11杯目 兄妹酒 ~貴醸酒~

21.この子誰の子

「ただいま」

「おう、おかえり、ユーセイ。今日は早かったな」

「定時あがりだったからな」


 スーツのジャケットを脱ぎながらリビングに行くと、童子が白いアメーバのように床にひっついていた。11月に入り、彼の「一刻も早く導入すべきだ」という声に負けて出したこたつ布団をしっかりと被っている。


「なんでこの家にはこたつ布団はあるのに、こたつテーブルはねーんだよ、片手落ちだろ。あのカチッて電源入れてテーブルの中から温かくなるのがいいんだろ」

 俺のテーブルの天板下を足でバンバンと叩く。


「アレは夏にジャマだからな、ホットカーペットで我慢しろ。童子は今日はどっか行ったのか?」


 そう訊くと、彼は寝転んだまま「いいや」と首を振って離れたところにある紙の塊を指差す。


「この前駅で配ってたマンションのパンフレットに子ども用のトントン紙相撲がついてたから、力士8人でリーグ戦と決勝トーナメントやってた」

「清々しいほどの暇人だな……」


 そこまでいくと一周回って羨ましくない気もする。


「お前さ、今日動きたくても体調不良で動けなかった人とかいるんだぞ。なんていうか、罪悪感みたいのないのか」

「別に。僕は僕でそういう時期なんかイヤというほど乗りこえてるからな。今はその分自由に生きさせてもらうぜ」

「はいよ……」


 童子の言うことも一部もっともで、言い返さないままYシャツで冷蔵庫を覗いた。


「あー、しまった。夕飯の準備何も買ってなかったか……久しぶりにファミレスでも行くかな。お前も行くか」

「おんぶして行ってくれるなら考えねーこともない」

「冗談じゃなさそうなのが怖いんだよな……」

 両腕を上げるな、おんぶを求めるな。


「そういえばこの前買った日本酒も飲み干したんだろ? ファミレスで飲んだらどうだ?」

 その言葉に、カーペットに貼り付いていた童子がガバッと起き上がる。


「いいな! ちょっと遠いけどスーリールに行こうぜ、ユーセイ!」

「スーリール? 結構歩くぞ、いいのか?」

 俺の問いに、子どもが映画館に行く前のように爛々と目を輝かせる。


「ああ、あそこは酒の種類が多いからな!」

「ブレないな、お前はホント」


 苦笑しながら腕を引っ張って童子を起こし、私服に着替えて出かける準備を済ませた。


「ここの道、夜の散歩にいいよな」

 川沿い、俺の少し前を歩きながら、童子が振り向く。


「ああ、俺も気に入ってる。この時期だとちょっと寒いけどな」


 最寄駅から隣の駅を繋ぐように整備された歩道。穏やかに流れる川と、桜の木と、柔らかいオレンジが灯る街灯。もう少ししたら、この桜にも電飾がついて、冬のライトアップが煌めくのだろう。


 ランニングしている人、空いたスペースでストリートダンスをしている人、はしゃぐ兄弟を注意しながらあるく親子連れ。19時になろうとする11月の暗がりの中で、誰もが夜の入口を思い思いに過ごしている。



「そういえば、ユーセイは兄弟とかいねーのか?」

「俺? ああ、3つ下の妹がいるよ。普通に会社勤めだ」

「へえ、近くに住んでるのか?」

「いや、ちょっと離れたところで1人暮らししてる」

「ふうん、上や下にいるってのもいいねえ」


 平均台でバランスを取るように縁石に乗りながら、彼はポツリと呟いた。


「童子、ずっと1人だもんな」

「まあ、兄妹姉妹がいて1000年もケンカしてるのもまっぴらごめんだけどな、くははっ!」


 隣の駅に着き、スーリールに向かう。大きなレストランビルの2階にあるファミレス、Sourireの看板が赤に輝いている。フランス語で微笑みとかいう意味だったっけ。


「言っとくけど、ここは別会計だからな」

「分かってるって、ユーセイ」


 席に通され、いそいそとメニューを開く童子。俺もグランドメニューを手に取り、肉のページから開く。


「何食べようかな」

「あれ、日本酒にしようと思ったのにエイヒレの炙りがない」

「あるわけないだろ」


 呆れすぎて逆に笑ってしまった。ファミレスをなんだと思ってるんだ。


「ユーセイも少し飲まねーか?」

「明日も仕事だから軽くな」

「オッケー、じゃあこれにしよう」


 店員さんを呼び、お互い注文する。真っ先に出てきたのは、海外製カクテルと同じくらいの小瓶に入った日本酒。


「あっ、これ見たことあるぞ。スパークリング日本酒だ」

「ああ、度数も低めだし、肴がなくても飲みやすい」


 炭酸が噴出さないようにゆっくりとキャップを回し、2つのグラスに注ぐ。


「それじゃあ、チューリップやまぜきの第1回紙相撲大会の優勝を祝って、乾杯!」

「第2回もあるのかよ……乾杯」


 グラスに鼻を近付けると、フルーティーな甘さを連想させる香り。味はメロンのようでもあり梨のようでもあり、甘さと瑞々しさがうまくバランスしている。飲み込むと舌に甘みが残るけど、くどさはなくて爽快。


「へえ、確かに飲みやすい! お酒って感じもしないな」

「これはアルコール度数5度だからな。ビールやサワーと変わらねーぜ」


 堪能としていると、少しずつ料理が運ばれてきた。童子に薦められた、リンゴとキウイを混ぜたフルーツサラダが日本酒とマッチする。なるほど、フルーツ同士、相性が良いってことか。


「なあ童子。スパークリング日本酒って、炭酸飲料みたいに日本酒に炭酸ガス注入して作るのか?」

「ああ、そういう方法もあるけど、この日本酒は瓶内二次発酵だな」


 聞いたことのない単語に首を傾げていると、「くははっ、童子先生の解説だ」と上機嫌に人差し指を立てた。


「そもそもアルコール発酵ってのは、糖分をアルコールと二酸化炭素に分解することだ。日本酒の場合は米のでんぷんが糖分だな。で、この酒は。そうすると、出荷した後もずっと瓶内では発酵が続いてんだ。で、アルコールと一緒に二酸化炭素も出るから……」


「炭酸ガスが入るってことか。へえ、人工的なものじゃなくて自然の力で作ってるんだな」


 てっきりジュースと同じようにベルトコンベア的に製造しているのかと思ったので、自然界の菌の力に驚いてしまう。


「シャンパンと同じ作り方だな。よし、ついでにシャンパンも飲んでみるか」

「なんのついでなんだよ……」


 こっちのツッコミも無視して呼び出しボタンを押す童子。結局スパークリング日本酒も更に追加し、そこそこほろ酔いで川沿いを歩いて家まで戻った。







 翌日も早く終わり、家の最寄り駅からまっすぐ帰路につく。


「うおっ、風!」


 ビュオッと前から音を立てて、ジャケットをYシャツに打ち付ける。そろそろコートを出さないとだな。


 と、ポケットに振動。久しぶりに妹から着信が入っている。


「おう、どうした? 久しぶりじゃん」

「あのさ、お兄ちゃん……」


 いつにも増して低いトーンで、彼女は返事した。


「今日お昼に連絡した通り、明日こっちで研修あるから泊めてもらおうと思ってたんだけどさ」


 おっと、そんな連絡来てたかな。色んな通知がたくさん来るから見過ごして——



「今お兄ちゃんの家に来てるんだけど、このって名乗ってる男の子、誰なの?」


 全ての事情を察して、寒風も止んだのに凍り付いた。

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