第101話 吸血鬼同士の戦い

 クロとキャスパーは同時に動き出す。


 態勢を低くし、爪を地面に引きずりながら凄まじい勢いでお互い接近する。その速さは、グリム・リオルの無刀以上の速さを誇る。


 黄色い閃光と、赤い閃光が暗闇に線を描く。


 シャアアア!! っと爪が地面をする音が倉庫に響く。


 瞬間、2人の鋭い爪がまるで剣戟の様に激しくぶつかり合う。


 爪の強度は鉄以上‥‥‥!


 衝突するたびに火花が散り、暗い倉庫がカチカチと光る。


 お互いが相手の攻撃をその腕や爪、足で防ぐ度にその衝撃が後方へと伝わり、倉庫の木箱や樽、窓ガラスが壊れる。


 次第に倉庫の床は木片やガラス片、漏れ出した酒類でぐちゃぐちゃになっていく。


 お互いに肉体自体が人間離れした凶器‥‥‥闘いは肉弾戦なのにも関わらずその激しさは尋常ではない。しかし、吸血鬼の本領はその肉体だけではない。


「うらぁぁ!!」


 クロの鋭い回し蹴りがキャスパーのこめかみを捕らえる。


 しかし、キャスパーは即座に反応し、それを屈んで躱すと、その脚を掴みそのままクロの身体を持ち上げる。


「はぁああ!!」


「くっ‥‥‥離せバカ‥‥‥!」


「フンッ!!」


 キャスパーはハンマーを叩きつけるように、そのまま地面にクロを何度も叩きつける。


 クロが叩きつけられた地面がどんどん砕けていく。


「ぐうぅ‥‥‥!! キャスパアアア‥‥‥!!」


 クロは思い切り身体を捩じり、高速で回転すると、キャスパーに捕まれた足首を強引に引き離す。

 キャスパーの手とクロの足が擦り切れ、血が噴き出る。


 クロはそのまま少し距離を取るように急いで後退する。


「はあ、はあ‥‥‥」


 クロの頭と、掴まれていた足首から血が滲み出ている。


 キャスパーは両腕を広げて悲哀に満ちた顔をする。


「あぁ‥‥‥クローディア‥‥‥」


 キャスパーは千切り取ったクロの足首の皮と肉をその手の中から落とす。


「君は私には勝てないよ‥‥‥。残念だ、まだ私の裏切りは続いてしまう」


「何言ってるか分かんないんだよ、このバカ吸血鬼‥‥‥!」


「‥‥‥君は人間に染まり過ぎたよ。私は‥‥‥私はあの人間の女の血を吸い取った、完璧な覚醒状態。対して君は、覚醒できる最小限の血しかそこの人間から吸っていない。この違いがわからない君ではないだろ?」


「‥‥‥‥‥‥」


 クロはキャスパーを睨みつける。

 クロの額に、焦りからか汗が垂れる。


 確かに、ここまでの戦いはクロの方が分が悪い。明らかに押されている。


 それでも、俺がこの闘いに割って入る訳にはいかない。

 俺とクロは人間と吸血鬼‥‥‥俺が助けに入るなんてことは、あってはならない。


 それはクロの意思を尊重するという事でもある。

 吸血鬼は人間に対して中立‥‥‥。吸血鬼と人間は本来そういう関係なのだ。


 クロは吐き捨てるように言う。


「血が足りないなら、で戦えばいいだけだ」


 そう言ってクロは右腕を顔の前に持っていくと、静かにその手首を爪で切り裂く。切り裂いた手首から血が滴り落ちる。


 その血が水たまりのように地面に溜まっていく。

 刹那、血の水たまりが沸騰したかのようにボコボコと泡立ったかと思うと、から何かがゆっくりと這い出てくる。


 そのは、ゆっくりと立ち上がると徐々に人型へと変わっていく。


 少しの後――その血から生まれたものは、クロと瓜二つの‥‥‥もう1人のクロだった。


 まるで双子のように、全てが一致している。


「"ドッペルゲンガー"」


「いつ見ても、君のそれは美しいな‥‥‥」


 吸血鬼は体内に魔力を持たない。そのため魔術を使うことはできない。


 その代わり、吸血鬼は"ブラッドスキル"と呼ばれる血を使った不思議な技を使う。


 クロの"ドッペルゲンガー"は、自分と完全に同等の力をもつ吸血鬼をもう一体作り出す技。その攻撃は単純に2倍になる。


 対するキャスパーも、対抗するように自分の首を切り付ける。


 噴き出した血は、キャスパーの全身を包み込む。


 俺はその光景に、一瞬目を見張る。

 血を被った箇所が虫食いのように穴が開き、その穴から倉庫の壁が見えるのだ。


 その虫食いはキャスパーの全身を蝕み、やがてキャスパーの姿が完全に見えなくなる。


 これは‥‥‥透明化か‥‥‥!


