15杯目 送別酒 ~どぶろく~

29.挨拶は突然に

 週末、土曜の午前。快晴だったので、散歩がてら本屋に行ってきた。


 新書、小説、ビジネス本、漫画……気になる本が幾つもあって、買おうとするとお金が幾らあっても足りない。図書館で済ませられそうなものは後で貸し出し予約しよう。


 いつもの川沿いを歩いて家まで戻る。12月も中旬に入るといよいよ冬も本番、「秋の終わり」では済まない。しっかり防寒しなきゃいけないけど、冬は汗もかかないし、空気も澄んでいるから、散歩していて心地が良い。



 気付けばお昼近くなってしまった。童子はさすがに起きてる……かどうか怪しいな。アイツなら食事食べて二度寝しかねない。



「ただいま」


 返事の返ってこないリビングに入ると、気持ち良いほど予想通り、テーブルに片手鍋をドカッと置いたまま童子が寝ていた。「今はユーセイがいない! この部屋は僕だけのもの!」と言わんばかりに、着物が皺になることも気にせず、仰向けで大の字になっている。


 艶のある横髪が首の動きに合わせてサラサラと美しく揺れ、おとぎ話で魔女の呪いにかけられた姫のように佳麗な顔で眠っていた。


 いやいや、ここで甘やかしてはいけない。


「おいこら、童子」

「ふんぎゃ」


 足で背中を軽く踏んでみると、彼は落ちてきた物に当たった猫のような声をあげた。


「んん……ユーセイ……そのままもう少し、太ももの方を……」

 ダメだコイツは……


「起きろー! もう昼だぞー!」

 体を思いっ切り揺らしたものの埒が明かず、最終的に上半身を抱えて無理やり起こして、ようやく目を覚ました。


「おはよう、ユーセイ。これからどうする? もうひと眠りする?」

「このタイミングでその提案できるのすごいな」

 俺が頷いたら間違いなく三度寝するだろう。


「あとな、素うどんを作って鍋から食べるってマナー的にどうなんだよ」

 俺の呆れ顔に、童子はやれやれ、という表情で返す。


「これは余計な食器を使わねーっていう、1000年生きた鬼の知恵なんだぞ」

「1000年生きた割には大したことないな」

 鍋を片付け、床に無造作に散らかった数冊の雑誌を集める。


「これ、先週のヤツだよな。捨てるぞ」

「あ、待って。ロトの当たり番号予測マシンの広告読みたくて取っておいたんだ」

「暇人の極みだな……」

 時たま羨ましくなるよ。


「お前さ、結構雑誌も本も読むんだから電子書籍にしたらどうだ? 散らかさないし、どこに置いたか探さないで済むぞ」

「いいや、僕は紙捲ってるのが好きなんだ。初めて紙の本見たときは感動したし、もう100年以上そうやってるしな。電子書籍も便利なんだろうけど、変える気はねーよ」

 そうか、そもそもコイツが暴れてた頃は紙の本すらなかったんだもんな。


「初めて本見たの、いつ頃なんだ?」

「んあ? 江戸の中頃か末期だった気がするな。それまでも本はあったんだろうけど、全部手書きだったからな。活版印刷で印刷された本ってのは江戸だった気がする。よく金貯めて買ったもんだ」

「そうか、お前1000年生きてるんだよな……平安の頃から生きてるんだよな……」


 10年20年で時代が変わっただの新しい時代の風だと言ってるのが滑稽に見えるような年月。歴史の教科書の前半から生活を続けてるわけで、冷静に考えるとすごい話だ。


 普段それを意識させないのは、若々しくて神秘的な美貌に満ちた顔と、その顔からは想像もつかないダメな日常生活のためだろう。



「なあ童子。つまんない質問かもしれないけどさ。鬼として暴れてた頃から、時代って、こう、良くなってるか?」


 別に聞いても仕方ないことだけど、何か良い返事が返ってくればいいなと思う。それは、自分が噛み締めるためであり、童子にも再認識して喜んでほしいためでもあった。


 そして、それを感じとったらしい童子が「くははっ!」と高笑いする。


「ああ、良くなってるよ。生活水準はもちろんだけど、仕事も結婚も表現も宗教も、選べるようになっただけで随分楽になれたヤツも多いと思う。『技術の発展や自由と引き換えに、人々は大事なものを失って……』なんて一節もよく聞くけど、技術や自由より大事なことなんかそうそうないからな。住みやすくなってきたのは間違いねーよ。長生きして良かったってもんだ」

