14杯目 だんまり酒 ~ラベンダー酒~
27.意識しすぎて
「うー、寒いね」
「すごいな、完全防備だな」
金曜の夜。改札を出たところで待ち合わせていた澄果の格好に思わずツッコむ。急激に寒くなったからか、モコモコのファーのついたライトグレーのウールコートを着込み、しっかりボタンを留めてひょこひょこと歩いてきた。
「んじゃ行くか。しかしまあ、街も師走ですな」
「ですな」
並んで歩き始める。手袋を外した彼女の左手を握ると、「
12月になって、早めの忘年会も入る時期。通りのあちこちで、17時くらいから飲み始めていたであろう人達が店の前でたむろしている。
「んっと多分このあたり……あ、ここだ」
「へえ、なんか良さそう!」
エスカレーターに2階に上がるタイプの店。フレンチが中心らしいけど、箸でも食べられるってことで、「洋風居酒屋」という呼称がピッタリだ。
テーブルに通され、メニューの説明をされる。その日のオススメ料理も、小さい黒板に書かれていると余計美味しそうに見える。
「夕晴、飲み物どうする?」
「どれどれ……お、果実酒が結構種類あるな」
「ホントだ」
文字だけのメニューを広げて見せると、彼女は少し身を乗り出した。猫っぽい目、気分に磨いた爪、髪から漂う香り。いつもの澄果が目の前にいることに、安堵とドキドキが同居する。
「梅酒や
彼女はメニューの中の1つをトンッと指差した。
「レモングラス酒!」
「面白そうだな、俺もそれにする」
「あと料理も幾つか頼も」
オーダーしてからお酒が来るまでの時間は、ふうっと息抜きできるくつろぎタイム。
「ボーナス10日だっけ?」
「そ、10日。業績悪くなかったから去年より多くなりそう」
「いいなあ」
「そういう夕晴のところはどうなのよ」
「10日に出るぞ。去年と同額くらいかなあ」
「ボーナスのおかげでこうして安心して美味しいご飯を食べられるのです。ありがたやありがたや」
ナムナム、と手を合わせておどける澄果。昔からの女友達にくらいしか見せないであろう、こういう顔を見られるのは、彼氏の特権だな。
「澄果は使い道決めるてるのか?」
「んーん、まだ。でも温泉行きたくない?」
「いいね。部屋で夕食取るタイプの」
「客室露天風呂!」
ニッシッシと2人で歯を見せる。「では夕晴さん、リサーチお願いします」とビシッと指示を出された。ボーナスのおかげか今日はなんかテンション高いな。
「お待たせしました、レモングラス酒です」
店員が運んできたグラスを手に取って、すぐに掲げる。
「お疲れ」
「お疲れ!」
見た目は割と透明に近いその酒を顔に近づける。少し甘さの混じったレモンの香り。
飲んでみると、思った以上にスッキリとしていて飲みやすい。もちろんレモンサワーに比べたらレモン感は薄れるけど、酸味が薄い分1杯目からスッと喉に入っていく。
「飲みやすくて私好きかも。レモングラスってあの細長い葉っぱのヤツだよね?」
「そうそう。ハーブ酒の一種なんだろうな」
どうやって作るんだろう、とテーブルに置いておいたスマホで調べだした。
「密閉できる瓶に、洗って水気をきったレモングラス40~50本と氷砂糖200~300グラム、焼酎を1升入れて1ヶ月寝かせます、だって。へえ、1ヶ月かかるんだ」
風味や成分が浸みだすには、やっぱり結構時間がかかるんだな。
「そういえば、氷砂糖って何なの? お砂糖かな?」
「ああ、砂糖だよ。一旦水に溶かしてから、沸騰させて冷まして結晶化させるんだ」
「そうなんだ、理科の実験みたい! 夕晴詳しいね」
「うちに酒好きな同居人いるからな」
「ああ、童子君ね」
クスクスと笑いながら画面をスクロールしていた澄果が「わっ」と小さく驚く。
「『お風呂にレモングラス酒を入れると美肌づくりにも効き目があり、香りを楽しみながら心身ともにリフレッシュできます』って書いてある。やってみようかな」
「今年の冬は酒造りだな」
