第2話 おかえりまでは美しく 前編

 俺は犬面ドッグフェイス。私立探偵だ。もちろん本名ではないがそう呼ばれているし、通りが良いので自分からもそう名乗るようになって久しい。追跡用の拡張体サイバネ電脳鼻口部サイバー・マズルを駆使して人探しをするのが俺の仕事だ。

 俺がイネス宇宙港を訪れたのは他でもない。依頼主に会うためだ。旧友を探して欲しいという依頼メールが届いた時は良い仕事が舞い込んできたと小躍りして喜んだが、それは最初だけの事であった。

 依頼主はライラと名乗った。しかし、自分の素性についてはそれ以上話さず、依頼内容については「一度会って話したい」の一点張りであった。経験上、電脳空間サイバー・スペースでの面会でもなく、現実空間で実際顔を合わせたいと言い出すのは、かなり厄介な相手のことが多い。大体はコンピュータ技術を悪とする懐古主義者か、あるいは電脳空間サイバー・スペースを経由させたくない程の秘密の依頼か、このどちらかだからだ。

 依頼を断ろうとも考えたが……万年金欠の私立探偵に贅沢を言う余裕はない。とりあえず依頼人のライラと会う約束を取り付けた。その待ち合わせ場所がイネス宇宙港の第二展望台だった。


 36回目のコーラの広告アドムービーを見終えると、広告アドタクシーがイネス宇宙港第二展望台近くの駐車場に停まった。タクシーから降りると 月のヘリウム3採掘基地を目指す貨物船が発射場から打ち上げられるのが見えた。

 アストラエア・フロンティア社が経営するイネス宇宙港はこのフラスコ・シティ唯一の宇宙港である。人類の関心が完全に宇宙空間アウター・スペースから電脳空間サイバー・スペースへと移り、宇宙開拓の夢が潰えた今ではかつての栄華は見る影もない。しかし、月と地球を往復する貨物船や軌道上に実験基地を持つ企業の旅客船の定期便は必要な為、それなりの需要があるらしい。


 発射された貨物船を目で追いかけると、西日を受けて輝く貨物船が泡状障壁バブルに近づくのが見えた。泡状障壁バブルに丸い穴が空き、その穴を貨物船が通り過ぎると、すぐに穴の径が縮まり塞がった。

 街の最縁部にあるこのイネス宇宙港からは、街をすっぽりと包み込むように貼られたほぼ透明な泡状障壁バブルがよく見える。我らがフラスコ・シティを守る為に造られた強靭かつ柔軟な防壁は、都市間戦争で無計画にバラ撒かれた自律戦闘機械から今日もこの街を守っているのだ。


 空を眺めるのをやめ、駐車場から第二展望台へ続く階段を昇って行く途中、俺は腰のホルスターの重さを意識せざるを得なかった。依頼主がどんな人間かわからないからだ。梅花メイファ.50、私立探偵になる前からの相棒。ハイエントロピー合金フレームの回転式拳銃リボルバー。生身の人間では射撃することすら困難な特大拳銃ハンド・キャノンの確かな重さだけが俺の緊張を和らげた。

 階段を登り切り、第二展望台に着くや否や一人の少女に声をかけられた。

「あなた、随分遅いじゃないの」

 少女は細い眉を歪ませ腕を組んでいた。明らかに不機嫌である。

 腕時計の時間を確認すると約束の時刻の10分前であった。

「17時ちょうどにイネス宇宙港の第二展望台で待ち合わせ……ではありませんでしたか?」

「時間に間に合えばいいって訳じゃないの。レディを待たせるなんて!」

「それは失礼いたしました」

 俺は思わず自分の電脳鼻口部サイバー・マズルを撫でた。

「ところであなたが人探しを犬面探偵事務所に依頼した……ライラさんで間違いありませんね?」

「その通り。あなたが犬面ドッグフェイスなのは間違いないでしょう?その犬みたいな耳に鼻。そんな拡張体サイバネしてるのはこの街でもあなたぐらい」

 ライラは胸をはり、ふんと鼻を鳴らした。

 俺は悟られぬようライラを観察した。身長は154 cm位、金髪、碧眼、痩せ形、服装はクリーム色のワンピースにクロッシェ、1920年代のリバイバル・スタイル。見た目は十代後半か。だが……ライラの所作に違和感を覚え、電脳鼻口部サイバー・マズルで臭気の分析を行った。

