終章
終章
蘭は、アリスが電話機のそばを離れたら、すぐ電話機のそばへ行って、電話機を目を皿のようにして見つめていた。アリスが、電話機何て見つめていてもしかたないでしょうと言っても聞かなかった。
「全く、蘭ったら、沼袋さんに言われたことが、よほどこたえてるんだわ。」
沼袋さんの一言が蘭にはかなり刺さっていたのだろうか。由紀子から電話を貰った時、蘭は沼袋さんと一緒に病院に駆け込むつもりだったのだ。だけど、蘭のよほどの慌てぶりを見て、沼袋さんは、坊ちゃん、そんなに騒ぐなら、行かないほうがいいと思いますよ、何て言って、一人でワゴン車をもって行ってしまったのである。
本当は、一緒に行きたかったのに。沼袋さんまで、行かない方がいいなんていうなんて。なんで僕はそうして、のけ者にされてしまうのかなあ。蘭は、理由がわからなかった。まあ、わがままな人は、自分がなぜのけ者にされているか理由を知ることが出来たら、わがままをいうことは無いのだが。
「蘭、次は初子さんに電話かけるから、そこをどいてよ。」
アリスが、また電話の近くにやってきたが、
「よしてくれよ!今日は一日電話位貸してくれ。その何とかさんの電話は、スマートフォンがあるだろう!」
と、怒鳴りつける蘭だった。これを聞いてアリスも頭に来たらしい。
「何を言っているの、アンタ一人の電話じゃないのよ!」
「うるさい。今日は非常時じゃないか!そういう時は、電話位貸してくれ!君は日頃から電話をかけているじゃないか。一日ぐらい貸せよ!」
「非常時なんて古臭い言葉使っている何て、蘭も頭古いわよ。それに、固定電話を使わないで、スマートフォンを使えば電話代がかかって、うちにはお金がないとかいうの、蘭でしょう!」
日頃からこういう態度を取っていれば、非常時にこうやって返されてしまうのだ。蘭は、そう言われて何も言えなくなってしまう。
「ほらどいて。初子さんに電話するから。」
また無理やり車いすを動かされて、おおきくため息をつく蘭だった。蘭はしかたなく、テレビでも見て、待っているしかなかった。
一方そのころ病院では、小園さんの運転するクラウンに乗って、ジョチと由紀子が到着する。正面玄関はまだ開いておらず、二人は警備員さんに連れられて、救急入り口からはいらせてもらった。
由紀子が水穂さんは何処にいるのかと聞くと、警備さんは処置室で寝ているとこたえた。由紀子は猪突猛進に処置室へ向かって走って行った。一方ジョチは、先生からお話があると警備さんに言われて、そのあとをついていく。
「失礼いたします。」
と、ジョチは警備員さんに案内してもらって、第一面談室とかかれている部屋に入った。そこには沖田先生がいて、なにか机に向かって書いていた。
「あの、先生。」
もう一回言うと、沖田先生は、やっと気が付いたようだ。その深刻な顔から大体なにが起こるか予測がついたが、沖田先生にいわれたとおり、面談室の椅子に座った。
一方、由紀子が処置室に飛び込むと、水穂さんはベッドにあおむけに寝ていた。口には酸素吸入器がしっかりついている。
「水穂さん、しっかりして。あたしよ、由紀子よ。わかる?」
急いで掛布団をまさぐり、水穂さんの手を握りしめると、その手はまだ暖かったのでほっとした。
「由紀子さん。」
本当に細い声で、水穂がいう。やっと気が付いてくれたか。良かった、良かったとほっと胸をなでおろすが、それを口にすることは出来ず、代わりに、
「もう、こんなことしないでね。」
という言葉がでてしまうのであった。そしてわっと涙が出て、その骨っぽい手に顔をつけ、いつまでも泣いた。
「由紀子さんでしたっけ。あんまり患者さんの負担になるようなことはしないでくださいね。お願いしますよ。」
隣にいた男性看護師が、由紀子に言ったが、ほとんど通じていないような感じだった。
一方、第一面談室では。
「もう、肺が限界ですな。これではすっかりやられていて、手の施しようが、ありません。」
と、沖田先生は、申し訳なさそうに言った。ジョチもこれを予測していたけれど、力が抜けてしまったような気がした。
「そうですか。わかりました。」
とりあえず、それだけ言った。
「理事長は、随分さらっとしておられますな。」
沖田先生も、この反応は意外だったらしい。
「ええ、だって、それはしかたないでしょう。泣こうがわめこうが、事実というものは変えようがありませんし。」
「そうですか。それでは我々も、幾分楽になりますなあ。大体こういうことを言うと、何とかしてくれと、ご家族が大騒ぎするものなのですが。」
ジョチがそういうと、沖田先生は、ちょっと苦笑いした。
「初めからそういうことをいうなんて、やっぱり、理事長らしいですな。政界と関わっていると、こういう度胸もついてくるんですか。」
