第4章 彼とのさようなら

13杯目 同期酒 ~漬け込み果実ハイボール~

25.気付けば中堅

「つっ……かれたー」


 間もなく12月。クリスマスや冬休み、年越しなど、お菓子が売れやすくなる商戦時期。月の勤務日数が少ないこともあり、社内もバタバタと慌ただしい。


 時折、大樹のことも思い出すけど、やることが積まれていると消化しているうちに平静に戻る。仕事もこういうときには役に立つもんだ。


「おーい、春見!」

「よお、久しぶりじゃん、白根しらね


 昼休み、オフィスフロアの自販機でカフェラテかブラックか迷っていると、同期の白根しらね充成みつなりが声をかけてきた。


「今日は会議?」

「ああ、チームのな」


 迷わず瓶の炭酸栄養ドリンクのボタンを押しながら、彼は短髪をグワッとかきあげ、おでこが出るように持ち上げた。




 白根とは新人研修で一緒のチームだったこともあり、かなり仲の良い同期。今は営業で大型スーパーを担当する部署に所属していて、社内で見かけるのは割と稀だ。




「どうよ、売り上げ」

「いやあ、厳しいな! お菓子が嗜好品だって思い知らされるぜ」


 参ったと言わんばかりに片目を瞑り、炭酸を飲み干す。


「なあ春見、今日は終日オフィスなんだけど、夜空いてない? 久しぶりに一杯どうよ?」

「おっ、いいね」

「オッケー、また連絡するわ」


 うし、と気合いを入れて白根が戻っていく。それじゃ、俺も仕事明けの楽しみに向けて頑張るかな。




***




「で、どこにするよ?」

「ふっふっふ、実は決めてあんだ」


 すっかり日が短くなり、雲のない黒色の空に白い星が散らばっている夜の街を、2人並んで歩く。


 今日は幾分暖かいので俺も白根もコートは着ていないものの、結構着込んでいる人もいる。体積を増した分、通りはガヤガヤと混雑しているように見えた。


「ほら、ここ。最近できたんだよ」

 白根が向かいの建物を指差す。


「ハイボール……の専門店か!」


 ダークブラウンを基調としたクラシックっぽい建物に、金色のレトロな字体でハイボールの文字が綴られている。


「一度入ってみたかったんだよ。カウンターで予約できてるぜ」


 かなり奥行きのある店内も、ダークブラウンで統一されている。椅子はえんじ色の合皮、天井にはシーリングファンライト。


 敢えてノスタルジックに見せているそのデザインに、ワクワクしながらカウンターに座り、ハイボールばかり並ぶメニューを開いた。


「この『王道ハイボール』にする。春見は?」

「俺も!」

 すぐに出てきた氷たっぷりのジョッキをしっかり持つ。


「お疲れ!」

「お疲れー!」


 ゴンッと重い音を響かせた後、キンキンな中身を喉に流し込んだ。


 深みのある味わいと、独特のコク。ウィスキーはそんなに得意でなくても、炭酸で割ることでグッと飲みやすくなる。

 ああ、今でも十分美味いけど、夏に飲んだら堪らないやつだな。


「くーっ、やっぱ乾杯の酒は美味いな!」

「何、白根は最近ハイボール好きなの」

 俺の質問に、彼は自分のお腹を見ながら答える。


「ビールも好きなんだけどさ、太らない酒って重要なわけよ」

「それな」


 昔は食事を少し抑えれば簡単に戻った体重が、簡単には戻らなくなった。目標をもってダイエットしてるわけじゃないけど、夕飯を白米の代わりに豆腐にしたり、地下鉄一駅分なら歩いてみたりと、胃や時間に余裕があるときは実践している。


「お、これ見ろよ春見、『専門店が作る本気のハイボール』だって。ちょっとだけ高いけど」

「いきましょう」


 少し高くても、せっかくこういう場所に来たら試してみたい。経験分の差額を払うことを金銭的・精神的に躊躇することが減ったのは、社会人の良いところかもしれないな。


「お、あれ多分俺たちのだ」

 白根がカウンターでジョッキを2つ出した店員さんを小さく指を差す。


 見たことのない海外ウィスキーを注ぎ、ゆっくりゆっくり、ソーダを加えていく。最後にミントらしき葉を数枚上に散らし、俺達の手元に運ばれてきた。


「どれどれ……おおっ!」

「全然違うな!」


 まろやかな甘みと、飲んでから鼻を抜ける華やかな香り。今まで飲んでたハイボールと全く異なる贅沢な味わいに、2人で驚く。


 飲まずにジョッキの水面に顔を近づけると、目の覚めるようなミントのクリアな香りが立ち込め、普通のハイボールとはまた一味違う爽快感を演出する。


「いやあ、最高級のハイボールって感じだな!」


 隣に向かって叫ぶと、酒に強くない白根はもう軽くほろ酔いで俺の肩をバシッと叩く。


「7年も8年もいるとさ、色々思うことはあるよな! そもそも時間が速い!」

「だよな」



 平日をこなしたらあっという間に1ヶ月が過ぎて、それを3回繰り返したらすぐに四半期が過ぎて、のんびりしてたらあっという間に期末になって、気が付いたら大学を2周するだけの年月が経っている。


 何もないまま過ごした、とはさすがに言えないけど、学園祭実行委員として本番に向けて全てを費やしていたあの濃密な時間と比べると、「え、もう2周してるの」という驚きと恐怖が強い。



「春見はマーケティング、ぼちぼちやってるか?」

「まあなんとかそれなりにな。営業はどうだ?」

「どうだかな……管理職とか、考えちまうよな」


 これから白根が話す詳細は分からないけど、何となく言いたいことは分かって、先んじて頷く。


「営業は数字の世界だからさ、多かれ少なかれ競争なんだよ。チームの売り上げが大事だって言ったって、個人の数字で評価が決まるから最優先は自分だしな」


 息継ぎをするようにハイボールのジョッキをクッと傾ける。


「そういうチームをまとめるってのは本当に大変だよ。そのうえ自分自身も営業目標持ってるし、チームの目標が達成できなきゃ自分の責任だ。なんか頑張って課長になっても、いいことあるのかなあって思う」

「昇進なあ……」



 部下を育てる面白さは、今みたいに後輩を持ってれば十分な気もする。給料が上がるのは魅力的だけど、その分ストレスが増えたり自由な時間が減ったりするなら考えものだ。

 白根の気持ちはよく分かるし、売上という分かりやすい形で評価が決まる営業なら余計に大変だろう、という気がした。



「まあとはいえ、ずっと今のポジションだと、やること変わらなくて飽きちまうからな。昇進目指すか、別の部門に異動希望出すか、自分でも考えないとだ」

「中堅だなあ」

「だなあ」


 普段意識しない単語を言葉にして、各々苦笑いする。時間があっという間すぎて、新人だったはずの俺達はいつの間にかちょっとした先輩になり、もう中堅になっていた。



「白根、次何飲む?」

「んん、どうするかな……」


 メニューを見ていた白根が、急に目線をこちらに向ける。何をじっと見てるんだと思っていたが、すぐに俺の後ろ、店の奥を見ていることが分かった。


「あの人、すげーな。飲んでるだけで絵になる」


 振り向くと、奥に3席だけあるカウンター席に、いつの間にか人が座っている。入ったときはいなかったはずだけど、お手洗いにでも行ってたんだろうか。



「服装も珍しいし、顔もめちゃくちゃカッコいいな」


「…………ああ、そうだな」


 着物姿の中性的な男子、俺の同居人が静かに一人酒をしていた。

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