「そっか。それなら良かった」

「どうしたんだよユーセイ。変なヤツ」



 どこか安心していると、童子が続けた。


「そうだ、ユーセイ。ちょっと僕、しばらくこの街から出ようと思う」

「……は?」



 スーパーで卵を買おうと思う、くらいの軽いテイストで放たれた言葉は、頭の中で処理するのにやや時間がかかった。


「え、あ、出る?」

「ああ。茨木とやりとりしてて、大江山の話になってさ。しばらく京都にも住んでねーし、故郷がどんな感じになってるか見てみたくてさ。茨木と一緒にちょっと行ってくる」

「ああ、うん、そっか」


 あまりに急で、そう返すのが精一杯。もちろんルームシェアなんてどっちかの都合で突然解消になったりするものだけど、仕事や家庭の都合がない分、童子からそういうことを切り出すパターンはないように思っていたから、驚きも大きい。


 まあでも、ずっと一緒に住むわけじゃないしな。俺には俺の生活もあるし、こういうきっかけを大事にしよう。


「いつ出るんだ?」

「月曜朝早く、ユーセイが出る前には出ようと思う」

「分かった。よし、じゃあ今夜は送別会だな!」


 俺の提案に、彼は「意味が分からない」と言わんばかりに顔をしかめた。


「あのなユーセイ、急に言われてできるわけねーだろ。今夜は行きつけの店9軒に挨拶回りしなきゃいけねーから忙しいんだよ。もっと僕に配慮してくれ」

「なんで俺が怒られてるんだよ」


 あと行きつけ多すぎだろ。9軒って。


「明日だ明日。明日なら空いてるからな、夜やろう」

「あいよ。希望の店とかあるのか?」


 童子はしばらく考え込んだあと、お気に入りの本を見つけた少年のようにニンマリ笑う。


「どぶろくを飲もう」

「どぶろくって、あのドロドロした酒か。昔の酒なんだろ、美味いのか?」


 その問いに、童子はいつも通り「やれやれ」と首を振る。


「ユーセイ、何も知らないでよくそんなことが言えたもんだ。僕が30歳の頃は、もうすっかり一人前で、山を降りては人間を見つけて暴れてたぞ」

「なんの話なんだよ……」


 一人前の例えが怖すぎる。


「店はそうだな……よし、僕の行きつけのうちの1軒を日曜に回そう」

「分かった、楽しみにしてるよ。今回は俺がご馳走してやる」


 言い終わるか終わらないかのうちに、童子は着物の袖を揺らしてガッツポーズを取った。


「やったぜ! ユーセイ、金に糸目はつけるなよ」

「それは出してもらう側は言うことじゃないだろ」


「くははっ! 呑み助が人の酒で呑むとどんだけ怖いか見せてあげよう」

「人でなし!」

「そうさ、僕は鬼だからね」


 何回かやってるこのやりとりも、なんだか板についてきて楽しい。


「んじゃ、そろそろ行くよ」

「あ? どこにだ?」

「ユーセイ、話聞いてなかったのか? 行きつけの店に挨拶回りだよ。1軒1時間半だとしても8軒で丸12時間かかるんだぞ」


 開いた口が塞がらないまま彼を見ていると、財布を袖にしまって玄関に行き、いそいそと雪駄を履く。


「んじゃ、お店予約しておくからよろしくな!」

「あ、ああ……」



 どこまでも自由で、ぐうたらだけど酒のためなら労力は厭わない。

 そんな童子が家を出た後、食器と雑誌の片付けを押し付けられたことに気付いて「バカヤロー!」と叫んだのだった。

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