第7話 別ち難い姉妹

「お前……いい加減にしろよ」

「ん?なにが?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーがソファに寝そべったままいった。その口には二枚のポテトチップスが咥えられている。机の上に置いてあるポテトチップスの袋には「タコヤキ・フレーバー・チップス」と書かれている。以前、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーが箱買いしていたものだ。

 彼女が寝そべるソファの前にある机の上には、レシプロ機の巴戦が立体投影されていた。また何かのゲーム大会の中継を見ながら、カウチポテトと洒落込んでいたとみえる。

「飯の前にスナックを食うなって毎度言ってるだろうが」

「ちょっとだけだよ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはそういうと上半身を起こしてソファに座りなおし、ポテトチップスの袋の開け口を折り曲げ、クリップで止めた。

「俺が作ったミートソーススパゲティを残すなんてことするなよ」

 俺の両手には昼食用に用意したミートソーススパゲティ2皿がある。久しぶりにソースから作ったが、中々いい出来だ。強めに聞かせたニンニクの香りが食欲をそそる。

「あと、ちゃんと服を着ろ」

「着てるでしょ?」

「あのなぁ、Tシャツとパンツだけってのは『ちゃんと服を着てる』には入らないんだよ」

「はいはい。わかってますよ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは口先だけの反省を示した。すぐに、自分の部屋へ服を取りに行く気は、さらさらない様だ。

「『はい』は一回で良い。全く……」

 そこまでいって、喉まで出かかった親の顔も見てみたいもんだというセリフをぐぐと堪えた。聞くところによると、こいつは孤児で、長い間施設で暮らしていた上、金で『ウサギ穴』に売られた経歴があるらしい。いくら腹立たしいといっても、言って良いことと悪いことがある。それは、わきまえているつもりだった。

 また、ここ最近の共同生活のなかで、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはその両足に付けた規格外の拡張体サイバネによって、下半身に身に付けることのできる衣服はかなり制限されていることもわかっていた。まず、ズボンは履くことはできない。基本的に履けるのはスカートだけだ。それも、装甲板に挟まったり絡んだりすることがあり、裾が長いものは着れない。さらに、下着もサイドを紐で結ぶタイプのものだけしか履けないようだった。

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーにとって、厚着することがそれなりのストレスになるのは、からもわかる。だからといって、下着姿で部屋を歩き回って良いわけではないが。

 俺はそれ以上は何も言わず、2人分のミートソーススパゲティを机の上に配膳した。真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはフォークを掴み、黙々とスパゲティを食べ始めた。

「どうだ?美味いだろ」

「まずくはない」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーがスパゲティを咀嚼しながらもごもごといった。彼女は好き嫌いが激しく、嫌いなものは一口も食べないこともあるので、この反応は上々といえた。

「……まあ、良い。何見てるんだ?」

「ドックファイト1945の試合。ブルーチームのエースがスピットファイアで連続3キルして逆転しそうなんだよ」

「ふむ、なるほど」

 机の上では、赤と青に色分けされた極小のプロペラ機が飛び回っている。ちょうど、青い方の1機がすれ違いざまに機銃掃射を受け、煙を上げて墜落していくのがみえた。これで残りは赤が2機、青が1機だ。最後の青い機体が見事なひねり込みで赤い機体の後ろを取った。だが、赤い機体のもう一方がすかさず青い機体の後ろを取り、機銃を浴びかけた。最後の青い機体は翼から火を吹き、しばらくして爆散した。空中に「レッドチームの勝利!」の文字が投影された。

「あーあ、流石に5連続は無理か。負けちゃった」

「好きなチームなのか?」

「いや、負けてた方を応援してただけ……もうお腹いっぱい。残りはあげる」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは腹を叩く仕草をし、まだスパゲティが3割ほど残っている皿をこちらに押し出してきた。

「だからスナック食うなって言っただろうが……おい、グリーンピースは残すな。食え」

「やだ、お腹いっぱい」

「嘘つけ。豆4つばかり食えないはずがないだろ。お前、偏食だからな。少しずつ食えるものを増やせ」

「……別に良いじゃん。偏食でも。栄養はいくらでも補えるし」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは口を尖らせていった。

「いろんな飯を食えた方が人生楽しめるぞ?今度は中華でも喰いに行くか」

「奢りなら良いよ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはそういうと、ソファに仰向けに寝そべり、腕枕をして目を瞑った。

「いつも奢りだろうが。ああ!食べて直ぐに寝転がるな。胃に悪いし、太るぞ」

「ふーん。はい、痩せたー」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは自分の脚部に手をやり、自身の太腿の中ほどから下の拡張体サイバネを切り離した。恐らく、メンテナンス用の機構だろう。さらに、彼女は軽くなった脚を見せびらかす様に閉じたり開いたりを繰り返した。

