第4話 おかえりまでは美しく 後編
「入ってくれ」
ひげ面の男に促されるままに入った105号室は飛行機やロケットの模型、旧時代の記憶保存媒体が心狭しと陳列されており、さながら博物館のようであった。室内は足の踏み場もなく、人間の生活より収集物が優先されていることは明らかだった。ふと、そのうちの一つ、棚の最も高い場所に陣取り、ガラスケースに入れられた金色の円盤が目に入った。
「そいつはボイジャーのゴールデンレコードだよ。レプリカだけど。あんたボイジャー探査機のこと知ってるか?」
「いや」
「太陽系の外惑星や太陽系外の探査のため、1977年に打ち上げられた2機の無人宇宙探査のことだよ。このゴールデンレコードは
「宇宙人宛のボトルメール……」
昔の人間は随分ロマンチックなことをしていたようだ。宇宙に向かってボトルメールを送り出すとは。受け取ってもらえる確立は文字通り天文学的だろう。
「ボイジャー探査機のことは昔の人間ならみんな知っていた。教科書にも載ってたぐらいだ。だが、長い月日が経って……いまでもボイジャー探査機が宇宙を冒険してることを皆忘れてしまった。大戦争があったからじゃない。人類が地球に引きこもるようになったからだ。
ひげ面の男は自分の顎ひげをなでた。その眼は遠くを見つめ、深い絶望と諦観を感じさせた。
「でも俺はそれじゃいけないと思ってる。人類は宇宙に進出すべきなんだ。実際、世界人口は減り続けてる。このまま地球で枯死することはない。俺が航空宇宙関係の情報収集をしてるのはその為だ。いつかまた人類が星の光を目指すとき、過去の叡智がきっと役に立つ。いま、旧世代の記憶媒体をかき集めて情報を抜いてるところだ。紙媒体もあるから時間はかかるだろうが……」
ひげ面の男ははっとしてこちらに向き直った。
「あんた聞き上手だ。話過ぎてしまったな。つい自分の好きな話になると……座ってくれ。いや、二人座る場所がないな……」
「いや、良いんだ。それより、さっきはあんたのクドリャフカに失礼をしたな」
「最近となり部屋のチンピラに難癖つけられてな……あまりにしつこいんでクドリャフカに無理に押し入ろうとする輩は全員ぶった切っても良いって言っておいたのが悪かった」
治安のこともあるんだろうが中々過激だな……この
「クドリャフカは泡だらけになっていたが……大丈夫なのか?」
ひげ面の男が不安そうに言った。
「大丈夫だ。あれだけ馬力もあるアンドロイドならもう自力で脱出してるだろう」
「よかった。粗野で言語野もずいぶんダメになってきているが……大事な同居人なんでな」
ひげ面の男は安心したようにため息をついた。
「ああそうだ、自己紹介がまだだったな。俺は
「俺は
「早速だが……実は、聞きたいことがあってきたんだ。この写真を見てくれ」
俺は防弾トレンチコートの内ポケットからライラに預かった写真を取り出し、
「この男について知りたいんだ。2105年から2110年の間にホーライ宇宙センターで撮られたものだ。わかりそうか?」
「ああ、わかる」
「流石だ。調べるのに時間はかかりそうか?」
「いや?調べることはないよ」
「調べるまでもない。彼はアレックス・カーターだ」
「ご主人様は留守です」
「同じこと繰り返してんじゃねえぞ。ポンコツ!」
「さっさと
クドリャフカと話しているのはスキンヘッドで筋肉質の男と長髪をショッキングピンクに染めた痩せ形の男だった。105号室の扉を閉める音でこちらに気づいたようで、2人の男が詰め寄ってきた。
「てめえ、隣に越して来たつうのにアイサツもなしとは。ふざけてんのか?」
スキンヘッドの男がいった。
「手土産ぐらいよこせや。この
ピンク髪の男がいった。
「まてまて、俺は
「しらばっくれるんじゃねえ」
ピンク髪の男が防弾トレンチコートの襟首をつかもうとした。
生身の人間が素手でなにをしようと、全身を機械置換した
「があああっ!」
ピンク髪の男が叫んだ。
