第6話 真鍮飛蝗
「よっ、と」
高層ビルの外壁に取り付き、窓枠に腰を下ろして下界を見下ろす。休日の夜だからだろうか、空中の仮想道路の往来が激しい。
「
不機嫌そうな声が聞こえる。世話役の
「……聞こえてるよ」
「ならすぐ返事をしろ」
「したでしょ?」
「全く、ああ言えばこう言う……くだらないこと言ってる場合じゃない。伝達がある。
「私立探偵?」
思わず首を傾げてしまう。このフラスコ・シティの裏社会において、『ウサギ穴』に干渉することは死を意味する。ただの私立探偵が『ウサギ穴』にちょっかいをかけているのだとしたら相当なアホか命知らずだろう。バックに企業がいる可能性もあるが、それでもだ。
「なんか
「いや?そんな奴見た事ないよ」
この街には目や腕の数を増やしてみたり、触腕や翼を足してみたりする多種多様な
「そうか、まあいい。ああ、それと
見た目が派手か。窓に映る自分の姿を見る。暗い赤毛のボブヘアの上に黒のトップハット。寝不足で血色の悪い顔、目の下にはくっきりと隈がある。服は流行りのスチームパンク・ゴス。まあ、この辺りは普通だ。上半身だけなら学生と言っても通るだろう。だが、腰から下は明らかな異形だった。
「
B級映画に登場する怪物のそれのような両足に力を込め、私は真夜中の中天へと跳躍した。ビルの外壁を蹴り、また他のビルの外壁へと跳ぶ。壁蹴りを繰り返し、高度を仮想道路へと調節する。外壁に設置された
無人トラックの上で寛ぎながらしばらく光の
後方の
「くそっ」
意表を突かれたことで反応が遅れ、追跡することができなかった。あっという間に遠方へと去って行く
「舐めやがって……」
『溝』と、無法者たちが呼ぶ最下層の路地へと着地すると、轟音が響き、路面に蜘蛛の巣状のひび割れが広がった。それに気づいて、
フラスコ・シティが作られて以来、
ここであれば
『溝』は常に湿っぽく、カビのすえた臭いがする。だが、ここには意外にも人通りが多い。光の当たる所には出せない品の取引を求めて無法者たちが集まるからだ。路地の両脇にはズラリと露店がならび、それぞれの店が何らかの違法な物品を扱っている。右腕をカニのハサミのような違法改造
目指すのは旧下水道へ繋がるマンホールだ。『ウサギ穴』に帰る為には様々な方法があるが、ここからならば放棄された旧下水道を通るのが一番近い。旧下水道の入り口を知るものは少ないし、旧下水道に入ってしまえば
しばらく、通りを進むと廃材でできた小屋があるのが見えた。
「あそこだ」
小屋の全周には黒いボロ布が被せてあり、中が見えない様になっていた。『
「座ってください」
易者は柔らかい笑みを浮かべて、机の手前にある椅子に座る様に右手で促した。あたしは椅子に座った。小屋の中は何かの香が焚いてあるようで、甘い匂いがした。
「探し物がある。占ってくれ」
「ふむ、その探し物とはどういったもので?」
易者は首をかしげていった。
「キノコのキーホルダーだよ。真っ赤な傘に白い斑点がついてるやつ。大きさはヒヨコ豆くらいかな。ここに付いてたんだ」
あたしは携帯端末を見せた。
「随分小さいですね」
「だからなくしたんだ」
あたしは決まり通りに右の口角だけを上げて微笑んだ。
「探し物は意外と身近にあるものかもしれませんよ?例えば、足元とか」
易者は机を自分の方に引いた。机の下に隠れていたマンホールが露わになった。
「……白い鰐に気を付けろよ。
易者は冗談めかした口調でいい、マンホールの蓋を開けた。あたしはマンホールの中に入り、旧下水道へと降りて行く梯子につかまった。
「わかったよ。どうも、ケイド」
あたしが礼をいうと、易者に化けていたケイドはマンホールの蓋を閉じた。
旧下水道の中にはもう汚水は入らず、雨水だけが流れている……事になっている。だが、『溝』の住人の生活排水が時折流れ込んで来るらしく、衛生的とはいえない。
念のため、