「‥‥‥相変わらず厄介なスキルだな‥‥‥!」


「ここからが、本番だ」


 もはや、キャスパーの居る位置は誰にも把握できない。


 ヒュンヒュンと、キャスパーが高速で移動し空を切る音だけが鳴り響く。

 

 クロは自分の分身と横に並ぶと、ゆっくり目を閉じてその気配を冷静に見極める。


 キャスパーの音が消えた瞬間、クロ達が腕を横に突き出す。

 そこに何かが引っ掛かったのか、クロ達がガッと後ろに仰け反る。


「捕まえた‥‥‥!」


 クロ達はそのまま腕に引っかかった強引に地面に叩きつける。


「グハ‥‥‥ッ!!」


 何もないはずの地面が、ボコッとへこむ。


「うらぁぁ!!」


 クロの分身が、透明化し地面に転がっていると思われるキャスパーを思い切り蹴り飛ばす。


 次の瞬間、倉庫の扉に何かが勢いよくぶつかる鈍い音が響く。そのまま扉の鍵ごと弾き飛ばすと、外に何かが吹き飛んでいく。


 クロ達はそれを追って倉庫から飛び出していく。

 俺もそれに続き、外へ出る。


 分身と連携し、片方が攻撃されればそれに合わせてもう片方が対応する。完璧な連携。


 クロは2人合わせて絶え間なくキャスパーに攻撃を続ける。


 しかし、どうやらそれを全てキャスパーは防ぎきっているようだ。


 キャスパーの姿は見えないが、クロ達の表情が険しいところを見ると間違いないらしい。


 ――と次の瞬間、分身(だと思う)の方のクロの腕が掴まれ、捩じり上げられると、クロと向かい合わせに突き出される。


 クロの分身の頭が、クロの頭に頭突きをくらわす。


 どうやら、後ろからキャスパーに頭を掴まれ、強引に叩きつけられたようだ。


 クロがその衝撃によろけていると、一瞬の隙をつき足を払われたのか宙に浮き、そのまま地面に叩きつけられる。


「ッ!!」


 次の瞬間――地面に転がるクロの顔が苦痛に歪む。


「グハッ‥‥‥!!」


 クロの口から、血が垂れる。


「クロ‥‥‥!」


 クロの腹から血があふれ出し、それが地面に広がる。

 破けた服の隙間から、腹に丸い穴が3つ開いているのが見える。


 キャスパーの爪か‥‥‥!!


 キャスパーに捕らえられていたと思われるクロの分身が、一瞬にして血に還る。


 地面に伏すクロの顔に大量の汗が滲んでいる。

 まずい、クロが‥‥‥!


 ――すると、俺の鼻先に冷たい雫が落ちてくる。

 次第に地面に黒い斑点が広がり、月が陰る。


「雨だ‥‥‥」


 ポツリポツリと降り出した雨は、あっという間に激しく音を立て始める。


 雨はクロ達を濡らし、水に血が滲んでいく。


 びしょびしょに濡れたクロが腹を抑え、息も絶え絶えに少し上を凝視する。


 そこには、雨によって浮き彫りになった透明化したキャスパーが立っていた。キャスパーを透明化していた血が洗い流され、徐々に青白い肌が露わになる。


「終わりだ‥‥‥。君でも私を止められなかった‥‥‥下らない人間への執着のせいで」


「ほざ‥‥‥け‥‥‥!」


 キャスパーはそっと右腕を上げる。

 雨に濡れた爪が光沢を帯びる。


「いっそ、君に殺されたかった‥‥‥すべて終わりにして、何もなかったことにしたかった‥‥‥でもそれは私にはできない‥‥‥できないんだ‥‥‥」


 クロは力を振り絞り叫ぶ。


「自分の生き方くらい‥‥‥自分で決めろ‥‥‥!! 人に委ねてないで‥‥‥な‥‥‥!」


「――もう、遅い!」


 キャスパーの爪が、クロの首目掛けて振り下ろされる。


 ガン!!!


 っと、キャスパーの爪が地面を削り取る音が雨の轟音に紛れて響く。


 キャスパーは、肉を切り裂いたつもりが地面に突き刺さった自分の爪を凝視し、首を傾げる。

 ――何よりも疑問だったのは、何も手出ししないと思っていた俺がクロをすんでのところで助け出したことだろう。


「‥‥‥?」


 俺は腕の中に抱きかかえたクロを、キャスパーから離れた位置にそっと下ろす。


 クロは弱々しく俺の袖を握る。

 覚醒状態が解け、普段の姿に戻る。


 俺はクロに回復魔法をかけ傷口の応急処置をする。徐々に血が止まり、傷口が塞がる。


「‥‥‥私は吸血鬼を殺すだけだ。血を奪う以外人間に用はない。そこをどけ」


 俺は立ち上がると、袖を捲る。

 手足をぶるぶると振り、背筋をグッと伸ばす。


「なんだ‥‥‥私とやる気か? 人間の分際で? 私はクローディアのように君相手に手を抜くようなことはしないぞ。‥‥‥それでも、私達の問題に首を突っ込む気か?」


 俺はキャスパーの顔を見つめる。

 覇気のない、死人の顔だ。


「俺は吸血鬼クロの助けをするつもりもない。吸血鬼の問題に口出すほどバカでもない」


「なら――」


「だが‥‥‥‥‥‥友達クロが殺されるのを黙って見過ごせるほどバカでもねえ!!」


 キャスパーは目を見開く。

 何かを言いたそうに口を開きかけるが、何かを飲み込み、口角を上げる。


「人間が吸血鬼の相手になると、本気で思っているのか‥‥‥? 死にたがりが‥‥‥!!」


「てめえは俺がぶっ飛ばす‥‥‥!! クロの分もなあ!!」

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