「兄貴!てめえ、兄貴を放しやがれ!」
こっちが兄なのか――と思っていると、スキンヘッドの男がバタフライナイフを取り出し、突いてきた。右手でピンク髪の男の右腕を捻り上げつつ、バタフライナイフの刃を左手の親指と人差し指の間に挟み、止めた。
「バカな!」
いくら力を入れて押し込もうとしてもびくともしないバタフライナイフの刃を見て、スキンヘッドの男は驚いた。
「喧嘩を仕掛ける相手は選ぶことだな」
俺はおとなしくなったピンク髪の男を離してやり、バタフライナイフを押し返した。2人の男は力を失い、膝から崩れ落ちた。
「特に
「はい」
しおらしく、2人の男は答えた。全く、いままでよく生き残ってきたものだ。たまたま押し入ろうとしていなかったからよかったものの、一歩間違えれば、クドリャフカになます切りにされていた事だろう。
「もう
「はい、もうしません」
2人の男は深々と頭をさげた。これで、
階段でイネス宇宙港第二展望台に登り、発射場を眺めると、月のヘリウム3採掘基地を目指す貨物船が打ち上げられるのが見えた。貨物船をよく見るとアストラエア・フロンティア社の社章が入っているのがわかる。翼を広げた女神が空を目指して羽ばたく姿を模式化したものだ。発射された貨物船を目で追いかけると、西日を受けて輝きながら、
誰かが階段を登ってくる音を聞き、そちらの方に視線を移すと、ライラが階段を登り終えるのが見えた。
「呼びつけてしまってすみません。ライラさん」
「今回はちゃんと先に来てたじゃない。
ライラは金糸のような髪をなびかせ、腰に右手を当てていった。
「まず、この写真をお返しします」
「あら、丁寧に扱ってくれたみたい。ありがとう」
ライラは写真を受け取り、写真の男の顔をなぞった。
「それで……この男はどこにいるかわかった?」
「はい、わかりました。彼はいま……3光年ほど彼方の宇宙にいます」
ライラは展望台の手すりに寄りかかり、発射場を眺めた。
「詳しく聞かせて?」
ライラの表情に変化はない。やはり驚きも疑問もないようだ。沈みつつある夕日に照らされたその横顔は、ひたすらに穏やかだった。
「彼の名前はアレックス・カーター。アストラエア・フロンティア社の宇宙飛行士です。いまからちょうど100年前、2108年9月5日に打ち上げられた有人探査機、アストラエアⅢのただ1人の搭乗員でした」
「それで?」
「アストラエアⅢは宇宙移民に適した
ライラの目からはとめどなく涙が流れていた。
「大丈夫……大丈夫だから」
ライラはハンカチで涙をぬぐった。
「随分詳しく調べてくれたのね。探偵さん」
「ええ、失礼ながらあなたの事も。ライラ・アストラエアさん」
「ああ、全部お見通しってわけ。そう、私がアストラエア・フロンティア社の代表ライラ・アストラエア」
ライラは観念したように肩を下げ、いった。
見た目では十代後半の少女でしかないこのライラがフラスコ・シティ唯一の宇宙港を仕切るアストラエア・フロンティア社の頂点なのだ。
「本当に失礼な人。レディの秘密を探るなんて」
「その件については申し訳ございません」
「お互いさまだから別にいいけど。私も行方の知ってる人を探してくれなんていったんだから。依頼の情報提供の際に虚偽があった場合、契約は破棄……だったっけ?」
「もう、依頼は果たしてしまいましたから。構いません。ですが……2つほど質問が」
「言ってみて」
ライラはこちらに振り向いていった。
「なぜこのような依頼を?アレックス・カーターはあなたの――」
「婚約者だったのに?そうね、不安になったからかな」
「不安に?」
「そう、誰の言葉だったか『忘れられた時に人は二度目の死を迎える』って言うでしょ?そうしたら、まだ生きてるのに誰からも忘れ去られた人間はどうなるんだろうって思ったの。私以外、彼の事覚えてる人間はもうこの世に居ないんじゃないかって。ちょうど今年でアストラエアⅢの発射から100年にもなるし」