ルートに従ってしばらく歩くと、行き止まりにぶつかった。天井が崩落しており、その先には進めない様に見える。だがそれに構わず突き進むと、光学的に偽装された
「
「承認完了。お帰りなさい」
虹彩認証が済むと、どこからともなく合成音声が響き、防壁に取り付けられた扉が開いた。『ウサギ穴』のアジトは旧下水道の一部を改築したもので、長い通路が複雑に入り組んだ形をしている。
「遅かったじゃないか」
扉の中に入るとそこには不機嫌そうな顔をした
「ふん、
「
彼はもともと「穴喰い芋虫」の異名を取る凄腕のハッカーだったという。だが、ある日付け上がった彼は腕試しのつもりで『ウサギ穴』へとハッキングを仕掛けた。それが運の尽きだった。『ウサギ穴』に逆探知され、捕らえられた彼は、その名の通りの芋虫型の義体へと強制的に押し込められ、こき使われているという訳だ。顔だけが人間の巨大な芋虫。それが
「例の犬につけられたのをまくのに時間が掛かったんだよ」
「なんだと?ちゃんとまいたのか?」
「だからそう言ってる。女王の所に行ってくるから。じゃあな」
「お、おい待て!くそっ」
芋虫がその身体を波打たせてこちらに追いすがろうとしたが、その歩みはあまりにも遅く、こちらに追いつくことはできそうもなかった。
『ウサギ穴』で謁見室と呼ばれる女王の居室に入り、あたしは跪いた。謁見室は全ての調度品が赤で統一されている。壁紙も赤、ベルベットの絨毯も赤、天蓋も赤、女王が《クイーン》座る巨大なベッドも赤だ。
「
「顔を上げなさい」
部屋に野太い声が響いた。顔を上げるとそこには、機械と肉でできた巨大な人面カエルの様な人影があった。この人こそ『ウサギ穴』の主人、
昔はこんな風ではなかった。孤児院に居たあたしを引き取り、身体拡張手術を施した頃は。胡散臭く、仰々しい喋り方は同じだが、こんな醜い姿ではなかった。あの頃はまだ気品があった。美を追い求め、迷走し、数え切れないほどの
精神も身体と同じように歪んでいった。いつからか、とある童話に固執するようになり、
「子ウサギちゃん。頼みたいことがあるの。この前連れてきた新人ちゃんの面倒を見て欲しいのよね」
『ウサギ穴』の主な「仕事」は、買うなり、誘拐するなりした人間に身体拡張手術を施して付加価値をつけ、高価で売ることである。稀に、
「まだ手術はしないのですか?もう半年になるはずですが」
「あの子には特別な
「それで……あたしに子守をしろと?」
今回、
さらわれてからそれほど日が経たない頃は、私は大企業の令嬢でありお前たちなどすぐに父に始末されるのだと一日中叫んでいた。最近は少し静かになったはずだが、
「歳も近いし、良い友達になれると思うのよね。
「……仰せのままに」
あたしは
「よお、
ジャックは愛用のプラズマ・ブラスターを撫でながらいった。この『ウサギ穴』では
「別にいいけど。顔を見たのも一瞬だったから……」
「なんだアレ」
「アレってなんだ……アレか。
ジャックはため息をついた。しかし、ジャックの予想に反してその煙は尋常のものではなかった。換気扇から流れ出たピンクの煙は集まり、やがて意味ある形を取った。犬だ。
「まさか……
ジャックは息を呑んだ。
同じ犬といっても、
「抵抗は無意味だ。投降しろ」
「襲撃だ!」
ジャックが叫んだ。戦闘員たちが一斉に銃を構え、
「抵抗は、無意味だ」
「退避、退避!」
ジャックが戦闘員たちに指示を出す。戦闘員たちは踵を返して逃げ出した。だが、一番距離の近かった戦闘員は逃げ切れず、霧の偽足に捕まった。
「ちくしょう!」
戦闘員は腕を振り回し、
「たすけ……」
霧が戦闘員の全身を繭のように包み込んだ途端、戦闘員は急に大人しくなり、身体は力を失って床に倒れた。断末魔の叫びを上げることもできなかったようだ。
「応援をよこしてくれ!E-3通路に侵入者!」
ジャックが走りながら無線に向かって叫んだ。だが、応答はなく、無線機はジージーとノイズ音を発するだけであった。
「クソっ、ジャミングか……手榴弾!」