 ヒュドラルギュルム社の新作香水の中に混ざっているこの臭い。衰えた新陳代謝の臭いは、ライラが見た目通りの年齢ではないことを示していた。ライラの整った童顔、花も恥じらう乙女としての外見は抗加齢アンチエイジング技術の結晶なのだろう。しかし、いくら優れた抗加齢技術を持ってしても老いから完全に逃げ切ることはできない。どこかに紛らわすことのできない歪みが生じる。とはいえ、これほど抗加齢に金をかけられるとすると、かなりの金持ちであろう。他の方法もあっただろうに、わざわざ一介の私立探偵に依頼したのか理由が気になる。ますます嫌な予感がしてきた。

「でしたら早速依頼内容についての確認をしてもよろしいですか?メールだと旧友の捜索という話でしたが」

「そう、この人を探して欲しいの」

 ライラはそういうと一枚の写真を差し出した。このご時世に写真を印刷プリント・アウトするとは。かなりの数寄者らしい。

 ライラから写真を受け取って見ると、黒髪で筋肉質の男が一人、こちらに微笑んでいるのが写真に映っていた。男はつなぎを着ており、カラフルなパラソルの下に置かれた椅子に座って、足元に寄り添うゴールデンレトリバーの耳の後ろを撫でている。男の後ろには滑走路があり、その背景には荒涼とした荒野が広がっていた。

「この写真を撮ったのはいつごろかわかりますか?」

「いいえ、わからない」

「この方の名前は?」

「知らない」

「……旧友のはずでは?」

「あの人私には偽名を使ってたの。だからあなたに依頼してるわけ。わかる?」

 嘘だ。臭いを嗅がずとも目線と仕草で分かる。やはり何かしら秘密にしておきたい事があるのだろう。しかし、とりあえずこれ以上の追及はやめにしておくのが吉だ。言いたくないことまで聞き出すことはない。

「捜索に使える資料はこの写真だけ、ということですね?」

「その通り。まさか断ったりしないでしょうね?腕利きの探偵さん」

 ライラはまた腕を組んだ。

 わずかな発汗、心拍数の上昇。ライラは表面上強がっているが不安を感じているようだ。どんな秘密を抱えているかはわからないが、この写真の人物の捜索が切実なものであることは確からしい。

「……分かりました。お受けします。後ほど送信する契約書の内容をよく確認して署名を。あと、この写真をお借りしてもよろしいですか?」

「ええ、だけど必ず返してよね。大切なものだから」

「はい、もちろんです」

 写真は防弾トレンチコートの内ポケットに入れた。ここが比較的安全だろう。

「じゃあよろしくね。探偵さん」

 ライラははじけるような笑顔を見せた。今までとは人が変わったようだった。最初の高圧的な態度も不安からくるものだったのだろうか。

「それでは失礼」

 頭のハンチング帽を右手で取り胸へと当てて軽く会釈をし、第二展望台を後にした。階段を降りて駐車場に戻ると、いつもの愛車ではなく広告アドタクシーでここまできた事を思い出した。もちろん、ここまで乗ってきた広告アドタクシーは他の客を求めて飛び去った後だった。移動中に客に広告アドムービーを見せることで得られる広告費で成り立っている無人無料の広告アドタクシーを長時間待たせておくことはできない。

「全く恰好がつかないな」

広告アドタクシーを呼びながらつぶやいた言葉は、宇宙船の発射音にかき消された。

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