第144話 シャル爺の愚痴

 中庭は自然に囲まれ、芝生が広がっている。


 爺さんは中庭へ続く小さな段差に腰を掛ける。

 俺もそれに習い、隣に座る。


「ベルお嬢様は、学校ではどうですか?」


「どうって……昼間も言ったように楽しそうにしてるよ」


「そうですか……お嬢様の話を聞いてもらえますか?」


 そう言って爺さんはこちらを見る。

 さっきまでのただの溺愛爺さんではないようだ。


「俺でいいのか? ドロシーとかいるだろ」


「はい。ドロシー様は良くも悪くも近すぎます。それにあの方は自分で努力することを知っている……自分の力で切り開けると理解している方です」


 爺さんの言う通り、ドロシーは自分で努力することを知っている。

 ――まあそうせざるを得ない環境だったってのもあるけど。


「ベルお嬢様の気持ちを理解することはできても、共感することはできない。それは別に悪いことではありません。隣で親友として寄り添う、それだけでベルお嬢様の力にどれだけなっていることか」


 そう言って爺さんは何処から取り出したのかコーヒーのカップを差し出してくる。


 夜はもう肌寒い。


 俺はそれを貰うと軽く会釈する。


「あの二人は仲良いからな。いっつも一緒にいるし」


「ははは、微笑ましいですな。ドロシー様は小さい時からよくこの屋敷に来てはベル様と遊んでいました。それはもう本当の姉妹のように」


「……本当の姉妹。はは、あいつらに子供の頃があったと思うと可愛らしいな。特にドロシー」


「誰にでも子供の頃はあるものです。……それで本題は――」


「ベルの姉ちゃんか」


 爺さんは短くため息を付き、頷く。


「リオンお嬢様は小さい頃から才覚を発揮しておられました。それにあの明るい物怖じしない性格……それはそれは可愛がられて育てられました。もちろん、私もリオンお嬢様は好きです。ただ……こと姉妹という関係になるとそう単純にいかないのです」


 姉妹か……。

 どういう関係なのか、俺にはわからないな。


「ギル様、ご兄弟は?」


「いや、いないけど……」


「そうですか……。あのお二人は特殊なんです。魔術の才能に長け、もっともロア家の力を引き継いで生まれたと言われ、その性格も明るく自由奔放。誰からも愛される外に出しても恥ずかしくない長女。……片や、魔術に関しては姉に勝てないと両親からも言われ、姉に劣等感を抱き、引っ込み思案な性格に育ってしまった奥手な次女。それでも容姿がエレナ様そっくりで、まるでロア家の顔のように注目されてしまうジレンマ」


 あぁ、そうか。

 そこがこじれているのか……。


 嫌でも注目を集めてしまうベルと、その実力と性格で注目を集める姉のリオン。

 ベルにとってそこのギャップが耐えられないのかもしれない。


 俺からすれば、ベルも十分な実力に見えるんだけどな……。


「リオンお嬢様はきっと何も思っていないでしょう。本当に自由な方ですから。純粋にベルお嬢様を自分より下に見て、純粋にベルお嬢様をただの置物だと思い、そして純粋に妹として愛している。……でも、ベルお嬢様にとってそれは耐え難い苦痛なのです」


 そう言って爺さんは一呼吸置き、コーヒーを啜る。

 

「両親も、魔術に関しては完全にベルお嬢様を意識していません。良くも悪くも、リオンお嬢様さえ魔術が優れていればそれで良いと思っていますから。それでも、ベルお嬢様にはそれが耐えられなかった。だからこそ、リオンお嬢様と同じロンドールで力を示し、見返したかった。――けれどさっきの夕食の通り」


「姉ちゃんにとってはただ、今まで通り自分の後ろをついてきただけにしか見えていないと……」


 爺さんは悲しそうに頷く。


「そして旦那様と奥様はあの通り……お二人の中でのベル様はいつまでも姉の後ろをついて回る可愛い妹なのです」


 そして、絶好の機会であったはずの新人戦も、俺によって優勝の夢は潰えてしまった。


 俺のせい……でもあるのかな。

 それでもあれはミサキを助けたい一心で……。


 少し気を落とす俺に、爺さんは言葉をかける。


「ははは、別にギル様を責めている訳ではありませんよ。新人戦は強い者が勝つ。当然です。それに、奥様も旦那様もベル様の新人戦は見に行っていませんから」


「なっ…‥!?」


「あのお二方にとって、何度も言いますがベル様は魔術を期待されていないのです。ただ健やかに、エレナ様の容姿を継いだ可愛い娘でいればいい。それだけなのです。だからこそ、魔術の話はリオン様としかしない」


「なんつうか……歪んでるな。この家に仕えている爺さんに言うのもおかしな話だけどさ」


「ええ、わかっております。魔術師とはそういう生き物らしいのです。私は生粋の剣士ですから……」


 そう言って腰の細剣に触れる。


「だからこそ、あなたに……ギル様に頼みたいのです」


「俺に?」


「ええ。ベル様と親しく、魔術の実力も申し分ない……それに、あなた様の目には何か力を感じます。この平和な時代を生きてきたとは思えない、何か客観的な視点を持っているような……そんな不思議な魅力があります」


 意外に鋭いことを言う爺さんだと、俺は感心してしまう。

 これが年の功ってやつか。


「どうか、ベル様を見て居てあげてください。今はまだくじけず頑張っておられます。ロンドールに行く前に比べれば、とても元気がよくなりました。ですからどうか……何かしろとは言いません。ただ、見守ってあげて欲しいのです。いずれ限界が来てしまったときに、そばで理解し、共感くれる人がいるというのは、大きな支えになるはずです」


 そう言って爺さんは真剣に俺の目を見て、深く頭を下げる。


「……爺さんにとって、それだけベルが可愛いんだな、姉ちゃんより」


「――これは内緒ですが……その通りです。完璧な力と魅力を持つリオンお嬢様より、私は今にも壊れそうな、それでいて穏やかに振る舞われるベルお嬢様がどうしようもなく好きなのです」


 そう言って爺さんはまた目尻に皺を寄せて笑う。


 心配なんだな、爺さんも。

 今まで近くで成長を見守ってきたベルが、一人ロンドールで寮生活を送っている。


 それも、姉ちゃんと同じ学校で。


 一人でも信頼できる味方が欲しいのかもしれない。

 それが男の俺であっても。


「よくわかったよ爺さん。俺もベルは嫌いじゃないしな。何ができるでもねえけど、ちゃんと見ておいてやるよ」


「そうして貰えると助かります。ただ、わかっていると思いますが、ベルお嬢様のことを好きに――」


「もういいからそれは!! だったら最初から俺に話すな!!」


「――冗談ですよ」


 爺さんは穏やかな笑みを浮かべる。


 こうして、男同士の夜の密談は終わった。


 結局、ただの爺さんの愚痴を聞いただけではあったけれど、ベルの置かれている状況……ベルの気持ちが少しだけわかった気がした。


 確かにあの姉ちゃんは……なんだか気に食わねえ。


 もう少しだけ、ベルのことをちゃんと見て居てあげよう。

 少し上からだけど俺は今夜、そう思ったのだ。

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