続いて運ばれてきたのは、食べ応えのある厚さに切られたサラミと、常温でしっかり脂が溶けている生ハム。どちらもしっかりした肉の旨味とちょうど良い塩梅の塩気で、サッパリしたこの酒との相性はバツグンだった。
「んー、噛み応えもあって美味しい!」
サラミを食べ、体を揺らして喜ぶ澄果。
「なんか今日は楽しそうだな」
贅沢に生ハムを2枚重ねて食べながら訊くと、彼女は「そうなの」と声のトーンを一段階上げた。
「今日ね、同期の女子から結婚の報告聞いてさ!」
表情は変えないまま、その単語に心がピクリと反応する。
「相手が転勤あって遠恋してたんだけどちゃんと続いて、今度こっち戻ってくるんだって。で、この前プロポーズ受けたらしいの!」
「そっか、良かったなあ!」
明るく返事をしながら、頭の中では思考が下へ下へとぐるぐると回っていた。
アピール、かな……? 澄果はあんまりそういうの出さないよな? それも抑えてただけかな? いやいや、そもそも何かあるとすぐこういう風に捉えるのが良くない。澄果が楽しそうに話してるんだぞ、ちゃんと会話しようぜ。
でも、こう考えてしまうってことは、それだけプレッシャーに感じてるってことか? 良いことなのにプレッシャー? 彼女に悪いと思わないのか?
「おーい、夕晴、どした?」
「いや……」
口に出すか逡巡して、アルコールが後押しする。
「やっぱり、澄果も考えるか?」
本音を知りたいという好奇心と、君の言葉が俺を動揺させることを知ってほしいという意地悪な反抗心が、声になる。
こちらの意図を掴み、眉をククッと固まった後、「んー」と手を顎に当てて考える澄果。そして、少し困ったような笑顔で頬の横を掻いた。
「そういうつもりで言ったんじゃないよ。けどまあ、そう聞こえちゃうよね、ごめん」
「いや、なんかこっちがごめんな」
次に続く言葉がすぐには思いつかなくて、搾りだしてもうまくいかなそうで、黙ってグラスを傾ける。レモングラスの爽やかさは、少し重苦しいテーブルの空気とミスマッチで憎らしい。
浮かんでは膨らんでくる後悔。なんであんなことを言ってしまったのか。自分1人で飲み込んでおけば良かったものを、ストレスを跳ね返すかのようにぶつけてしまった。あんな言い方したら、澄果だって調子が狂うに決まってる。
そして、こんな状況でも「本当にそんな気はなかったのかな」なんて疑ってる自分が情けない。なんだかこの話題になるとどうもナーバスで、言葉の裏や心の奥底を無理やり覗こうとしてしまう。
「童子君さ」
ふいに、澄果が口を開いた。
「しばらく夕晴のところで預かるの?」
「童子? んん、未定だな」
「そっかそっか」
ダークブラウンの髪を少し強く撫でつけて、視線を少しだけ横に向ける。
「そっか、もうアイツが来て2ヶ月半も経つのか」
9月下旬、まだ残暑の残り火が体を熱していた頃を思い出す。
「始めは知らないヤツとルームシェアなんてどうかと思ってたけど、酒飲みに行ってることも多いし、そんなに気遣わないし、大分慣れてきたな」
「え、初めて会ったの? 親戚なのに?」
「あ! いや! よく、ね! よく知らないってこと!」
危ねえ、気を抜くと設定も抜け落ちる。
「今のままならずっといても——」
そこまで言いかけて、口を閉じた。ああ、そういうことか。
「気になるよな」
俺の問いかけに、搾りだすような明るさで答えた。
「そりゃね、気軽に行けないじゃん!」
ずっと一緒に住んでたら、そうだよな。
「何年もいたら困るもんな」
「うん、困る、かな!」
「だよな」
そこでまた会話が途切れて、お互い残り僅かな酒に口をつける。新しいのを頼んでもいいのに、「次どうする」がどちらからも聞こえてこない。
変なことは話してないけど、言いたいことを中途半端に吐き出して、中途半端に飲み込んで、会話の波長も歩調も合わない。
社会人になって磨いた薄い笑顔を崩さないまま、だんまりで食べる料理は、唾の音しかしなかった。
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