第118話 はじめから

 それはレナさんなりの優しさだったのだろうか。

 自分の立場がわかっているのか、レナさんはキャスパーの近くに寄るとそっと横に座る。


「レナさん‥‥‥」


 キャスパーはレナさんが人質になっていたことで、同胞殺しを余儀なくされていた。


 キャスパーはきっと、最後に何か話したいことがあるはずなんだ。キャスパーが死の淵に立った今、枷だったはずのレナさんが解放されるのは何とも世知辛いが‥‥‥。もう用無しという事なのだろうか。


 キャスパーの命はもう風前の灯ではあったが、レナさんが手に触れると、微かに反応がある。


「レナ‥‥‥レイモンド‥‥‥」


「はい‥‥‥」


 レナさんは静かに呟く。

 完全に初対面‥‥‥と言っていいだろう。


「君は‥‥‥知らないだろうが‥‥‥。君を‥‥‥‥‥‥ずっと見守っていた‥‥‥」


「‥‥‥」


 キャスパーがしたリエラさんとの約束。


 それが何かは具体的にはわからない。


 けれど、この光景を目にするとやはり、2人の間柄は特別なものだったのは疑いようもない。


 最後の言葉‥‥‥「レナさんを見守る」それが彼女の願いだったのかもしれない。信頼するキャスパーに託したかったのだろう。それは、本当に最後にぽろっと出た言葉だったのかもしれない。それでも、キャスパーはそれを叶えようとした。


 もしそうだとするならば、寿命のない完全な生命体である吸血鬼‥‥‥彼ほどその役目に最適な人はいないだろう。


 より一層、この陰気な吸血鬼とここまで親しくなることのできたリエラさんに興味が湧いてくる。

 生前、彼女はどんな人だったのだろうか。


 ――だが、そこを利用され、キャスパーにこんな同胞殺しなんていう酷い事件を引き起こさせた‥‥‥。

 すべては、"アビス"の連中のせいだ。


 キャスパーは続ける。


「君が攫われたのは‥‥‥‥‥‥私の責任だ‥‥‥最後に‥‥‥解放されて良かった‥‥‥」


 レナさんは頭を振る。


「――知ってましたよ、キャスパーさん」


「なっ‥‥‥?」


「知ってました。‥‥‥あなたが吸血鬼で、私を見守っていたことも、おばあちゃんがあなたを好きだったのも。そして――――あなたが私のせいで同胞を殺していたことも」


 レナさんは、穏やかに淡々と告げる。


 なんだって‥‥‥知っていた?

 どういうことだ‥‥‥?


 いや、確かに知っていてもおかしくはない‥‥‥か。

 しばらく"アビス"に囚われていたんだ、何か聞かされていたとしても不思議じゃない。


 ‥‥‥ただ、改めて考えてみると少しおかしい。

 何となく、違和感を覚える。


 レナ・レイモンドには、キャスパーは直接関わっていた訳ではなかったんじゃないのか?


 なのになんだこの甲斐甲斐しさは。

 キャスパーの元に寄り、話を聞くような義理なんてないはず。


 なんなら、キャスパーのせいで無関係なのに攫われたようなものだ。恨みがあってもおかしくない立場にあるはずだ。


 キャスパーの立場に同情した‥‥‥?

 リエラさんの血がそうさせているのか?


 ‥‥‥いや、だが一般人が吸血鬼と言われてここまで自然に居られるだろうか。


 ――それどころか、まずこの子はどうやって"アビス"から逃げ出してきたんだ?


 港の方の争いのどさくさに紛れてきたのか‥‥‥?

 あのエリー・ドルドリスから?


 次々と疑問が湧いてくる。


 俺の疑問は脳の外に出る暇はなく、キャスパーとレナさんの会話は続く。


 レナは、更にぎゅっと強く、キャスパーの手を握る。


「死んでしまうんですか、キャスパーさん」


「‥‥‥‥‥‥あぁ」


 キャスパーの声は消え入りそうだ。


 今にも前のめりに倒れ込みそうな身体を、最後の意思が繋ぎ止めている。


「まだ、死なないでください。もう少しだけ‥‥‥すべてが終わるまで」


「‥‥‥?」


 なんだ‥‥‥何を言っているんだこの人は‥‥‥。


「俺の存在を‥‥‥‥‥‥知っていた‥‥‥のか‥‥‥?」


 キャスパーは最後の力を振り絞り、声を出す。


「知っていましたよ‥‥‥初めから」


「なん‥‥‥で‥‥‥」


 レナさんは口角を上げ、優しく笑いかける。

 その顔が何を意味しているか、俺にはわからなかった。


「勘違いしているかもしれないですが‥‥‥‥‥‥実は私、彼らに攫われたわけじゃないんです」


 キャスパーの目が、虚ろになっていた目が、ほんの少しだけ大きく見開かれる。


 それでも、身体を動かすことはもうできない。


 ――とその時、キャスパーの周りから強力な魔術反応が発生する。


 突如現れる見慣れた黒いゲート。

 染みの様に広がる、渦を巻く黒い穴。


「転移ゲート‥‥‥!」


 そのゲートから、1人の男が姿を現す。


 キャスパーと似た雰囲気の、顔色の悪い長身の男。

 白い髪に黒いメッシュが入った不思議な髪色。


 不健康そうな見た目は、とても強そうには見えなかった。


 ――だが、あのゲートから出てきたということは‥‥‥"アビス"の仲間であるということは間違いようがない。


 その男がレナの横に立つと、レナはその人を見上げ、場所を入れ替わる。


 レナはキャスパーを見下ろしながら、衝撃的な言葉を口にする。


「私――元から"アビス"のメンバーだったの」


「は‥‥‥はぁ!?」


 俺は思わず叫ぶ。


 キャスパーの虚ろな瞳に、困惑の色が浮かぶ。

 何かを言いたげに口を開こうとするが、もうそれ以上キャスパーに力は残っていない。


 絶望‥‥‥そう表現するに足る表情だ。


「レナ・レイモンドが‥‥‥"アビス"!?」


 俺の言葉に反応し、レナは俺を振り返るとニッコリと微笑みかける。


 なんだなんだなんだおい!?


 何だよこの展開‥‥‥!


「万全、ですね。さすがはレナ嬢。‥‥‥始めましょうか」


「いつでもいいわよ、メビウス」


 メビウスと呼ばれる不健康そうな男はそっとキャスパーの手に触れる。


 すると、紫色をした禍々しい光が灯る。

 更に強力な魔術反応‥‥‥!


「うおおおおおおあおあああああ!!!!」


 キャスパーの叫び声が響き渡る。

 さっきまで微動だにしなかったキャスパーが、両手を広げ空を仰ぎ、叫ぶ。


「何だ!?」


「人形になって‥‥‥‥‥‥哀れな吸血鬼」


 人形‥‥‥まさか‥‥‥!


 脳裏に、キース先生の姿が浮かぶ。


 死霊――。


 激しい光と、キャスパーの咆哮。


 魔術の反応が消え、静寂が訪れる。


 キャスパーの身体から煙が湯気のように立ち昇る。


 口をあんぐりと開け、空を見上げている。意思のない虚ろな瞳。

 だが、その行動は完全に停止していた。


 キャスパーはとうとう力尽き、前のめりに倒れこむ。 

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