ジャックが戦闘員に指示を飛ばした。二人の戦闘員が手榴弾のピンを抜き、迫り来る霧の偽足へと投げた。
「閉鎖!」
ジャックがアクリル板をぶち破って壁に設置された赤いボタンを押し、通路の緊急遮断装置を作動させた。ブザー音と共にぶ厚いシャッターが霧とあたしたちの間に降りて、通路を閉鎖した。一拍置いて、シャッターの向こうから大きな振動が響いてきた。手榴弾が爆発した様だ。
「しばらくは持つ筈だ。気密性の高い防爆シャッターだ。そうそう簡単には……」
ジャックは喋るのを止めた。シャッターから振動音が聞こえ、それがだんだん大きくなっていく。その振動が最高潮に達した時、シャッターはひしゃげ、吹き飛ばされた。高速で飛んだシャッターの進行方向上にいた戦闘員が不運にも真っ二つになった。
シャッターがあったその向こう砂煙の中から人影が現れた。先頭に立っているのは
この襲撃はずっと前から計画されていたものだ。昨日の今日の話ではない。本気で『ウサギ穴』を落としに来ているのだろう。
「
ジャックが叫んだ。
「わかった!」
「遅延戦術で抑え込む!やるぞ!」
戦闘員たちが侵入者に対して武器をむけた。あたしは銃声を後にして、通路を全力疾走した。
「
「保護目標はこの先だ。行け、確保を優先しろ。ここは俺に任せろ」
あたしは独り残された
「お前、あたしをつけたのか」
「臭いを追ってな。まあ、お前だけじゃないが」
「どういうことだ」
「半年前、俺はある大企業の社長から依頼を受けた。行方不明の娘を探して欲しいという依頼だ。調査の結果、『ウサギ穴』の仕業だとわかった。だが『ウサギ穴』は市警も手が出せない強力な犯罪組織だ。誘拐された娘さんを助け出すことがそもそも難しいし、助け出したとしても報復は免れない。だから、俺の依頼主は傭兵をかき集めて
まさかあの少女の言っていたことが本当だったとは。
「とにかく、俺は外に出て仕事を行う『ウサギ穴』の外征メンバーを中心に調査を続けた。『ウサギ穴』の場所は地下にあるというウワサがあるぐらいで、謎に包まれていたからな……ここの特定に丸4ヶ月かかったよ」
「なぜ、この前あたしの目の前に姿を現した!?」
「お前がミスすることを期待してだ。お前は『ウサギ穴』の外征メンバーの中で最も若く、未熟だ。それがここ2ヶ月での観察の結論だ。最後に残された『溝』からの入り口を探すために揺さぶりを掛けたんだ。『溝』のどこかに『ウサギ穴』に続く入り口があることはわかっていたからな。お前に案内して貰った。最後の仕上げって訳だ」
「あたしが未熟だと」
頭に血が上り、顔が真っ赤になるのがわかった。
「そうだ。挑発されたお前が感情的に動くことは分かっていた。焦って安直な行動を取ることも」
「殺されたいようだな」
怒りのあまり歯を食いしばってしまう。ギリリと奥歯がこすれる音がした。
「いやいや、そんなことはないぞ」
「じゃあなんのつもりだ」
「うん?そうだなあ」
「時間を稼ぐつもりだ」
「なに――」
「目標の確保は成功した。俺の役割は終わった。じゃあな」
「ま、まて!」
白い煙がそこら中に充満し、あたしの視界は完全に
「あのクソ犬野郎!」
ここまでコケにされて我慢できるほどあたしは慈悲深くはない。だがこれ以上は――いや、一つだけ
あたしは決心し、全力で走り始めた。
旧下水道にあたし以外にもう一つの足音がするのがわかる。一度は見失ったが、今度は逃がしはしない。目の前のT字路の右の方から何かの光が漏れているのがわかる。あそこだ。
「追い付いたぞ!」
あたしはカーキ色のトレンチコートを着た後ろ姿に声をかけた。
「ほう、これは意外だな。振り切ったと思ったんだが。どうやって俺の場所がわかった?」
「勘だよ。『ウサギ穴』からの出口は4つ。25%の当たりを引いたって訳だ」
「勘か……参ったな」
「お前の方が俺より探偵に向いてるかもな……それはそうと、お前は
「もう
あたしは
「どこまであたしを舐める気だ!」