夕日が完全に沈み、一気に気温が下がった。イネス宇宙港第二展望台の2人を照らすのは弱弱しい電灯だけとなった。
「かわいそうじゃない?もしそうだったら。婚約者より宇宙を取るような男だったから、自業自得かもだけど。……でも居たんだ。彼の事を覚えてくれる人が私のほかにも。よかった」
ライラの頬をまた涙が濡らした。
「彼の事を、待っているんですか」
「人類のために8光年以上も旅したあとなんだから、一人ぐらいは『おかえり』って言ってあげる人が居てもいいじゃない?」
ライラはそういって笑った。
それはどれほどの決意なのだろう。1人の男のために孤独と老いに耐え、240年も待ちづづけるというのは。ただ待つだけではない。
「でも、自信がないの。せめて彼におかえりを言うまでは美しくあろうと思ってたのに。見た目は
「いえ、そんな」
「彼が地球に帰ってきたとき、待っているのが婚約者の皮を被った250歳のバケモノだなんて最悪でしょ。もしそうなったら。彼に拒絶されたらと思うと私……耐えられない」
ライラは震えながら自分のワンピースの裾を強く握った
「あなたが醜いなんてとんでもない。彼はあなたの誠意を必ずわかってくれますよ」
「そうかな」
ちょうどその時、発射場に月のヘリウム3採掘基地から戻ってきた貨物船が見えた。貨物船は発射を逆回しにするように垂直に着陸した。噴射炎の光がライラの顔を照らした。
「きっとそうです。彼はあなたを拒絶したりしません。それに彼を覚えているのはもう1人ではない。私も彼の事を知りましたから」
思わずライラの両肩に手をかけている自分に気づき、手をひっこめた。
「ああ、失礼。踏み込んだことを言い過ぎました。忘れてください」
「いや、いいの。やっぱりあなたに依頼してよかった」
「そういえば、もう一つ質問が」
「なに?」
ライラは首を傾げた。
「なぜ私に依頼したんです?」
「だってあなた、彼が飼ってた犬に似てたんですもの」
そう言われた瞬間、写真にはアレックス・カーターだけではなく一匹のゴールデンレトリバーも映っていたことを思い出した。
あいつか。
「ただいま」
自室の玄関を開けて、『おかえり』と返ってくるはずはない誰も居ない部屋にそういうと、玄関のハンガーラックへ防弾トレンチコートとハンチング帽を掛け、客間に置いてあるソファに座った。天井を見上げるといつもと変わらない染みだらけの壁紙がそこにはあった。
ライラの戦いはまだ続くのだろう。まだ道半ばですらないのだから。これまで以上に辛いものになるはずだ。しかし、別れた時のライラの顔は憑き物が落ちたように爽やかだった。
確かにアストラエアⅢが無事に帰ってくるかもわからない。アレックス・カーターだってもうとっくの昔に死んでいるのかもしれない。だが、ライラとアレックスが再会することを祈らずにはいられなかった。
「良い再会になるといいが」
ふと、机に伏せて置いてある写真立てを久し振りに元に戻し、電源を入れて眺めた。写真には肩を並べて微笑む男女の姿が映っている。まだ犬面でなかった頃の自分、そしてその隣にはまだ妻でなかった頃の彼女が―――
感傷に浸るのはやめにしよう。
写真立てを再び伏せ、携帯端末を確認した。すると1件のメールが届いていた。
「どれどれ……新しい依頼だ!」
素晴らしいペースだ。前回に続いてこんなペースで依頼が届くとは。興奮を抑えしつつ、メールの文面を確認した。
「ふむ、犬の捜索……またか」
何か勘違いされているのか、この犬面探偵事務所には飼い犬の捜索願いが来ることがある。人探し専門だといつも言っているのに。しかし、飼い主にとって犬とはただのペットではなく家族であることも重々承知している。無下に断る訳にもいかない。もっと詳しい情報を求める文面のメールを打ちつつ、まあ依頼料は貰えるからいいかなどと考えているうちに夜は更けていった。
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