30.またいつか
「へえ、こんなところに日本酒居酒屋があるんだな」
「くははっ! 酒飲みたるもの、常日頃からリサーチは怠らねーよ。家からはちょっとアクセスしづらいけど、気に入ってんだ」
家から電車で一本乗り換え、25分。改札口が4つもある大きな駅の、ややマイナーな出口。そこから更にメインの通りを曲がった路地の地下に、そのお店はあった。
「さあて、ユーセイ、今日は飲むぞ!」
「それは最近飲めてなかったヤツが言う台詞だ」
昨日、挨拶回りという名目ではしごに次ぐはしご酒をしたものの、ケロリとした顔で帰ってきた童子は、家でも「ちょっと口をさっぱりさせる」と言ってライムサワーを飲んでいた。完全なウワバミだ。
そして今日、送別会ということで、彼の行きつけに来ている。
「へえ、こんな感じなのか。なかなかいいな」
日本酒の居酒屋というと、明るい色の木でできた机椅子、というイメージが強かったけど、ここは真っ黒に近いダークグレーのシックな壁に、机椅子も黒で、かなり落ち着いた印象。
店員さんの格好も黒一色だったけど、それでも「いらっしゃいませー!」という声は威勢がよくて、そのギャップもまた面白かった。
「そういえばお前、予約の時はどういう名前で——」
「予約してた酒呑童子です」
えええええっ! そのまま使ってるの!
「はい、童子さんですね。ご案内します」
テーブルに通されてすぐ、目当ての酒を頼んだあとに、童子が案内してくれた店員さんの後ろ姿を覗いた。
「新しく入ったヤツだな。僕の顔を知らねーとは」
「そんなことよりお前、酒呑童子の名前だしていいのかよ」
彼は一瞬きょとんとすると、すぐに「くははっ! 大丈夫だよ」と吹き出し、着物の両袖で口元を隠して見せた。
「この格好で酒呑童子だぞ。どう考えても、お店口コミサイトの酒飲みユーザー名だろ」
「まあ、確かに……」
信じろって方が難しいもんな。でも話聞いてると、本物にしか思えなくなってくるから不思議だ。
「お、来た来た」
グラスが2つ運ばれてくる。粒の残った米が表面を覆っている、甘酒のような見た目。ただ、色は甘酒より白くて、ヨーグルトのようにも見える。
「ユーセイは飲むの初めてか?」
「ああ、見たことはあるけど飲んだことはないな」
「ふうん、なら楽しみだな」
グラスを持って、カチンと合わせる。
「それじゃ童子、いってらっしゃい! 乾杯!」
「ありがとう! 乾杯!」
まずは童子がやってるのを真似して、鼻を近づけてみる。フルーティーとはまた少し違う、酸味のある香り。
続いて一口。色もヨーグルトみたいだったけど、味もヨーグルトの上澄みにある清乳っぽい。甘酸っぱい爽やかな味わいが口いっぱいに広がって、ザラザラしたお米の食感も気にならなかった。
「美味い!」
「だろ? どぶろくもただの昔の酒じゃねーんだ」
確かに、これなら日本酒苦手な人も飲めそうだ。
「童子、どぶろくってどういう日本酒なんだ?」
その質問に答える代わりに、彼は店員さんにどぶろくの瓶を持ってきてもらうように頼んだ。
「厳密には日本酒とは呼べないんだよな」
「違うのか?」
「米を発酵させて、濾過せずにそのまま飲むのがどぶろくだ。日本酒は、発酵させて濾したもの、って決められてるから、定義からは外れる。ほら、瓶のところ、清酒って書いてないだろ?」
持ってきてもらった瓶を見てみると、確かに「
「濾す技術が要らねーから、昔はみんなどぶろくを造ってたんだ。でも、日清戦争や日露戦争の軍事費捻出のために酒蔵を増やして課税を上げたんだ。で、併せて家庭でどぶろくを造るのを禁止した。酒蔵が増税に反発したから、購入量上げるためご法度にしたんだろうな」
「酒に歴史あり、って感じだな」
クッと飲み干し、2杯目を注文する。
「昔はひどい酒も多かったけど、どぶろくもこんなに飲みやすくなったし、全国の酒が飲めるようになった。長生きして良かったってもんだ、くははっ」
「酒飲みには良い時代だな。そういえばお前、昔はどんなの飲んでたんだ?」
「ああ、平安の頃はしばらくは日本酒が多かったけど、江戸の前に僕の中で焼酎ブームが来たんだよな。それで……」
あれこれ話しながら、3杯、4杯と重ねていく。もうすっかり男友達のようで、話題は尽きなかった。
「よし、今日の帰りは久しぶりに川沿い歩いて帰ろうぜ」