今の攻撃は殺す為のものではなく、明らかにこちらの
「俺には俺の流儀がある。それをとやかく言われる筋合いはない」
弾を撃ち尽くしたらしい
「凄いな、猫みたいだ。そのまま自滅してくれれば良かったんだが」
「なんだ今のは」
「バリツだ。私立探偵の嗜みだよ。柔術と杖術を高度に融合させた護身術……俺の場合それに捕手術も足してるがね。この
「くそっ」
あたしは思わず悪態をついた。まさか、ここまでやり手だとは。ただの私立探偵じゃないのか?このやり口は市警の重機動隊にも似ている気がする。
「来ないのか?まあ、俺は急がないから良いがな」
この言動、もしや仲間に増援を頼んだのか?そうだとしたらマズイ。勝負を急がなければ。いや、さっき
「うおおおおっ」
あたしは叫びながら突進した。考えてもどうせわからない。わからないのならやって後悔する方が良い。
「取った!」
手ごたえアリだ。杖の防御が間に合わなかったらしく、右手で蹴りを受けている。
「喜ぶのが早いな」
千切れ飛んだ
「うわっ!」
その液体は発泡し、千切れ飛んだ
「うっ……この」
これは簡易発泡バリケードのようだ。この程度のもの、
「じゃあな。おやすみ」
「よお、婆さん。元気そうだな」
「あんたも機嫌良さそうだねぇ、
「まあな、これで方々へのツケも返せるってもんだ。しかも、次の仕事も決まってるんだ。やっと運が向いてきたぜ」
今回の仕事は完璧だった。依頼通りに依頼主の娘を無事に連れ戻せたし、
「ああ、そうだ。そんなことよりもね。あんたの部屋の前に女の子が座ってたよ。しかも、ずぶ濡れでね」
「女の子?ずぶ濡れの?」
さっきまで雨が降っていたのは確かだった。しかし、それは大気の清浄化の為の計画的な降雨だった。誰でも事前に雨が降ることを知れたはずだ。ずぶ濡れになるなんて、そんなことあるだろうか?
「あんたに限ってそんな事はないだろうけどさ。若い女の子に手を出して泣かしたってんなら、わたしゃ許さないからね」
マーガレット老は拳を握り込み、殴りかかるようなジェスチャーをした。
「おいおい、待ってくれ。そんな事しないよ……まあ、急いで部屋に戻ってみるよ。依頼人かもしれないしな」
「なら良いんだけどね」
マーガレット老はとりあえず納得したようで、自分の
「……いやな予感がするな」
良い事ばかり続かないのはいつもの通りだ。俺は先ほどとは打って変わって、重い気持ちのまま自分の居住区画に戻った。
エレベーターを降り、いくつか角を曲がって俺の部屋がある廊下に差し掛かると、確かにマーガレット老の言う通り、部屋の前に雨に濡れた若い女性が座っているのがわかった。しかも、見知った顔だった。
「よくここがわかったな」
「……看板」
「ああ?ベランダに置いといたヤツか。良く気が付いたな。アレ見て来たのはお前が初めてかもな」
開業した時に勢いのまま作った看板だったが、この
「……」
「ふん、それで?俺に復讐しにきたって訳か?」
「何もかもなくなった。全部……」
「お前と同じように、俺は俺の仕事をしただけだ。呪うならお前の立場と不運を呪うんだな。こんなご時世だ。犯罪組織に属してたのが悪いなんて言わないさ。負け馬に乗ったのが悪いのさ」
返事はなく、彼女がすすり泣く声だけが廊下に響いた。
『ウサギ穴』が壊滅した事で、彼女は寄る辺をなくし、完全に途方に暮れてしまったのだろう。仇であるはずの俺を訪ねる事しかできないほどに。皮肉にも、それが彼女に残された最後の縁だったのだ。
「ふーっ、しょうがない。来い」
俺は自分の部屋のドアを開け、手招きをした。
「えっ?」
「シャワーと乾いたタオルくらいは貸してやる。濡れたままだと風邪引くぞ?」
しばらく、
「わかった。冷蔵庫に冷凍のブリトーがある。シャワーを浴びて、身体を温めたら食って良い。めそめそするのはもうやめて中に入れ」
そう思いながら、俺も
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