18.お酒も揺れる、心も揺れる

「夕晴どうする?」

「ううん、そんなに度数高めじゃないのにしようかな。澄果は?」

「私も。んっとね……あっ、スプモーニにする! 綺麗な色で好きなんだ」

「俺は、と……」


 と、ふいに童子が「色が綺麗だからいつか飲んでみるといいぞ」と紹介してくれた酒を思い出した。


 ううん、メニューには載ってない……けど、頼んでも大丈夫、かな?


「あの、スプモーニと、それから……『スカイ・ダイビング』ってできますか?」

「あ、ええ、お作りできますよ」


 澄果が右から「何それ?」と聞いてきたので、ちょっと意地悪に「内緒だよん」とはぐらかしてみせた。


 マスターがゆっくりと、ムダのない動きで酒瓶を取る。もう何年この店をやっているのだろうか、配置を全て覚えているに違いない。あのラベルは俺でも読めるぞ、カンパリだ。


 グラスに注ぎ、グレープフルーツジュースを加え、トニック・ウォーターで割ってマドラーでゆっくりかき混ぜている。

 いつもは完成品しか見ないお酒の作り方を間近で見られるのは、バーのカウンターの特権かもしれないな。


「スプモーニです」


 カンパリの赤に、グレープフルーツの黄色が加わった、鮮やかな鮮紅色せんこうしょく。燃え盛りながら水平線に沈む太陽のような色合いは、近くで見てるだけで心が躍る。


 先飲んでいいぞ、と顎で促すと、待ってる、と小さく首を振った。2人だけの言葉で話していることが、ちょっと嬉しい。


「すぐ作りますね」


 俺にコースターだけ出し、中央に戻って材料と氷をシェイカーの中に入れていく。


「あれ、スプモーニはシェイカー使わないのに、こっちは使うんだ」


 彼女が不思議そうに呟く。確かにカクテルってシェイカーのイメージがあったな、と思っていると、マスターがちらとこっちを見た。


「ビルド・ステア・シェイクって3つの作り方があって、メニューによって決まってるんです。スプモーニは、グラスに注いで混ぜるビルド。ステアっていうのは、専用の器で材料と氷を混ぜて、冷たくなった液体だけ注ぐやり方。そしてこれがシェイクです。料理によって煮る焼く茹でるが違うようなものですね」

「へえ、そうなんですね! シェイクするのは理由があるんですか?」


 興味津々で質問する澄果。普段、人事として社員と面談したり採用面接を手伝ったりしてるだけあって、話を引き出すのは得意そうだ。


「ふふ、何だと思います?」

「夕晴、何だと思います?」

「え、俺!」


 急に回答権が回ってきた。コイツ、こういうイタズラ好きなんだよな。


「えっと……マドラーじゃ混ざりにくいお酒もある、とか?」


 彼は「おお」と小さく声をあげ、「そうなんです」と頷いた。


「マドラーより勢いよく混ざりますからね。後は、氷と混ぜて振ることでしっかり冷えたお酒ができるのも理由の一つです」


 準備を終えたマスターが、両手でシェイカーを握り、カシャカシャと振り始める。決して力任せではない、滑らかな動きに、リズミカルな音が店内に響き渡る。ドラマのワンシーンを観てるかのような光景。


