第117話 剣聖

 さて、どうしたもんか‥‥‥。


 ――と、俺の睨みつけるような眼光を見て、エレディンはふっと鼻で笑うと、堰を切って笑いだす。


「ハッハッハ! 冗談だ、冗談! そうピリピリするな!」


「‥‥‥はあ?」


 エレディンは楽しそうに笑みを浮かべながら上半身を軽くのけぞらせる。


 な、なんだこいつは‥‥‥。


「なんなんすか一体‥‥‥」


 エレディンは一しきり楽しそうに笑うと、咳ばらいをして落ち着きを取り戻す。


「――ゴホン。‥‥‥あーっとギルフォードとか言ったか?」


「そうですけど」


 まだ油断するな‥‥‥何があるか分かんねえ。


 あえて俺を油断させる作戦かもしれない。


「おいおい、まだ疑ってるのかよ。これでいいか?」


 そう言ってエレディンは自分の腰に巻いた黒い剣帯を外すと、そっと地面に置き、両手を上げる。


 その両手をこれ見よがしにプラプラと左右に振る。


「‥‥‥一周その場で回れ」


「あなたね‥‥‥っ!」


 俺に語気を荒げたアシェリーさんを、エレディンはまあまあと諫める。


 エレディンは俺の指示通り、ぐるっと回って見せる。


 他に武器を隠している様子はない。


 本当に何かするつもりはない‥‥‥のか?


「疑い深いのは、戦う者にとって重要な資質だからな。それに、英雄と同じ名前とは‥‥‥数奇な運命でも持ち合わせているのか。吸血鬼との戦闘で、吸血鬼と共闘するとは面白い男だ」


 そう言ってエレディンは更に楽しそうに笑う。


 俺はその笑う姿に拍子抜けしてしまう。


 何だこの人‥‥‥信用していいのか?


 確かに、この男からさっきのような殺気は感じられない。

 純粋に俺に興味を持っている目だ。


「どこで吸血鬼と知り合ったのか、いつから吸血鬼と共に生きているのか、聞きたいのはやまやまだが‥‥‥」


 エレディンは俺の渋そうな顔を見ると、勝手に納得する。


「ま、言いたくないだろうから別に聞かん」


「‥‥‥いいんですか、吸血鬼への手掛かりになるかもしれないんですよ?」


「何だお前、どっちの味方なんだ。俺がせっかく気を使ってやってるのに、可愛くないやつだな」


 なんだか調子狂うなこいつ‥‥‥。


「まあ、吸血鬼と親密な関係が気にならないと言えば嘘になるが‥‥‥。それよりも、吸血鬼と戦っても遅れをとらない戦闘センス。圧倒的な手数と威力を誇る魔術センス。‥‥‥小僧、本当に学生か? 歳さばよんでねえだろうな?」


 エレディンはニヤニヤとしながら俺の顔を覗き込む。


「――学生ですよ、ただの」


「がっはっは! つんけんしてるなあ! 嫌いではない!」


「‥‥‥で、どういうこと何ですか‥‥‥? 俺たちは――」


「安心しろよ。俺たちは異形狩りじゃない。だから、別に正直なところ吸血鬼に殆ど興味もない。特に、人に害を及ぼさない吸血鬼にはな。――まあ、純粋に戦ってみたいとは思うけどな」


 不思議とその言葉は俺の心に響いた。

 何故だか信頼できると、本能が直感していた。


 それはこの男が放つ不思議な包容力‥‥‥そして底抜けに明かるい雰囲気がそうさせているのかもしれなかった。


 カリスマ性‥‥‥と言ってもいいかもしれない。


「それは願ってもないですけど‥‥‥エレディンさんが興味がなくても、このことが何処かから洩れれば結局は同じことだ。あなたにそんな権限でもあるんですか?」


「え、知らない‥‥‥!?」


 エレディンは吸血鬼を見た時よりも数倍驚いた様子で目を見開く。


「えっと‥‥‥まあ」


「アシェリー、俺って実はそんな知名度ない?」


 エレディンは悲しそうにアシェリーを見る。


 隣に立つアシェリーは溜息をつき頭を振る。


「安心してください、この子くらいですよ知らないのは。‥‥‥エレディンと呼ばれている上に、あの剣術を見てもピンとこない国民が居るとは正直驚きね」


「いや、なんかスイマセン‥‥‥」


「いい? この人は、ミスティオ王国騎士団‥‥‥そのトップに君臨する方よ」


 トップ‥‥‥まじで?