「やめなさい!はしたない。こら、淑女レディのやる事じゃないぞ」

「興奮した?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは悪戯っぽい流し目でこちらを見た。

「する訳ないだろ。はあ、全く……」

 頭痛がしてくる。まるで、子育てでもしてるみたいだ。


 そもそも、なぜ真鍮飛蝗ブラス・ホッパーが俺の住居に居ついているのかといえば、その発端は一週間前に遡る。自らが所属していた『ウサギ穴』という組織を失った彼女は、寄る辺もなく、『ウサギ穴』の仇であるはずの俺の住居を訪れた。哀れに思った俺は、彼女にシャワーと使っていなかったナイト・ガウンを貸し、チキン・ブリトー2つを与え、空いている部屋で一晩寝かせた。あくる日、彼女は「服が欲しい」と言い出した。確かに、俺との戦闘で破損した服でいつまでも居るのはよろしくないし、ついでに独り立ちの助けになればと餞別に多めの金を渡したのだった。

 それがいけなかった。

 俺が仕事の用事で外出している間に、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは、通販で服だけでなく、没入ジャック・インデッキや立体映像ホログラム投影機プロジェクター、お気に入りのスナックを買い込んでいた。さらに、自分の部屋に持ち込んだのだ。

 以来、空き部屋を実効支配した真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは俺の住まいに堂々と住み着き、我が物顔で闊歩しているという訳だ。その態度が余りにも図々しく、頭にくるので、力ずくで叩き出してやろうかとも思ったが、彼女は戦闘用に調整チューンされた身体拡張者サイボーグだ。実力行使は命懸けになる。しかも、『ウサギ穴』壊滅の要因の一つは間違いなく俺だし、彼女の居場所を奪ってしまったことは確かでもある。そういった精神的負い目もあって、彼女の暴挙を黙認しているのが現状であった。


 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーの残した分までミートソーススパゲティを平らげ、後片付けを済ませた俺は、彼女が自室に戻る前に、重要な議題について切り出した。

「それでお前、これからどうするつもりだ?一生、俺に寄生して生きていくつもりじゃあるまい?」

「まだ、考えてるんだよ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはソファに寝ころんだまま眉を寄せ、不機嫌そうな声でいった。彼女がここから出ていかないのは、ただ怠惰であるだけではないのはわかっている。『ウサギ穴』での稼業しか経験したことがなく、違法な拡張体サイバネを抱える彼女にとって、選べる職はそう多くはない。拡張体サイバネのメンテナンス費用の事を考えるなら普通の職に就くのは難しいだろう。傭兵か用心棒か……その辺りだ。その二つの選択肢も、『ウサギ穴』の壊滅で何もかも失ったからこそ、彼女にとっては選び難いのだろう。

「お前に一つ提案がある」

「なに?ハロワでも行けっての?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは強い口調でいった。彼女は寝返りを打ち、こちらに背を向けた。

「ここで、働かないか?」

「え?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは振り返ってこちらを見た。

「正式に犬面探偵事務所の従業員にならないかと言ってるんだ。俺の相棒として働くんだ。住み込みで良い。今、お前が使ってる部屋をやる。家賃はタダ。飯も出る。賃金は出来高だが……どうだ?やらないか?」

「急に言われても……」

「そうか?悪い条件じゃないと思うんだがな。まあ、よく考えてから返事をくれ」

「うーん」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは仰向けになり、腕を組んで唸った。

「……やるよ。あたしやる。ずっとこのままじゃいけないしね」

「よしきた。それじゃあ、契約書を良く読んで、サインしてくれ」

 俺は机上の立体映像ホログラム投影機プロジェクターを叩き、契約書を真鍮飛蝗ブラス・ホッパーの目の前に投影させた。以前、相棒サイドキックの雇用について本気で考えていた頃に作った契約書が役に立つ時が来たのだ。

「わかった」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはいきなり署名欄にサインをしようとした。俺は慌てて彼女の手を引き留めた。

「おいおい、よく読めって言っただろうが。俺がお前を騙す様な契約だったらどうするんだ」

「アンタはそういうことしないよ。わかってるもん」

「そうとも限らんだろ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは世を知らなすぎる。悪魔というのは常に天使の顔をしているものだ。

「じゃあ、あたしを騙すの?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは挑発と不安の入り混じったような目でこちらを見て来た。

「……そういう訳じゃないが。とにかく!契約書はちゃんと読んでからサインしろ。良いな!」

「はいはい」

 『はい』は一回で良いとまた注意しようとも思ったが、それをやるといつまでも話が前に進まないので、止めにした。

 しばらく、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは唸りながら契約書を眺めたあと、意を決したように署名欄へ人差し指で『真鍮飛蝗ブラス・ホッパー』とサインした。

「本名で書けよ。本名で。じゃないと意味ないだろ」

「あたしもアンタの本名知らないんだけど」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは片眉を上げていった。

「ここにちゃんと書いてあるだろうが、ちゃんと読めって。イヌイ・ジョージって、な?」

「あ、ホントだ」

 本当によく読んだんだろうな?そう思ってると、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは署名欄に『アンナ』とだけ書き直した。