「だって、大騒ぎしたとして、何になるんです。泣いてもわめいても事実というものは、かえられないでしょ。だったら、諦めるしかないでしょうに。ただ、勘違いされては困りますが、医療を怠ってはなりませんよ。いくら、手の施しようがないと言ったって、それ以上水穂さんの治療を怠けるということはしないでくださいませよ。」
そういわれて沖田先生は、ちょっとため息をつく。
「わかっております。医療関係者として、そのあたり、全力は尽くします。私たちにとっては何も利益にならない患者なのかもしれませんが、皆さんに取っては大事な水穂さんであるということを、忘れずに入れておきます。」
「頼みますよ。沖田先生。僕たちには何をしたって、水穂さんの事を、楽にしてやれることは出来ませんから。」
「わかりました。それ、肝に銘じておきます。」
二人は、お互いため息をついて、又苦笑いするしか出来なかったのであった。
「ただ、このことを、まだほかの人には話しておかないほうがいいと思います。本当に申し訳ない事ですけれども、由紀子さんをはじめとしてほかの人は、事実を事実として受け入れるのは非常に難しい事だと思いますから。杉ちゃん、あの影山杉三さんなら、比較的理解してくれるかもしれないですけど、普通の人にはこの事実を受け入れることは難しいと思います。ですから、先生も何食わぬ顔で、水穂さんの診察と治療を続けてください。医者であれば、そういう演技をするのは、さほど難しくないでしょうから。」
ジョチは冷静な様であったが、内心では酷くがっかりしていることは疑いなかった。彼自身も、水穂の存在は、非常に大きなモノであったからである。
「まあ、お互い様ですな。」
と、沖田先生はいった。
「ええ、お互い様です。」
二人は、顔を見合わせて笑いあうのだった。そして、意識が回復したら、入院はさせず、製鉄所に連れて帰ることで、決定した。沖田先生は、看護師には十分に話しておくから、入院した方が良いのではと言ったが、由紀子さんや、ほかの者が許さないとジョチは断っておいた。
蘭が、呆然としたまま、野球中継を見ていると、玄関のドアががちゃんと音を立てた。またアリスの下へ相談に来た妊婦さんだろうなと蘭は思って、そのまま放置しておいた。
「坊ちゃん、何をしているんですか。野球の試合ならとっくに終わってますよ。」
声は沼袋さんだ。蘭はハッとしてテレビを見ると、テレビは、野球中継を当のむかしに終了し、子供向きのアニメを放送していた。蘭はアニメというものが嫌いだったので、すぐにテレビを消した。
「ああ、ああ、沼袋か。」
とりあえず蘭はそういう。
「ああじゃありませんよ。坊ちゃん。いま、水穂さんの病院に行ってましたよ。結果を必ず報告しろと、うるさいくらい言っていたのに、もう忘れたんですか?」
沼袋にそういわれて、やっと自分が何というせりふを言ったのか思い出せた蘭だった。
「そうだっけね。」
と、蘭は、ぼそっと言った。が、すぐに我に返って、今までのことを思い出し、
「沼袋、水穂、水穂はどうしてる!」
急いで沼袋さんに詰め寄った。
「もう、落ち着いてください。坊ちゃん。水穂さんは、無事に意識を取り戻して、製鉄所に帰られましたよ。良かったじゃないですか。」
淡々と話す沼袋に、蘭はちょっとほっとしたが、
「製鉄所に帰ったって!入院させて貰えなかったの!」
と、すぐに怒鳴った。沼袋さんはため息をついて、
「そうですよ。そこまでする必要はないっていう結論になりまして、無事に帰られましたよ。」
とだけ言った。
「ちょっと待て!咳き込んで意識不明だったのなら、すぐに帰るという訳にも行かないだろう。それなら入院させてもらって、ゆっくり治療を、、、。」
「もう、坊ちゃんも鈍いですなあ。最近の病院は簡単に入院させてはいけないというか、よほどのことがない限り、入院ということはならないんですよ。例えば、大きなけがをしたとか、大きな発作を起こして、心臓が停止してしまったとか、そういうことにでもならない限り、緊急入院ということはならないんですよ!」
沼袋は、蘭を一生懸命説得したが、蘭はまだ納得しきっていない様子だった。
「だって、それと同じくらいの緊急事態だったのではないだろうか。製鉄所に帰るって、誰が決めたんだよ!」
「決まってるじゃないですか。水穂さんの現在の主治医は沖田眞穂先生でしょ。決めたのは、当然のごとく、沖田眞穂先生ですよ!」
沼袋は、呆れた顔をして蘭を見たが、本当は一寸申し訳ない気持もあった。本当は波布から蘭には容体については伝えないようにと、きつく言われていたのである。
「全く、沖田先生も、あまり信用の置ける医者じゃないなあ。」
そんなことを言いながら、なにか考え事を始めてしまった蘭に、また新たな波布とマングースの勝負が始まるのではないか、そして、その一番の被害者は誰なのか、考えてしまう沼袋さんだった。
白鶺鴒 増田朋美 @masubuchi4996
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