「はあ? やめようぜ、寒いし」
「あのな、普通こういう時は話に乗っかるもんだろ。青春感もあるし」
「くははっ! 僕は電車で帰るよ。面倒なことはしねーんだ」
ホントにコイツは、変わらないな。こうやって楽しいことだけやろうとして、途方もない時間をずっと生きてきたんだろう。
「いやあ、飲んだ飲んだ。明日仕事だってのに」
「ユーセイ、水飲んでから寝ろよ」
時間があっという間に過ぎて、家に帰ってきた。結局酔い覚ましに川沿い散歩をして帰ってきたため、童子は「ったく、寒いっての」と口を尖らせている。
「先寝てるぞ、ユーセイ」
一足先に寝る準備を終えた童子が寝室へ消える。澄果と少しやりとりしてから、歯を磨いてベッドへ行くと、俺の存在を忘れたかのように大の字になって仰向けで寝ているバカ鬼がいた。
「おいこら、童子」
「ふんぎゃ」
足でお腹を軽く踏んでみると、彼はボールから落ちてお腹を強か打った猫のような声をあげた。
「俺のベッドだぞ」
「悪い悪い、まあダブルベッドだから狭くないし、一緒に寝ようぜ」
「お前が勧めるなっての」
彼を端っこにコロコロ転がし、横になる。外は静かで、車の音も聞こえなかった。
「ユーセイ」
「あ?」
横を向くと、童子が目を開けていた。切れ長の目に、整った鼻と口。恐ろしく綺麗な顔。2ヶ月半も一緒にいたのに、近くで見るとやっぱり緊張してしまう。
「今までありがとな。この町は良い居酒屋も酒屋もあるし、ユーセイもいるから、また戻ってくるつもりだ」
「そっか」
そして彼はニッと歯を見せる。
「これでスミカも泊め放題だぜ」
「やかまし」
軽くツッコんだ後に考える。コイツなりに気を遣ってくれたのかもしれない。でもまあ、それを聞くのは野暮というものだろう。
「あー、目がさえてるな! ユーセイ、眠くなるまで喋ってようぜ」
「俺は眠いっての」
「まあまあ。そう言わずにさ」
そうして結局、横になったまま45分もおしゃべりは続いた。
「あー、準備間に合わねー!」
「おい童子、そろそろ出るぞ」
翌朝。大した荷物もないはずなのに、支度が終わってない童子がバタバタと洗面所とリビングを往復する。
「ユーセイ、なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよ!」
「俺は4回も起こしただろ……」
その度に「うわー起きた、今完全に起きた」って言ってたのはどこのどいつだよ。
「よし、もうこれでいいや。後の片付けはユーセイに任せよう」
「結局俺がやるのかよ」
スーツを着て鞄を持った俺に続いて、荷物をまとめた童子が玄関まで来た。
「よし、じゃあ行くか」
エレベーターを降りて、エントランスに出る。
「ここでユーセイに声かけてもらわなかったら僕はのたれ死んでたね」
「嘘つけよ」
駅まで歩きながら、ずっと気になってたことを聞いてみた。
「そういえばお前、なんであの時うちの前にいたんだ? 泊めてもらう人探すにしても、他にもいくらでもマンションあるのに」
童子は思い出すように斜め上を向いて考え、やがて「ああ」と微笑む。
「あそこならちょうど座れるスペースもあったし、道一本入ったところだからゆっくり酒飲めるからな」
「……くっくっく……うはははっ! なんだよそれ!」
「なんだよ、そんな面白かったか」
なんだか、本当にコイツは変わらないんだなあと笑えてしまった。
「僕は別方向だ」
改札を通ったところで童子が手を差し出してきた。ホームが違うから、ここでお別れ。
「おう、じゃあな、童子」
「またそんなに遠くないうちに戻るよ、ユーセイ」
握手して、別々の階段を登る。タイミング良く電車が来て、隣のホームの童子を探す暇なく飛び込んだ。
少し寂しいけど、また会える気がする。1000年生きてるヤツの「遠くないうちに」なんていつか分からないけど、将来に楽しみが出来たと思えば。
と、スマホが鳴った。童子からごろ寝してるパンダのスタンプが送られてきている。
『これからはこっちでよろしくな! 酒のこと困ったら相談しろよ』
これからも何だかんだ連絡取ることになりそうだな。
『おう、道中気をつけてな』
そのままイヤホンをつけ、アーティストの新曲をチェックし始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます