をいたずらに傷つけることもあるまい。まあ、箸の使い方やらマナーやら細かいことは後に置いておこう。今日は彼女の初仕事成功の祝いでもあるのだ。

 俺はテーブルの端に置いてあるカテナリーケースから箸を一膳取り出し、鶏肉のカシューナッツ炒めを自分の皿に取り分けた。ひと口大に大きさを揃えられた鶏肉とタマネギ、カシューナッツに、赤と黄色のパプリカも入っており、彩りも良い。

 ひと口、口に運ぶ。丁寧に油通しされた肉と野菜の歯触りが最高だ。シンプルな塩味にカシューナッツの香ばしさ。いつもと変わらず、いくらでも食べられそうに思ってしまう逸品だった。


「あんたのこと調べたよ」

 鶏肉のカシューナッツ炒めを食べながら、真鍮飛蝗ブラスホッパーが言った。

「ほう?」

「いろいろウワサがあったよ。元々、市軍の特殊部隊に居たとか、警察サツだったとか、企業が造った追跡任務用の合成狼人間シンセティック・ウェアウルフだとか。連続殺人鬼コンビの片割れだったとか、あの珊瑚色霧犬コーラルピンク・ヴェイパードッグを倒したことがあるとか……。無駄な情報が多くてよくわかんなかった。だから、あんたに直接聞きたい。あんたさ、探偵やる前は何してたの?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーが片眉を吊り上げて言った。

「……俺は探偵になる前、市警の組織犯罪対策部に居た」

 まあ、これくらいは隠すことでもないだろう。過去が全くわからない相手は信用ならないのは確かだし、この機会に真鍮飛蝗ブラスホッパーに俺の過去について話しておくのは良い事だろう。話せる部分に関しては。

「へえ、警察サツだったんだ。警察の犬ならぬ、犬の警察だったってわけ」

「その頃はこの義体ボディじゃなかった。右腕以外、ほとんど生身だったよ」

「ふーん、あんたの犬面ドッグフェイス以外の顔なんて想像もできないけど。なんで辞めたの?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーが首を傾げて言った。

「トラブルがあってな……俺は警察である資格を失ったんだ」

 俺は思わず左手の親指で、薬指を触ってしまった。もう、あるはずのない結婚指輪を探って。リサが惨殺された復讐の為に、ヨハンと俺がやったことは、おいそれと人に話せることではない。それが、例え今の相棒であってもだ。

「ほーう。悪い事したんだ。汚職?ヤク?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはにやりと笑って言った。

「そういうことじゃないが……まあ、とにかく俺は警察を辞めて、その退職金でこの義体ボディを買ったんだ。退職金だけじゃ足りなかったんで、生身の部分を売った。脳と脊髄の一部以外全部」

「金玉も?」

「そうだ、はした金だったけどな」

 生体培養技術が発達したこの時代にあっては、人間の臓器など大した金にはならない。不健康な臓器より、完全に健康な人造臓器の方が高値が付く位だ。

 しかし、そのころは身体を取っておいて、生身フレッシュに戻ろうなんて考えは一切なく、不要物を有価で処理したぐらいの気持ちだった。

「それ、そんなに良い義体ボディなの?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはレンゲの先で俺の胸を指した。

「ロングケイプ重工業の最高級品だ。ブラックドッグ1116型、フルカスタム品だから同じ義体ボディはこの世界に二つとない。嗅覚の視覚化に主眼を置いた特別製で、火器管制装置や高速移動装置を外して、その分追跡と捜索にリソースを割いてる」

「火器管制装置は外してるって……あんた散々射撃とかしてるじゃん」

「自前でできるなら自分でした方が効率良いからな。純粋に予算オーバーで付けられなかったってのもあるが」

「ふーん、なるほどね」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは皿からカシューナッツを一粒つまんで食べた。

「そういや、あんたのその義体ボディって乾式ドライタイプでしょ?文字通り『血も涙もない』やつ」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは腕を組みながら言った。

 なぜそんなことを知っているのかと思ったが、そう言えば真鍮飛蝗ブラスホッパーに腕を砕かれたことがあった。その時に、人工血液が流れていないことを見抜いたのだろう。

「ああ、俺の義体ボディに人工血液の類は通ってない。特化型だしな」

乾式ドライタイプって脳みそを漬けとく培養液ぐらいしかなくて、消化器官とかも基本的に付けられないって聞いたけど、なんであんたはメシくえてるの?」

「味覚も含めて人工消化器官を後付けした。この義体ボディにした時はそんなもの要らないだろう、栄養液だけで十分と考えてたんだが……。しばらくしたら、味覚が恋しくなってな。結構金を掛けて改修したんだよ」

 俺は肩をすくめた。味覚を恋しがるのは俺だけの話ではない。味覚や消化器官をオミットした重身体拡張者ヘビィ・サイボーグのほとんどが身体の機械置換を行った後で、自分が食を楽しめない身体になったことを後悔し、抑うつ的な症状を起こす。

 俺の場合、リサの仇を討った後は、後悔する残り余生もないだろうと思っていたのだが、それは間違いだった。

「あんたの様子を見てると、そうして正解だったね」

「ああ、全くだ。食の喜びは他には代えられん」

 俺は箸で最後の鶏肉をつまんで、口に運んだ

 

「あー、食い過ぎたかも」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーが帰途につく浮遊自動車ホバー・カーの中で満足げに言った。デザートとしてあんまんを三つも食べたのだ。当然、満腹だろう。

「中華は口に合ったか。またいこう」

「おごりならいいよ」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはそういって、屈託なく笑った。


 フロントガラスの向こうを見れば、車列が高度別に層状に重なった空中道路に沿って空中で列を成し、高層ビル群の谷間で太陽光を反射させて輝くのが見える。

 俺たちを乗せた浮遊自動車ホバー・カーは、高層ビル群の間を走り抜け、俺たちの家のある高層集合住宅コナプトへと帰って行った。


 

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