「名前だけで良いのか?」

「苗字わかんないんだよね」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは片をすくめていった。

 こいつは物心ついた頃から孤児院で過ごしていたらしい。当然、姓がわからない事もあるだろう。今日きょうび、姓がない人間も珍しくないし、これで良い。

「まあ、それならそれで良い。これからは、雇用主と被雇用者としてよろしくな」

 俺は握手を交わすために、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーへ右手を差し出した。

「……よろしく」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは控えめに俺の手を握り返した。

「さて、早速食休みしたら仕事にかかるぞ。今回の仕事は初恋の人探しだ」

 味方が居るというのは心強いものだ。2人分の稼ぎを得る必要はあるが……まあ、何とかなるだろう。そう思い、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーの手をやや強く握った。


 俺の浮遊自動車ホバー・カーは、俺と真鍮飛蝗ブラス・ホッパーを乗せて、自動運転オート・ドライブでフラスコ・シティ中心街セントラルへと向かっていた。その車内で、俺は助手席に乗る彼女にこれからの仕事について説明していた。

「依頼主はスガ・コージってサラリーマンの男。探してるのは女歌手のアンジェラ・ロベルタ。『アッサンスール・0』というバーで双子の姉のジュリアと歌ってたそうだ。だが3年前、急に姿を消した」

 スガから受け取ったアンジェラの立体映像ホロを投影した。中空にアンジェラの艶やかな黒髪と目鼻立ちがはっきりしている顔が映し出された。世間一般的には十分美人とされる顔立ちだろう。スガが一目惚れしたというのも頷ける。

「大人になってから初恋なんて、いくら何でも遅すぎない?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは怪訝な顔でいった。

「恋に遅すぎることなんてないさ……とにかく、スガ自身も相当探したそうなんだが足跡も一切掴めず、現在に至るって訳だ。ハッカーやら賞金稼ぎバウンティハンターも雇ったらしいが全部無駄骨」

「探せるの?そんなヤツ。死んでるかもよ?」

「死んでたらそれを依頼人に知らせなきゃな。それに、餅は餅屋、人探しなら探偵だ。俺はプロだぜ。秘策があるのさ」

「ふーん、私は何をすればいいの?」

「基本的には、俺のボディガードだな。治安の悪い所にも行くからな。だがまあ、今回は俺のやり方をよく見て、探偵の仕事について理解してもらいたいってのが一番だが」

 銃弾さえ避ける真鍮飛蝗ブラス・ホッパーの戦闘能力は頼もしい限りだ。そこらのゴロツキは相手にならないだろう。俺は今回、いつもより携帯する武装を少なくしている。分業というのは素晴らしい。

「了解。悪い奴が居たらぶちのめせばいいわけだ」

「その通り」

 俺が肯定すると、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは目的地に着いたら起こしてくれといい、自分のシートの背を下げ、パーカーのフードを目深に被って目をつむった。

 浮遊自動車ホバー・カーは俺たちを乗せ、第二空中環状線を抜けてフラスコ・シティ中心街セントラルへと一直線に進んだ。

 

 浮遊自動車ホバー・カーで移動した俺たちは、フラスコ・シティ中心街セントラルに建つ多目的高層ビル「ガビーロールタワー」の9階、商業フロアの片隅にいた。この一帯は『白昼夢通りデイドリーム・ストリート』と呼ばれる一種の飲み屋街であり、心狭しと酒場が立ち並んでいる。

「よし、ここだ」

 『桃色小指ピンキー・ピンキー』と書かれている電子看板を指差した。。この『白昼夢通りデイドリーム・ストリート』酒場は、昼夜逆転している客層を狙い、昼間から営業しているのだった。超高層建築物が林立するフラスコ・シティ中心街セントラルには昼も夜もないのだ。『白昼夢通りデイドリーム・ストリート』の客入りは他の場所とも劣らない。まだ昼の1時だというのに、夜勤終わりのサラリーマンがこの通りを千鳥足で歩いている。

「こんなところで何するの?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは訝し気にいった。。

「聞き込みだ。まあ百聞は一見に如かずだ」

 扉に『営業中』の表示が出ていることを確認し、俺たちは店内に入った。

 『桃色小指ピンキー・ピンキー』の店内は狭い。いわゆるウナギの寝床というヤツだ。カウンター席しかないし、その後ろの通路も大人二人がやっとすれ違えるくらいの幅しかない。照明はやや桃色がかった色ピンキーであり、店内には著作権切れのジャズが流れている。

「いらっしゃい。あっ、犬面ドッグフェイスじゃねえか!久し振りだなあ。最近、見なかったが。どうしてた?」

 バーテンダーのピンキーがバーカウンター越しに俺たちの事を出迎えた。ピンキーはカイゼル髭を生やした痩身の伊達男である。茶目っ気の強い男で、極度のウワサ好きであり、フラスコ・シティ中心街セントラルの事情に詳しい。

