第94話 看板娘

「は‥‥‥はぁ!?」


 思っていた以上の大きな声が零れ、俺は慌てて口を押える。

 血‥‥‥まじか。


 クロの顔をチラッと見るが、その表情から冗談で言っているとは思えない。

 

「血って‥‥‥それほどの事態なのかよ」


「今回ばかりはねえ‥‥‥ちょっと擬態じゃどうしようもないかもしれなくってね。久々で悪いが、協力してもらうことになるかもしれない」


 久々――。


 普段クロは人と接する時、人間にすることで吸血鬼としての本来の姿を隠して生きている。

 擬態しなくても姿形は人に酷似しているため、普通の人にばれることはないが、魔術師などの目ざとい奴らにはバレてしまう危険性があるからだ。


 だが、別に吸血鬼は見つかることを恐れているわけでは無い。


 では何故敢えて身を隠すのか。

 答えは単純だ。彼らにとって人間は友好を築くべき価値もなく、敵対するほどの脅威も見出していないからだ。


 自分たちの脅威にもならず、友好を築く気もないならわざわざ事を荒立てる事もないという事だ。ある意味今のこの状況は吸血鬼が人間に譲歩している状態と言ってもいい(だからこそ俺に関わろうとするクロは異例中の異例と言える)。


 彼らにとって人間はあくまで下等種族。

 人間を全滅させるなど容易い(と少なくとも彼らは思っている)が、それに意味を見出さない。最強であるが故に、人間を敵とすら認識していないのだ。


 吸血鬼は、千年前の超一流の魔術師をもってしても、倒す事はなんとか可能だったとしても殺す事はほぼ不可能に近い。


 数少ない彼らは、見つかって敵意を向けられてはその度に皆殺しするような面倒な事をするくらいなら、初めから姿を隠し上位者として傍観に徹し、人間とは関わらない。そういう種族なのだ(稀にクロのように人間社会に溶け込む変わり者もいるようだが)。


 力があり命が長い生物の価値観は人間とは大きくかけ離れている。


 そんな吸血鬼には普段の姿以外に覚醒状態というものがある。

 覚醒時の姿はかなり異形で、明らかに不気味な雰囲気を放っているため、めったなことがない限り覚醒することはない。


 覚醒状態の吸血鬼はまさに最強だ。言うなれば吸血鬼の戦闘モード。一方で、擬態時は吸血鬼としての圧倒的な性能はなりを潜めてしまう。もちろん、擬態している状態でも普通の人間に負けるようなレベルではないが。


 吸血鬼は、何も人間の血がなければ死ぬという生き物ではない。

 動物や魚の血でも、生命活動を維持するのに何ら支障はないのだ。だから、人間を積極的に襲い血を吸うというイメージは、彼ら本来の姿とは大きく異なる。


 もちろん、陽の光に弱いなんてこともないし、十字架に弱いなんてこともない。


 そんな、人間の血を積極的に採らず、擬態状態でも最強でいられるはずの生物である吸血鬼が、人間の血を求める時‥‥‥それは覚醒状態になる時だけだ。


 人間の血を摂取することで吸血鬼は覚醒する。


 そんな吸血鬼クロが俺の血を求めている。


 ――それはつまり、覚醒状態になる必要があり、吸血鬼と同等以上の存在との闘いがあるという事を示している。


 それこそ、魔神のような‥‥‥‥‥‥。


 千年前、俺は1度だけクロに血を提供したことがある。それ以来の血の要求‥‥‥だから、久々、という訳だ。


「‥‥‥お前が覚醒しなきゃ倒せないような奴がいるのか‥‥‥?」


「ま、そういう事だ。なんせ相手は、同じ吸血鬼だからな」


「同族!? どういうことだよ、吸血鬼は今はもうコミュニティを形成してるんだろ? 同胞殺しはご法度じゃねえのか!?」


「まあ焦るなよ、ギル。細かい話は後にしようじゃないか。――私はちょっとまだ仕事が残っている。抜け出してきていてね‥‥‥。仕事が終わり次第私の今の住処で詳しい話をしよう」


