20.どうせ1人で、だからこそ

「ぐぬ……ぬぬ……」


 一夜明けた日曜日。唸りに唸って、ベッドで目が覚めた。ゲームのキャラクターになったものの、最初のボスの手前で両側から迫り来る壁から逃げる方法が分からず、何度も挟まれてやられてしまう。


「嫌な夢だった……」


 体を起こそうとしたものの、うまく動かない。あれ、なんだこれ、金縛り? まさかまだゲームの夢から覚めきってない? 一体どうして――


「どわっ! はわっ!」


 左を見て驚き、更に右を見て驚く。酒呑童子と茨木童子に挟まれて寝ていた。


 ううむ、まじまじと見ると二人ともやっぱり超次元的な美形だな……睫毛もマスカラしてるのかと思うほどバシバシだし、肌も何か塗ってるかと思うほど綺麗で白い。


 茨木童子の方がやや幼顔で、無垢な綺麗さを感じられる。酒呑童子の方は目を瞑っていてもキリッとした表情で、神秘的ですらある妖艶さが漂っていた。


 っていやいや、そんな真剣に眺めている場合じゃなかった! きちんと言わねば!


「起きろー! 今日は二人とも床とソファーで寝るって話だっただろー!」

「んん、朝からうるせーぞ、ユーセイ……」

「んあ……おはようございます、春見さん 」

 プチ説教を始めるべく、半寝の2人を叩き起こした。



「あのな、今日はじゃんけんで一人勝ちしたから、俺だけがベッドで寝る予定だったはずだけど?」


 童子は横を向き、「けっ、こまけーな」と小さく呟く。「聞こえてるぞ」と付け足すと、さっきまでの神秘性を消し、思いっきり口を尖らせた。


「いや、もうユーセイが寝たら入り込んじまえ、と思って。ユーセイが起きる前に起きればバレないし」

「一度でもお前が俺より先に起きたことあるのかよ……」

 その自信はどこから来るんだ。


「で、茨木童子もなんで寝てるんだ?」

「いや、ごめんなさい、春見さん。実はボクも覚えてないんです。ソファーで寝てたはずなんですけど……童子様、何か知ってます?」


 急に明後日の方を向いて口笛を吹く童子。なんて分かりやすいヤツ……


「童子、お前なんかしただろ」

「まぁほら、僕だけ怒られるのもシャクだからさ、一緒に寝かせたわけよ」


 着物に覆われた太ももをパシッと叩くと、童子は「家長ハラスメントだ! カチョハラだ!」と騒ぎ立てた。


「さて、今日は何をするかな……」

「あの、春見さん」

 髪をポニテ風に縛った後、茨木童子が小さく手をあげる。


「ボク、明日朝にはここを出ようと思います」

「おわっ、そうなのか!」

 かくして、今日は2日連続の送別会を開催することに決まった。





「それでは、茨木童子、短い間だったけどありがとう!」

「茨木、お疲れ!」

「ありがとうございます!」


 茨木童子の希望で、1駅分歩いたところにあるバルに来た。各国のエールビールが飲める店ということで、気になっていたらしい。


 バルに着物姿の美青年2人と入るのは抵抗があったけど、入ってしまえばどうってことなかった。


「ところで茨木、どこへ行くんだ?」

「はい、この辺りで行きたかったところも巡れたので、仕事に戻ります」

「ああ、そういうことか」

「え、茨木童子って仕事してたの!」


 びっくりして素っ頓狂な声をあげると、彼は「趣味みたいなものですけどね」と右手を小さく揺らした。


「独居老人の家を訪問して話相手になるだけです。ボク、大体のこと経験してるんで分かりますし。向こうも、ボクがなんとなく人間じゃないことが分かるみたいで、普通に旧友みたいな感じで思い出話できるんですよね」


 彼はどこを見るでもなく、視線をズラして一点を見つめていた。


「みんながどんな人生を生きてきたか、興味があるんです。寿命が長くないからこその決断や迷いがあって、聞いててドラマを感じるというか。それで向こうが喜ぶなら一石二鳥ですから。お酒出してもらえることも多いですし」