「おう、ピンキー。久し振り。ちょいとデカい山があってな。来れなかった」

 俺が手を振ると、ピンキーもまた手を振り返した。ピンキーが振った右手の小指はその異名の通り、ピンク色に塗装された義指だった。

 数年前、ある遊女と心から愛し合ったピンキーは、お互いに小指を送りあい、心中立てをした。いつか、ピンキーが遊女の身を引きとれる大金を稼いだ時まで、お互いを想い続ける。そういう約束だった。しかし、心中立てしてから間もなく、その遊女は消えた。

 その時、遊女の捜索を依頼されたのが俺だった。俺は遊女がとある企業の取締役と駆け落ちしており、ピンキーが受け取った小指も遊女本人のものではない事を突き止めた。ピンキーとはその頃からの縁だった。

「あれっ、そっちのお嬢さんは?」

 ピンキーは首を傾げていった。

「新しく雇った助手だ。あー、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーと呼んでくれ。おい、挨拶ぐらいしろ」

 不愛想に立つ真鍮飛蝗ブラス・ホッパーに挨拶するよう促すと、彼女はしぶしぶといった感じで挨拶をした。

「……どうも」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはほんの少し頭を下げていった。

 どうやら意外にも人見知りな部分があるらしい。彼女はピンキーを警戒しているようだ。今回、彼女をここに連れてきたのは俺の相棒として、情報提供者のピンキーと顔合わせするという側面もあったのだが……年頃の娘というのはやはり気難しい。

真鍮飛蝗ブラス・ホッパーって、聞いたことあるな……まさか、『ウサギ穴』のか!?」

 ピンキーは目を見開いた。

「まあ、そうだな」

「この前カチコミがあって壊滅したって話だろ?まさか、デカい山って……」

「守秘義務がある」

 ピンキーは中々感が良い。だからこそ頼りになるのだが。

「……ああ!そりゃそうか。まあいいや、座ってくれ。お嬢さんも」

 ピンキーはハッとして、俺と真鍮飛蝗ブラス・ホッパーに席に着くよう促した。ピンキーの真向かいに俺が座ると、彼女は一つ飛ばして俺の左側の席に座った。

「ウイスキーをくれ。いつものを。お前はどうする?ここはソフトドリンクもあるぞ」

「コーラを」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはぼそりといった。どうやら、人見知りがどうとかいう話ではなくて、ただ単純に不機嫌な様だ、ピンキーはこの程度で気分を損ねるような男ではないが、他の情報提供者にもこの調子では困ってしまう。後で話し合う必要がありそうだ。

「あいよ」

 ピンキーは手慣れた手つきで、オンザロックスを作り、足つきグラスにクラッシュアイスとコーラを注いで、俺たちの目の前に置いた。

「どうぞ」

 ピンキーはウインクを飛ばした。

 家で飲む合成ウイスキーよりは、上等なウイスキーを一口飲む。メガコーン・ウイスキー特有のストレートなアルコール感、大味な甘さとコク。一切、熟成期間を設けない為に、無色透明で香りも少ない。よく言えばクリアな、悪く言えば深みのない酒だが、俺は好きな酒だった。

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは一口コーラを飲んだが、どうも居心地が悪そうにしている。早いところ仕事を済ませた方が良いかもしれない。俺は本題を切り出した。

「実はな、ちょっと聞きたい事があってきたんだ。アンジェラ・ロベルタって女を知らないか?2~3年前にアッサンスール・0って店で双子の姉のジュリアと歌ってたらしいんだが」

 俺は携帯端末でアンジェラの立体映像ホロを投影して、ピンキーに見せた。

「アッサンスール・0か……となりのキャットタワー・ビルにあったバーだよな?ちょっと前に潰れた」

 ピンキーは首を傾げ、自分のカイザル髭の先端を撫でていった。

「ああそうだ。行ったことあるか?」

「いや、知ってるのは名前だけだ。昔のオーナーが密輸して飼ってたワニガメに指を食われたって話が――それはいいや。あそこらへんの事なら女神の秋田ビーナス・アキタが詳しいと思うぜ?ここから5軒先の『白鳥の水たまり』って店に居る」

「あの店か、ありがとう。恩に着る」

「また来てくれよ。それが一番の恩返しだ。お嬢ちゃんもな」

 ピンキーはウインクを飛ばした。


 桃色小指ピンキー・ピンキーから出た途端、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはこちらに突っかかってきた。

「アレが秘策?なんであんなことしなきゃいけないの?」

「そうだ、まずは聞き込みだ。探偵は足で稼ぐもんだからな。」

「アンタの鼻でパパッとどうにかできないの?」

「そういう時もあるが……大抵はこうやって人に聞いて回るのが探偵の仕事だ。今のご時世、人を探すってなら大体はハッカーの仕事だ。だが、ハッカーは全知全能じゃない。現実世界の情報が全部、電子世界上にあるわけじゃないからな。生身の人間しか知らない事もある。このご時世に人に直接話を聞くなんて盲点的だろ?そこにニッチがあるんだ。人が嫌がることだから需要があるのさ」

