12杯目 弔い酒 ~ジプシー~
23.そんな気がしなくて
「おーい、ただいま」
「…………」
会社から帰宅して、寝室に直行。ベッドの上、もはや満足に呼吸ができないレベルで毛布を全身に巻きつけている酒呑童子に声をかける。
「起きてるよな? 玄関開けたとき、ガサガサって音聞こえたぞ」
「………………」
「お前、まさか、このリビングの食器とお菓子のゴミを片付けないために寝たふりしてるんじゃないだろうな」
「…………そんなことあるわけねーだろ」
「だったら起きろー!」
「ぐわああああああ!」
毛布を引っ張ると、持ち上げた布団にしっかと抱きついて離れない童子がくっついて持ち上がった。お前はエサを諦めないハムスターかよ。
ユサユサと毛布を揺さぶると、やがてドサッと落ちた。
「ってーな。ユーセイ、僕だって人間だ、寝る権利は保証されていいはずだ!」
「ますお前は人間じゃないし、仮に人間だとしても寝るのはやることやってからだ」
「ふんっ、ケチだな。鬼め」
「どっちが鬼だっての」
ぶーぶーと文句を言いながら、童子はやっと立ち上がり、リビングまで戻ってきた。
「はあ、面倒だな……ユーセイ、僕が必死に食器をシンクまで運ぶから、洗うのはお願いしてもいいか? お菓子のゴミは、食器やったら免除してくれ」
「どんだけ重労働なんだよ……」
ここまでぐうたらだといっそ清々しいな。
「毎日毎日、家事やるなんて偉いねえ」
「いや、そんなにちゃんとはやってないけどさ。でも毎日やるから生活のリズムが作れるんだぞ」
「まあ僕は即興演奏みたいに生きていきたいからさ、リズムは一旦いいんだ」
言いながら彼は定位置に座り、すぐにコテンと横になった。食器運ぶんじゃないのかよ。
「とにかく、これが終わるまでは寝かせな——」
その時、着信音が鳴った。アプリではなく、通常の電話。しかも知らない電話番号から。
怪しいから取らないでも、と思ったものの、夜21時ならマンションの営業電話ということもないだろう。立ったまま、電話に出る。
「はい、春見です」
「あ、春見君? 北川大樹の母です」
高校の同級生、大樹のお母さん。声に力がない。なんだ、こんな時間に何の用なんだ。
不吉な予感、なんてものを感じる間もなく、彼女は話し始めた。
「実は……」
「ユーセイ」
電話が終わる。何を見るでもなく呆然としている俺を、童子が真顔で呼んだ。ただ事ではない、と理解しているのだろう。
「北川大樹、いただろ」
「転職したヤツだよな。僕がクロンダイクハイボール振舞った」
頷いた後、どう話をしていいのか分からず、会話が止まる。ようやく、押し出すように一言口にした。
「交通事故で死んだらしい」
目を丸くする童子。やがてゆっくり俯き、「そうか……」とだけ呟いた。
***
通夜の土曜はあっという間。地元で行うということで、俺は慣れない、慣れたくもない喪服を着て、下り電車に乗っていた。
初めて報告を聞いた翌日、改めて大樹のお母さんから連絡があり、お互い少し落ち着いて話が出来た。
車側の前方不注意による衝突。とはいえ、暗い夜道、大樹も相当目立たない格好をしている中での、横断歩道のない道での事故だったようで、お母さんも「まったくね……」とうまく言葉にできない想いを受話器越しに吐き出していた。顔の傷はそんなにひどくなかったというのが救いだ。
大学以降の友達は電話番号を交換している人が少なく、まずはSNSで報告をしたらしい。その後、無事だった彼のスマホに登録されていた電話番号に片っ端から電話をかけ、連絡しているとのこと。俺のことは高校から知ってるから、動揺してる
俺はといえば、ここ2日、高校の他の友人に連絡し、参加するかどうかを聞いて回った。その中でも、3人でよく遊んで、今も地元に残っている鈴原が通夜に行くことが分かり、駅から葬儀場まで車で送ってくれることになっている。
「うう、寒っ」
想いを馳せて涙することも、「ばかやろう……」なんて独り言を投げかけることもない。
現実は存外ドラマチックなことはなくて、「ああ、ドラマだからドラマチックなんだなあ」なんてトートロジーみたいなことをぼんやり考えたりして、電車の振動に眠気を誘われて目を閉じる。
先月会ったばかりだからだろうか、いないなんてことが到底信じられない。呆れるほど現実味のない喪失感は、何も
「よお、久しぶり」
「だな。今日ありがとな」
駅で待っていた鈴原に礼を言って、助手席に乗る。都内で電車暮らしをしていると、地元の友人が華麗に車を乗りこなしているのがやけにカッコよく見えたりする。
「ビックリしたな」
「ホントに」
お互い、口数は少ない。車内に流れる音楽が、窓に当たって耳に吸い込まれた。
「こういうことで集まる年になっていくんだな」
鈴原の言葉に、深く頷いた。
そう、俺も同じようなことを考えていた。他人事のような感覚を抱いているのは、ドライだからではなく、客観的に自分自身を見ているから。
20代の頃は結婚式に呼ばれて祝って飲んでを繰り返してきたけど、長く生きるってことは事故の確率も病気のリスクも上がるわけで。俺達も少しずつ、めでたい集まりだけではなくなっていく。そんなことが頭を巡った。
「本日は、ご多忙の中ご参列いただきましてありがとうございます。優しい笑顔が印象的で、皆から愛されていました、北原大樹様。本がとても大好きで、雑誌を作る編集のお仕事をなされていました……」
葬儀場に着いても、なんだかフワフワした感覚。慣れない場所に戸惑いつつ受付を済ませ、開式前のアナウンスを聞きながら誘導されるがままに会場に入る。
「鈴原、行くか」
「おう」
他の友人たちと一緒に遺影を見る。この前会ったばかりの大樹の顔。見たら泣くかと思ったけど、そんなこともなかった。
棺に入った本人と顔を合わせる。いつも通り柔らかな顔で、小説でも映画でも何度も使われてる陳腐な表現だけど、本当にただ眠っているだけのようだった。
友人が亡くなったということは、こんなにも実感のないものだろうか。定められたイベントをこなすかのように、目を瞑り、読経を聞いて、横の人を見ながらお焼香をする。生き方は人の数だけあるのに、幕の引き方はパターン化されているんだなあ、などと、退廃的なことを考えていた。
式が終わり、数珠を鞄にしまいながら鈴原が肩を叩いた。
「春見、通夜振舞いは出る? 親族以外も自由みたいだけど」
田舎らしいよな、と真顔で呟く彼に「お前は?」と訊くと、小さく首を振った。
「俺もやめとくよ。献杯する気分じゃないしな。鈴原は真っ直ぐ帰るのか?」
「ああ、送っていくよ」
そして、車で戻っていく。家族で行く食べ放題レストランやゴルフ用品店、駐車場の広いコンビニを幾つも通り過ぎる。
「あんまり実感なかったな」
「なかったよな」
お互い思うことは同じだったらしい。大樹の話はそれ以上せず、葬儀場で久しぶりに会った友人の話をしながら、駅前に近づいていった。
「助かった、ありがとう。またな」
「ああ、今度は普通に飲もうぜ」
温度の低い挨拶をして別れる。
上りの電車の中は都心と違って、座って酒を飲んでるおじさんも結構多い。
自由さが羨ましいと思いつつも今はあんまり酒を飲む気にもならなくて、持ってきた本も鞄にしまったまま、イヤホンから聞こえる好きな曲に浸って過ごした。
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