 そうか。物腰も柔らかいし、ピッタリの仕事かもしれないな。


「酒と言えば茨木、このビールめちゃくちゃ美味いな! これ、ポーターか?」


 口の周りにでろんと泡をつけて童子に、茨木童子は「そうです。童子様はこれ、気に入ると思ったんですよ」と紙ナプキンを渡す。


「なあ、ポーターってのもエールビールの一種なのか? 黒ビールだよな?」


 茨木童子に顔を向けながら冷えたグラスをクッと傾ける。コーヒーのような香ばしい香りと、昨日飲んだIPAに近い苦味が鼻と喉を刺激した。


「ええ、そうですよ、春見さん。ポーターは黒ビールです。歴史は割と古くて、18世紀にイギリスで生まれてます。茶色麦芽を焙煎してるんで、芳香と苦さが特徴ですよね」

「うん、確かにこれは香りと味のギャップが面白い」


「ちなみに語源ですけど、ロンドン市内まで運ばれた品物を市内に配送していたポーターと呼ばれる人々が好んで飲んだのが由来らしいです」

「ポーター……あっ、なるほど! ホテルで荷物運ぶポーターと一緒か!」


 楽しそうに首肯する茨木童子。自分の知ってる知識と文化が意外なところで結びつく。酒ってこういうところが面白いな。


「さて、次のビールを飲みましょう。童子様、ボクのオススメでいいですか?」

「おう、ガンガン飲もうぜ」


 こうしてグラスを重ねる。そして予想通りというか予定通りというか、酒癖の悪い美青年が1人出来上がった。


「ふいい、童子様とお別れするときは、いつも心配れすよ」


 目付きもやや悪くなっている茨木童子。少し話しては、熱中症対策のこまめな水分補給のようにビールを飲む。


「おい、茨木、その辺にしとけって」

「いいれすか、春見さんに迷惑かけちゃいけませんよ! 目を離すといっつもぐうたらしてるんらから! ちゃんとしてくださいね!」


「まあまあ、水飲んで一休みしましょう」

「そうだぞ茨木、ちょっと落ち着けよ」


 差し出した水を一気に飲み干した茨木童子は、俺達2人をキッと睨んだ。


「いいや、これが落ち着いていられますか!」


 しばしの静寂。やがて、「……うっ……くうう……」と搾りだすように呻くような声をあげた。驚いて顔をよく見ると、その目には涙が光っている。


「だって、心配なんれすよ……他の鬼みんな死んじゃったし、ボクだっていつ死ぬか分からないし……ボクの方が先に旅立ったら、童子様やっていけるのかなって……これまでずっと一緒にいたのに、申し訳ないなって……」


 酔いも醒めたのか、勢いを無くしたその静かな声は、目一杯の寂寥感に包まれていた。


「でも、逆のことも考えちゃうんです。最後まで一緒にいられないのだって辛いけど、童子様に先立たれるのも辛いんですよ。ボクのことを理解してくれる人が誰もいなくなるなんて、考えるだけで怖いんです」

 ああ、そうだよな。


 人間が怖がることを、鬼が怖がらないとは限らない。ずっと一緒に、1000年も一緒にいた相手と離れるのは、想像するだけで心をサンドペーパーで撫でられるような気分。


 目を赤くして、頬に水滴の跡を残す茨木童子。それでもその端正な顔はグシャグシャな印象は微塵もなくて、むしろどこまでの純粋で真っ直ぐな、主人想いの青年だった。


「ったく、そんなこと心配してたのかよ。いつになるか分からねーのに、相変わらずお前は気が早えーな」


 自分の髪を押し撫でながら、童子はやれやれと肩をすくめる。


「最後はみんなどのみち1人なんだよ。でも、それでいいじゃねーか。そういうもんだって理解して、その日が来るまで少しでも楽しく過ごすのが正解なんじゃねーかと思う」


 グラスの縁に残った泡をあむっと食べながら続ける。


「人間も、僕達よりよっぽど短い寿命の中で同じこと悩んで生きてるし、だから哲学や倫理が生まれたんじゃねーかとも思ってる。生まれる時も死ぬ時もどうせ1人で、そこで勝ち負けなんかなくて、だからこそ善く生きたり、誰かと寄り添って生きたりするのが大事なんだよな」

「童子様……」


「いいじゃねーか、寿命が何千年も違うことはねーだろうし、茨木と1000年遊んだ思い出があれば僕も退屈しねーよ」

 それを聞いた茨木童子はゴシゴシと着物の袖で顔を拭った。


「……そうですね! はい、童子様もまだ全然死ななそうですから、もう少し遊べそうですし!」

「余計なお世話だっての」


 顔を見合わせて吹き出す。こういう関係はいいな、と思わせる、2人の笑顔。


「じゃあ次のビール頼みましょう。飲んでみたかった白ビールがあるんです!」


 明日から仕事だけど、今日は気にしない。結局終電を逃し、3人で話しながら歩いて帰った。






「おい、ユーセイ。茨木から連絡来たぜ」

 翌朝、出勤前。茨木童子は5時台に起きて、出ていってしまった。


 童子に言われてスマホを見ると、グループトークに「また遊びに行きます!」の文字と可愛いウサギのスタンプ。


「瑛一からもまた会おうって連絡来てたな」

「離別じゃねーから、どっちもすぐに会える。また飲めばいいさ」

「だな」


 その日を楽しみに、今日からまた、1週間が始まる。

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