 俺の電脳鼻口部サイバーマズルは強力な追跡装置だが、いつでも役に立つわけではない。大体の場合、役に立つのは最後の『詰め』の部分だ。また、九脳ナインブレイン辺りのハッカーに依頼すれば、大抵の人間は探せるがそれでも万能ではない。

 先端技術ハイテク拡張体サイバネはあくまで道具に過ぎない。大切なのは、やはり人とその繋がりだ。

「ふーん、なるほどね。で、さっき一杯ひっかけたのは何なのさ。話を聞くだけなら電話でもいいし、酒なんて注文しなくていいでしょ?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはこちらを責めるような視線で見てきた。それで、彼女が不機嫌な理由がようやくわかった。どうやら彼女は、俺が『聞き込み』をするといいながら、バーに入ったのをふざけているのだと思ったらしい。

 確かに、意を決して始めた初仕事で、上司がいきなり昼間から飲み始めたら相当不快だろう。

「情報を聞いておいて、タダってわけにもいかないだろう。人との繋がりが俺たちの最大の強みだ。自分が知らないことを知ってる人間と繋がりがあれば、それはもう『知ってる』ってことにほとんど等しい。何事も俺一人では限界がある。だから、頼みを聞いてくれる知り合いが必要なんだ。できるだけ沢山な」

 そういいながら、俺は口の中に苦いモノを感じていた。人との繋がりを最重要視していると自分ではいいながら、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーとのコミュニケーションを軽んじていたからだ。時間はいくらでもあったのに。もっと事前にコミュニケーションが必要だったのだ。

「まあいいけど、酔っててまともに仕事できるの?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはため息をついていった。

「俺は酒に酔わない。肝機能を強化してあるからな。解毒能は素の肝臓の1万倍以上。酔ったとしても一瞬だけだ」

 一応、解毒能を抑える薬を飲めば、無理やり酔えない事もない。昔に試したことはあるが、最近はそこまでして酔いたいとは思わなかった。

「えっ、じゃあなんで毎日、晩酌なんてしてるの?」

「酔うだけが酒じゃない……まあ、生身だった時の習慣の名残ってのはあるかな」

「ふーん、そういうものなんだ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは頷いた。一応、納得してくれたらしい。

 長い間、一人で仕事をしていたために、自分流の仕事の手法について他人がどう思うかという客観的な視点が欠けていたようだ。これは、反省しなくては。

「すまん、俺が悪かった。説明不足だったな」

 俺は頭を下げた。こういう時は素直に謝るに限る。

「まあいいよ、仕事をしよう。あの店でしょ?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは『白鳥の水たまり』の電子看板を指差していった。どうやら、許してくれたらしい。


 それから俺たちは聞き込みを続けた。

 白鳥の水たまりの女神の秋田ビーナス・アキタから当時のアッサンスール・0の従業員の居場所を聞き出し、そこから糸を辿る様にアンジェラ・ロベルタの足跡を追っていった。俺たちは一日中フラスコ・シティ中心街セントラルを巡り、ようやく今のアンジェラ・ロベルタの居場所を知る人物に出会うことができた。

「あー、ロベルタ姉妹の事かい?それなら『クラインの壺亭』っていう、身体改造至上主義者サイバネ・ジャンキーが集まるジャズ・バーで毎週火曜に歌ってるよ。今日も来てるはず」

 拡張体サイバネ修理店『ヘルメス・ヘルス』の女店主、花柄のワンピースを着たナタリーがタバコを咥えたままいった。

「本当か?」

「嘘ついてどうすんのさ」

「ありがとう。ご婦人マダム

 俺たちはナタリーに『クラインの壺亭』の場所を教わり、そこへ向かった。


「まさか『溝』とはな」

 俺たちは『溝』と呼ばれる中心街セントラルの最下層、そのさらに一角にある廃材溜まりに来ていた。超高層建築物の間に、長年、壊れた拡張体サイバネ浮遊自動車ホバー・カーのスクラップ、暗殺に使われた武器など、不要物を不法投棄することによって作られたこの廃材溜まりは、巨大な丘を形作っていた。ナタリーによると、ここの廃材溜まりの中腹に『クラインの壺亭』はあるらしい。

 廃材溜まり丘の頂上はここからでは見えなかった。さらに視点を上げると、超高層建築物の狭間に一筋だけ夜空が見えた。

「こんな所にもバーがあるんだ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは目の前に積み上げられた廃材の山を見ていった。

 そもそも、『溝』は、積み木を積み上げる様に上方再開発が行われた中心街セントラルの見捨てられた最下層、超高層建築物の基礎と基礎の隙間にある区画である。故に治安は最悪で、ゴロツキや指名手配犯がうろついている危険な場所だ。こんな所にジャズ・バーを開くなど、正気の沙汰ではない。アンジェラ・ロベルタが中々見つからないのもうなずけた。