 エレディンはウンウンと腕を組み頷く。


「――そして同時に、"剣聖"と呼ばれる剣の達人」


「剣聖‥‥‥」


「騎士団長、エレディン・ブラッドその人よ」


「エレディン・ブラッド‥‥‥ブラッド!?」


 剣聖でブラッドって‥‥‥やっぱりジークの子孫!?


 俺が後ろ姿に見たあのジークの面影はそれか‥‥‥!


「そこはわかるみたいね。六英雄、剣聖ジーク・ブラッドの直系の子孫。ま、ようは凄い人ってこと」


「ま、そういう事だ。俺が秘密だと言ったら秘密という訳だ。俺がトップだからな。そこの美しい女性が吸血鬼だということは黙っておいてやろう。目撃者もそう多くはないだろうしな。居たとしてもお前たちの繋がりまで想像はできないだろうさ」


 騎士団長‥‥‥そうか、それならいくらでも情報操作はお手の物か。


 これは確かに安心できるな。


「ありがとうございます」


「ハッハッハ! いいってことよ。無益な殺生は俺は好かんからな」


 エレディン・ブラッドか‥‥‥。


 吸血鬼の不意をつく剣の腕‥‥‥剣聖か。

 魔術を使った様子はない。騎士団長にして非魔術師の男。


 魔術こそが戦闘力として圧倒的なこの世界で、剣一つで騎士団のトップに上り詰めるか。


 ジークとどこまで張り合えるか‥‥‥。


 とにかく、クロの正体を見たのがこの人だけというのは不幸中の幸いだ。


 とりあえず今すぐに何か問題が起こることは無さそうだ。


 俺の実力をある程度見られたのは予定外だが‥‥‥そこは今更気にしてもしかたがない。


「いやあ、俺は将来有望な学生が発見できて嬉しいぞ。いいか、お前は騎士団に来い、絶対だぞ? 俺が直々に指導してやる」


「はぁ‥‥‥考えておきます‥‥‥」


「絶対だからな!」


 くそ、余計なことにならないといいけど‥‥‥。


 エレディンはニカっと笑い、地面に置いた剣帯を付け直しながら話を続ける。


「――さて、港の方も大分落ち着いてきたみたいだな。スピカの奴が呼ぶから慌てて来たが、魔力反応に釣られてこっちへきちまったからなあ」


「スピカさんが呼んだんですか?」


「あぁ。吸血鬼が居るっていうからな。楽しそうだったし」


「もう、エレディンさん‥‥‥」


 ――と、その時、1人の女性がこちらに歩いてくる。


 フラフラとした足取りは、どこか危なっかしい。


「ん? 逃げ遅れたか? ここは危険だぞ」


 エレディンが女性を遮ろうとする。


 よく見ると、俺はその顔に見覚えがあった。


「――ちょっとエレディンさん待ってください! その人は‥‥‥」


 この人は‥‥‥確か、エリーに捕まっていた――


「レナ・レイモンド‥‥‥!」


 その名前に、エレディンもピクリと反応する。


「レナ・レイモンド‥‥‥スピカが捜索していた失踪事件の‥‥‥」


 俺は頷く。


「"アビス"に捕まっていたのに‥‥‥逃げてきたのか? 下で何が起こっているんだ」


「私‥‥‥」


 レナは、どこか上の空の様子で俺の目を見る。


 怯えているのか‥‥‥?

 どうにも感情が読めない。


「よし、わかった。こいつはお前に任せる、ギルフォード」


「え?」


「俺たちは先に港の方に行く! あいつらが心配だしな、俺の到着も待ってることだろう。お前も心配だろうが、今はそいつを見ていてやってくれ。下は俺に任せろ。後でそっちに騎士の増員を送る!」


「あ、ちょっと!」


 そう言ってエレディン達は俺の返事を待つことなく、一気に坂を駆け下りていく。


 ったく、騒がしいおっさんだ。


 ――だが、あの強さなら任せて大丈夫だろう。

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