「悠長だなあ‥‥‥」


 するとクロはニヤッと笑う。


「だから言ってるだろう? 情報を集めているのさ。今すぐどうこうできる状態じゃない。――さ、私の酒場に行こう! 少しくらいサービスしてやるよ」


◇ ◇ ◇


「いらっしゃいませ~!!」


 スカートをヒラヒラと翻し、満面の笑みでクロが客に挨拶する。

 ノリノリだなあクロのやつ‥‥‥。


 客層は本当に多種多様で、普通の船乗り風の客から、町の人、更には明らかに犯罪者臭のするやつなどで賑わっている。


 クロはそんな中を笑顔で酒を運び、客に振る舞う。


「ゲハハ! 今日も可愛いねえ姉ちゃん!」


 髭面の小汚い男がクロの手を触りながら声を掛ける。

 おいおい、クロにそんなことしたら殺されるぞ――


「いやーん、ありがとうございます~!」


 えええええ‥‥‥。

 めちゃくちゃぶりっ子な反応に俺は思わず飲んでいた水を噴き出す。


「いいねえ!! 俺の船に乗りな姉ちゃん! 金ならあるぜえ」


 周りの男たちも下品な笑い声を上げる。


「わーい、考えておきますねえ」


 明らかなリップサービスだが、それをわかってかわからずか、男たちは上機嫌に笑い声を上げ、酒を追加で注文する。


 こうやって稼ぎまくってるわけね‥‥‥。


 他の客からも頻繁に絡まれ、それにクロは笑顔で対応する。

 これだけ客と接触していれば、そりゃ情報は大量に集まるだろう。


 どうやら看板娘というのは嘘ではないらしい。


 そうしてしばらく仕事に従事した後、クロが俺の前に現れる。


「お客様、追加のお水はサービスです」


 そういってジョッキ一杯の水をテーブルに乗せる。


「‥‥‥どうせサービスなら酒が良いんだが」


「あはは、大人になってからねえ~学生君」


「ちっ‥‥‥」


 酒が飲めないのだけは学生の不便なところだな。


 クロは俺の正面に座る。


「結構楽しそうに仕事してるじゃねえか」


「そうだろ? 散々いろんな経験をしてきてもうこれ以上やることもなく暇をしていたが、まさかこんなところで初めての経験が出来るとは、結構楽しいもんだ。なかなか様に成っていただろう?」


「様っていうか、めっちゃ猫被ってるじゃねえか」


「失敬な。ウェイトレスを演じていると言ってくれ。あれのおかげで結構情報は集まってくるんだぞ」


「だろうな‥‥‥」


 俺もクロのを知らなかったらもう少しあれを楽しめたのかもしれないが‥‥‥。


「やっぱクロがやると気持ち悪いわ」


「照れちゃって。まったく素直じゃないなあ~」


 そう言ってクロは俺の頭をワシワシと撫でる。


「やめろやめろ! 早く家行こうぜ。終わったんだろ?」


「あぁ、そうだった。さ、わが家へ帰ろうか」


 

 酒場を出ると既に陽が傾き始めていた。

 水面に反射するオレンジ色の太陽がなんとも哀愁を漂わせる。


 俺たちは海沿いの道をしばらく歩き、大通りに出る。


 大通りには露店が立ち並び、人が溢れている。


 その大通りから更に細い脇道に逸れ、坂を少し登ったところに、かなり古めの平屋があった。


「さ、ここだよ」


「おいおい、住処って持ち家かよ‥‥‥家もってたのか?」


「今回私がここに来るきっかけになった吸血鬼仲間の家だったところさ」


「‥‥‥だった?」


 クロは鍵を開け、ドアを開く。


「死んだんだよ、こいつ」


「吸血鬼が‥‥‥死んだ?!」

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