「行くか、足元に気を付けろよ」

 俺たちは踏みしめられた廃材の坂を注意深く歩き始めた。意外にも人通りはあるらしい。俺が電脳鼻口部サイバーマズルを起動させると、新鮮な人間のニオイがした。そのニオイは廃材の坂を上っていくにつれて濃くなっていった。

真鍮飛蝗ブラス・ホッパー

「わかってる」

 俺たちが歩みを止めると、浮遊自動車ホバー・カーの錆びたフレームの陰から4人の軽身体拡張者ライト・サイボーグが現れた。

「てめえら、見かけねえ顔だな」

「迷っちまったのか……ここらは俺たちの縄張りだぜ」

 軽身体拡張者ライト・サイボーグたちの機械置換された手の中には、それぞれ鉄パイプ、携帯プラズマ溶断機トーチ、電動釘打ち機、丸鋸発射機バズソー・ランチャーが握られていた。

「ここを通りたきゃ、出すもん出して貰わねえとなあ」

「通行料を払いな!」

 リーダー格らしきモヒカン頭の男が丸鋸発射機バズソー・ランチャーをこちらに向けていった。

真鍮飛蝗ブラス・ホッパー、殺すなよ」

 俺がそういい終わる前に、真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは跳んでいた。弾丸のような速さで突貫した彼女は、ローキックで鉄パイプを持った男の膝を蹴り砕いた。

「ぐああっ!」

 チタン合金の骨格が砕け散り、人工筋肉がはじけ飛んだ。片足を失った男は廃材の坂を転げ落ちていった。

「コイツ!」

 モヒカン頭が丸鋸発射機バズソー・ランチャー真鍮飛蝗ブラス・ホッパーに向けた。俺は腰のホルスターから回転式拳銃リボルバーを抜き、丸鋸発射機バズソー・ランチャーを撃った。発射された硬芯徹甲弾が、装填された丸鋸バズソーを引き裂き、発射機構を粉々に砕いた。

「あああっ!」

 男の悲鳴が響いた。真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはその時既に、携帯プラズマ溶断機トーチとそれを持った男の腕を、共に踵杭ヒールパイルで串刺しにしていた。

「このクソ――」

 呆気に取られていた電動釘打ち機を持った男が釘を打ち出す前に、俺はその後頭部に回転式拳銃リボルバーの銃口を押し付けた。

「急いでるんだ、通っていいかい?」

 俺はわざとらしく撃鉄を起こし直した。

「えっええ、構いませんぜ!旦那」

 男は電動釘打ち機を落とし、両手を上げていった。男の額から一筋、汗が流れ落ちた。

犬面ドッグフェイス、あんた甘すぎるよ」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはモヒカン頭を蹴りつけて気絶させながらいった。

「次会う時も敵とは限らんだろ?」

 そういって肩をすくめてみせると、彼女は複雑そうな顔をした後、黙って廃材の坂を上り始めた。


「ここが『クラインの壺亭』か……?」

 廃材の坂を登っていくと、『クラインの壺亭』と書かれた電子看板があり、その横にどこから持ってきたのか「非常口」と赤字で書かれた鉄扉が廃材の坂にポンと置かれていた。

「ま、入ってみよう」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーは斜めに傾いている鉄扉を引き開けた。

 扉の中に入ると、その向こうは別世界だった。廃材の中にあるとは思えない程、見事なジャズ・バーだった。30席ほどある席は、身体置換者サイボーグたちが座り、ほぼ全ての席を埋めている。身体置換者サイボーグたちの視線はステージ上の双子に向けられていた。双子は燃えるような赤いドレスに身を包んでいた。

「あれがアンジェラ・ロベルタか……どっちかわからんな」

 双子はスガから受け取ったアンジェラの立体映像ホロそっくりの顔をしている。二人は完璧なユニゾンを奏でながら歌っていた。

「これで、依頼は達成?」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーが問いかけてきた。

「いや、本人かどうか一応確認しよう」

 双子が歌い終わり、バーが拍手の渦に包まれた。双子は惜しまれつつステージからはけていった。

「楽屋に行こう」

 俺は真鍮飛蝗ブラス・ホッパーの肩を軽く叩き、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉に向かった。

 