 そしてフタをパキッと開け、口径の広いグラスに注いだ。


「お待たせしました、スカイ・ダイビングです」

「うっわ……綺麗……!」


 隣で見ていた澄果が、びっくりとうっとりを混ぜこんだような声をあげた。


 青空を想起させる澄み切った青色。水に青の絵の具を数滴落としたような、幻想的ですらある美しさ。飲むのがもったいなくなるその色合いに、2人で息を飲む。


「じゃあ、乾杯」

「ん、乾杯」


 グラスはぶつけず、そのまま一口飲む。甘さと苦さの混じった香りに、ライムの清涼感。見た目だけのお酒じゃなくて、味もまたハイクオリティ。


「美味しい!」

「スプモーニも! ね、そっちの一口ちょうだい」

 澄果とグラスをゆっくり交換しながら、俺は童子との会話を思い出していた。



 ***



「へえ、こんな綺麗なカクテルがあるんだな!」

「ああ、スカイ・ダイビングは50年前くらいに日本で生まれたカクテルだぜ」

「日本で?」

「何かの創作カクテルの大会で1位になって、そこで有名になったんだ」


 そうか、カクテルも伝統的なものだけじゃなくて、自分たちで新しいの創っていいんだよな。


「ラムとブルー・キュラソーとライムジュースを3:2:1で混ぜれば完成だ。ラムは熟成させた色付きのじゃなくて、炭で濾過した無色のヤツだな」

「ブルー・キュラソーは画像で見たことあるな。真っ青な酒だ」


「キュラソーってのは、ブランデーとかにオレンジの皮を漬け込んで糖分を加えて作るリキュールだ。そこに青の着色料を加えればブルー・キュラソーになる」


 どうやってあんな色を作るんだろうと思ってたけど、着色してたんだな。


「実物を見ると惚れ惚れするぜ、今度デートのときにでも頼んでみるといい」

「ん、ありがとな」



 ***



「んーっ、こっちのお酒も美味しい! 幸せだあ」


 グラスを俺のコースターの上に戻し、澄果はトンッと俺の右腕に頭を寄せた。


「スカイダイビングも行きたいねえ。海外だとニュージーランドとかサイパンとか有名だよね。夕晴とやりたいこといっぱいあるよ」

「ん、そうだな」


 旅行の話。そうやって誘ってもらえることがすごく嬉しい。俺も一緒にあちこち回ってみたいなあと思う。


 ただ、普通の旅行なのか、ハネムーンのつもりなのか、一歩踏み込む勇気がなくて、お酒を飲んだ反動なので妙に頭が冷静になってしまって、思考がグルグル回る。



 他のみんなはどうやってこういう話をしてるんだろう。フランクにフラットに話そうと思っても、少しだけ怖くなってしまう。


 もちろん、結婚を考えていないわけじゃない。でも、今の自由な生活も気に入っていて、それじゃきっかけが掴めないことも知っていて。みんなどういうタイミングで決めるんだろう。ネットでこの手の話題がひっきりなしに出てくるのも納得だ。


 親の世代からはできちゃった婚の評判が芳しくないのも十分知ってるけど、それが分かりやすい契機になることも、今は理解できる。


 そして何より、こんな風に踏み出せない自分を澄果に知られてしまったら、ガッカリさせてしまいそうで。




「夕晴、どした?」

「んー?」


 腕をキュッと握ったまま顔をニュッと出し、俺と目を合わせる澄果。


「なんか、考えてるでしょ」


 その誘導に乗っかって、酒の勢いも手伝って、つい話してしまいたくなる。

 でも、この悩みを彼女に言ったところで、「気にしないでいいよ」とケロリと言われることも分かっていた。


「旅行、まずはどこから行こうかと思ってさ」

「あ、相談しよう!」


「スカイダイビング、ラスベガスも名所って聞いたことあるぜ」

「いいね! 昼はパラシュート、夜はカジノ!」


 歯を見せて笑う彼女に「カジノは自腹だぞ」と宣言すると、「えーっ!」と不機嫌そうに膨れてみせた。


 無闇に心配させることもない。俺の問題だから、ちゃんと自分で解決すればいい。


「もう一杯飲むか?」

「うん、メニュー貸して」

 今はただ、幸せなひと時をきちんと楽しもう。






「ごめんな、遅くなっちまった」

「大丈夫、明日午前は会議もないし」


 エレベーターを降りて地上に戻る。彼女がコートを着ながら軽く頭を揺らすと、いつもの香りが鼻まで遊びに来た。


「帰るか……」

「そうだねえ……」


 お互い別れを惜しむ、歯切れの悪い挨拶。


 俺の家の方が近いけど、さすがに平日泊めるわけにはいかないか。アイツらもいるしな。


 時間を見がてらスマホをチェックすると、茨木童子から連絡が来ていた。


『まだ飲んでますよね? 今日は童子様と朝まで外で飲むことにしたんで、家は空けておきますね!』

 アイツめ、ホントに気が回るというか、ここまで回ると憎らしいぜ。



「あーあ、夕晴は家近くていいな」

「そうか?」


 腕を引っ張り、彼女を胸元に寄せた。


「んっ……!」


 大通りに出る前だけ許される、不意打ち。唇を重ねて、時を止める。


「……急なのズルい」

「へへへっ、たまにはな」


 もう一度、きちんとキスしてから、ゆっくり目を合わせる。


「うち来るか? 今日は一人暮らしだ」


 目を丸くした澄果はやがて、小さくピースサインを作った。


「良かった、お泊りセット置いておいて」

「だな」


 帰りにコンビニでデザートでも買うか、という話題で大盛りあがり。

 アイスとロールケーキどっちを買うか激論を交わしながら、大通りへと向かって歩き出した。

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