 扉の前には、電脳サイバーゴーグルをつけた不愛想な大男が立っていた。この店の用心棒だろう。

「あの私、ロベルタ姉妹のファンでして……楽屋に入れませんか」

「関係者以外は入れられん」

 大男は低い声で答えた。

「まあまあ、そういわず。サインだけですから!」

 俺は瞬間的に大男に近づき、彼の上着のポケットに純金トークンを入れた。

「5分だ」

 大男は退き、扉を開けた。


「ねえ、探偵的にワイロってありなの?」

 楽屋に続く廊下の途中で真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはいった。

「誰も損はしてないし。俺たちも悪い事をするわけじゃない。正統な贈与ドネートだよ」

「ふーん」

 彼女は後ろ手を組み、こちらを片眉を上げて見てきたが、俺はあえてそちらを見なかった。そんなことをしていると楽屋の扉の前に着いた。

 俺は扉を二回、拳の裏で叩いた。

「どうぞー」

 中から陽気な声が帰ってきた。

「失礼します」

 俺たちは扉を開けて楽屋の中に入った。楽屋の中には化粧台がずらっと並び、さまざまな衣装が吊られていた。数え切れないほどの香水と化粧品のニオイがした。

 双子たちは既にドレスを脱いでおり、下着姿になって化粧を落としていた。

「あー、あなたがアンジェラ・ロベルタ?それとも……」

「懐かしい名前ね」

「どちらでもあって、どちらでもないの」

 双子たちは同時に振り向いていった。こうして見ても全く見分けが付かない、まるで鏡合わせを見ているかのようだ。

「どういう意味です?」

「私たち、身体を混ぜ合わせシャッフルたの」

「ほら見て。よく見ると線があるのがわかるでしょ?」

 右に座っている方が、自分の腕を突き出し、肘の辺りをなぞった。確かによく見ると、皮膚にうっすらと筋があるのがわかった。

「右手と左手、右足と左足、右脳と左脳。身体のあらゆる部分を切って、入れ替えて、繋ぎ直したの」

「つまり、私たち二人は半分アンジェラ・ロベルタで、半分ジュリア・ロベルタなの」

 双子は同時にウインクした。

「失礼ですが……なぜそんなことを?」

「私たち、ずっとひとつになりたかったの」

「アンジェラとジュリア、なんかじゃなくて、二人とも均一で同質なロベルタ姉妹になりたかったの」

 双子は全く同じ笑みを浮かべて、微笑んだ。

「……なるほど」

 俺はうなずいた。常軌を逸しているが、拒絶反応のない双子ならではの愛情表現だだ。思わず感心してしまう。

「じゃあ、はいこれ。楽屋に来たって事は、サインでしょう?」

 左にいる方がさらさらと色紙にサインを書いて渡して来た。二人とも均一で同質ならどちらが書いても一緒だということなのだろう。

「また、私たちの歌を聞きに来てね」

 ロベルタ姉妹が投げキッスを飛ばした。

 

「あたし、結構びっくりしてるんだけど。割とこういうのって多いの?」

 家に帰る途中、俺の浮遊自動車ホバー・カーの中で真鍮飛蝗ブラス・ホッパーがいった。

「ああ、割と良くある。依頼人の捜索人がそもそも存在しなかったとかな……この街で自己を精緻に定義するのは難しいんだ」

「これ、本人を見つけたって言えるのかな?」

 彼女は自分のパーカーの紐の先をいじりながらいった。

「契約上はそうなるな。この場合は第二十三免責事項が適応になる。まあ、相手が納得してすぐ金を出すかは……半々だな」

「こんなに苦労したのに」

 彼女は浮遊自動車ホバー・カー広告立体映像アド・ホロの光が、窓の外で流れていくのを見ながら、ため息をついた。

「まあ、なんとかするさ。今日は良くやってくれたな。助かったよ。給料は来月の15日に、今月末までの仕事分と合わせてお前の財布ウォレットに振り込んでおく。今から初めての給料で買うものを考えておくと良い。初月給での買い物は気分が良いものだぞ」」

「わかった」

 真鍮飛蝗ブラス・ホッパーはこちらを向いて、少し微笑んだ。


 私と犬面ドッグフェイスが家に帰ってきた時には、すっかり夜も深まっていた。犬面ドッグフェイスは二人とも疲れたし、仕事の後始末は明日に回そうといいい、二人とも早く床に入る事にした。

「おやすみ」

「ああ、おやすみ。良い夢を」

 犬面ドッグフェイスは少し手を振り、自室へと入って行った。それを見送って、あたしも自分の部屋に入った。

 あたしは正式に自分のものになった部屋を見て感慨深く思った。机の上には没入ジャック・インデッキと立体映像ホログラム投影機プロジェクターが置いてある。部屋の隅には「タコヤキ・フレーバー・チップス」が3箱。クローゼットの中にはあたしの服が入っている。この部屋にはあたしのものしかない。この部屋の中にあるものは全てあたしのものなのだ!

 思わず、ベッドに飛び込む。元々つけてあったピンクの水玉模様のベットシーツはいささか私には可愛すぎる。今度、給料日が来たら買い換えよう。

 水玉模様のシーツを撫でながら、あたしはこのベッドで生まれて初めて熟睡したのだと思いだした。『ウサギ穴』でも、その前の孤児院でも、誰かに見られているという緊張感が常にあり、眠りは浅かった。

 犬面ドッグフェイスはあの日、あたしにこの空き部屋を貸し与えた。小さなベッドに机と椅子、壁際のクローゼットだけしかない部屋だった。しかし、あたしにとってこの部屋は、初めて手に入れることができた他人の監視も干渉もない個人的な空間パーソナル・スペースだった。

 あたしはどうしてもこの部屋を手放したくなくなってしまった。その為に少々強引な手を使ったが、結果的には最も理想的な展開に落ち着いた。

 今日の昼に書いた契約書のことを思いだす。契約書などなくとも、選択肢のないあたしを働かせることなど簡単だろうに、犬面ドッグフェイスはそうしようとしなかった。彼にはこちらに対する敬意があった。上でも下でもなく、平等な一人の人間としてあたしを扱った。ほかの男たちが時折あたしに向けて来た、あの品定めするような視線を向けて来ることもなかった。

 共同生活の中でも、こちらとは常に一定の距離を取り、必要以上にあたしに干渉してくることもなかった。だが、無関心とはまた違う。時々、マナーだとかそういったことについてうるさい事もあったが、それはあたしの事を案じているが故の事だとすぐにわかった。

「親って、あんな感じなのかな」

 あたしは机の引き出しの中にしまった2つの冷凍チキンブリトーの袋のことを思った。ここに初めて来た夜、犬面ドッグフェイスは冷蔵庫から冷凍のチキンブリトーを2つ取り出し、レンジで温めてその片方をあたしにくれた。さらに、犬面ドッグフェイスが食べ始める前に、チキンブリトーを食べ終えてしまったあたしを見て、彼は自分の分のブリトーまで私にくれたのだった。あの後、犬面ドッグフェイスは何か食べたのだろうか?もしかして、何も食べなかったのではなかろうか。あたしはすぐに寝てしまった為に真相はわからないが、何となくそうだと思った。

 犬面ドッグフェイスはなぜブリトーを2つもくれたのだろう?なぜ、何の得もないはずなのにあたしを助けたのだろう?ずっと、不思議だった。だが、一緒に暮らし、仕事をする中でわかった。それが、犬面ドッグフェイスサガなのだ。自分が損をするとわかっていても、困っている相手を見捨ててはおけないのだ。この街を生きていくには余りにも、不器用な犬面ドッグフェイスサガ。時には命取りになりかねないそのサガを嫌いになれないでいた。

 ふと、壁に掛けられた時計をみる。明日もまた仕事があるらしい。早く寝ておかなくては。

「毎日、こうなら良いのにな」

 あたしは明日の仕事の事を思い、眼を閉じた。


 独りで寝るのにも慣れたキングサイズのベッドに横たわり、今まさに寝ようとした瞬間、枕元に置いていた携帯端末が振動した。電話だ。相手の名前を確認すると、九脳ナインブレインだった。俺から九脳ナインブレインに連絡することはあっても、九脳ナインブレインから俺に連絡することはほとんどない。何かあったのだろうか?俺は応答した。

「やあ犬面ドッグフェイス、元気かな?」

 応答すると、携帯端末から九脳ナインブレインの合成音声が語り掛けてきた。

「おお、九脳ナインブレインか。お前からかけて来るなんて珍しいな。こっちは元気にやってるよ。同居人が増えたもんで、騒がしいぐらいだ」

「例のお嬢ちゃんか」

「もう、知ってるのか。流石だな」

 流石の地獄耳だ。九脳ナインブレインのアンテナはその触腕が如く、この街に張り巡らされている。ゴシップから企業のパワーバランスの変化まで、この街で起こったことのほとんど全ては、瞬く間に九脳ナインブレインの知るところとなる。

「ああ、もちろん。君が真鍮飛蝗ブラス・ホッパーを手に入れる為だけに、『ウサギ穴』を潰したっていうウワサもな」

 九脳ナインブレインは笑った。

「なんだそりゃ。尾ひれが付きすぎだろ……まあ、それはいい。お前からわざわざ連絡してきたって事は、なにか本題があるんだろ?」

「ああ、その通りだ。君にはこの情報を知らせる必要があると思ってね」

「情報料はまけてくれよ」

 俺は笑いながらいった。

「いや、これはタダで良い」

 九脳ナインブレインは深刻な声色でいった。

「タダ?」

 俺は思わず聞き返した。九脳ナインブレインが情報に金を取らないことはほとんどない。嫌な予感がしてきた。

「君の義兄あにがこの街に帰ってきた。貨物船に密航してきたみたいだ。宇宙港の近くの監視カメラに顔が映ってた」

「……ヨハンがか」

 ヨハン。俺の警官時代の元相棒。5年前、姿を消したリサの実兄。死んだのだとばかり思っていたが、他の街に行っていたとは。

「教えてくれて恩に着る。九脳ナインブレイン

「くれぐれも気を付けろよ。犬面ドッグフェイス

 九脳ナインブレインは通信を切った。


 俺はベッドボードの引き出しを開けた。そこには短く銃身を切り詰められた垂直二連式ショットガンと実包の入った箱があった。そのソウドオフショットガンの銃身には復讐者リベンジャーと刻印されている。この銃は、かつて俺の祖父から受け継いだものだった。「家族を守れるように」と。だが、俺は結局、家族を守ることはできなかった。

「決着をつけよう、ヨハン。俺たちの復讐に」

 俺は箱から2発の弾を取り出し、ショットガンに込めた。

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