14.ちゃんと楽しくて、ちゃんと好きで

「ほら、ラベルに日本酒度って書いてあんだろ? この数字のプラマイが甘口辛口の目安になってるんだ」


 店員さんがテーブルに置いていった2本の酒瓶。3人の目の前それぞれに小さなグラスが2つずつ置かれ、少量が注がれていた。


「酒と水を比較したときに、糖分が多いと比重が重くなるんだ。それを利用して、糖分がどれだけ含まれてるかを計器で測ったのが日本酒度だ。マイナスになったら糖分が多い、つまり甘口だな」

「プラスだと辛口かあ。辛口の酒って人気だよね」


 仙野がやや緊張しながら童子に話しかける。彼が切れ長の目をスッと向け、「スッキリしてるからな、僕も好きだ」と笑うと、彼女は口に含む前から顔が火照りだした。


「早速甘口から飲んでみようぜ。これはマイナス5度、結構甘口だ」


 左のグラスを取る童子を真似して、俺と仙野もグラスを持つ。光沢のある水面に、部屋の明かりがユラリと映った。鼻を近づけると、甘めの餅のような香りがする。


「米、って感じだな」

「ユーセイ、良い鼻してるな。米をしっかり膨らませた香りだ」


 そのまま口をつける。香りの通り、米の旨味が口の中いっぱいに広がる。

 でも、甘いけど甘ったるいだけじゃない。濃厚で複雑で、口のなかで咀嚼しているうちに、味が広がっていく。


「美味しいっ! ハルさん、私これ好きかも!」

「ああ、これは飲みやすいな」

 口からグラスをゆっくり離しながら、童子も満足気に頷く。


「コクのある酒だな」

「ああ、こういう濃醇な感じが『コクがある』ってことなんですね! コクのあるカレーとかビールとか言いますもんね!」


 そうか、なんとなく広告の一部だと思って聞き流してたけど、コクってちゃんとした表現なんだな。


「次はこっち。プラス9度、かなりの辛口だぞ」


 いそいそと飲み始める童子。こっちの香りは、甘口よりスッキリしている。メロンのような印象。


「……おうっ、確かに辛い!」


 香辛料のような辛さではない。でもさっきの酒の後だと、見事に味の違いが分かる。舌を攻め立てる、米の甘みとは無縁のドライな味わい。


「うへっ、辛いですね、これはおつまみ選びます」


 ケヘッケヘッと軽くむせる千野。ギャグ漫画だったら、目にバッテンがついてる状態。


「さっきみたいな米の感じが強い甘口にはグラタンみたいなクリーム系の料理も合うな。この辛口なら、これが結構合うぜ」


 そういって、箸で示されたのは、酒と一緒に頼んだ豚の角煮。


「これが……?」


 半信半疑で口に運ぶ。口の中でホロホロに崩れる豚肉。ぷりぷりの脂身が、舌に濃厚な後味を残す。


 飲み込んだ後に、辛口をキュッと一口。


「おお、確かに!」


 ドライな味が口の中のべったり感を全て流してリセットする。なるほど、これなら無限に食べられる気がするな。


「ナイスチョイスだよ童子君! 豚の味が綺麗に消えてさっぱりする! それに、日本酒の味自体も綺麗になくなるから、口の中がまっさらになるね」

「おっ、ユウカ、いいな。それが『キレ』だ。酒の味がスッと消えて後味がスッキリしてるのがキレが良いってことだよ」

「そういうことね!」


 コクもキレもあるなんてお酒のキャッチコピーでよく聞く。濃醇だけど後味スッキリってことか。


「そっかあ。そういえば、元カレも日本酒好きでよく飲みに行ったんですよね。全然詳しくなかったけど」


 元カレって呼ぶの、まだ慣れないですね、と彼女は頬を掻く。



「なんでも美味いって言う人だったからあんまり味の参考にはならなかったんですよね。でも酒蔵とかビール工場とか行くの好きで! 北海道旅行行ったときに一緒にウィスキー工場見学したんですけど、試飲で2人して思いっきり酔っぱらっちゃって、その後近くのベンチでぐったりしてました」

「せっかくの北海道旅行なのに勿体ない!」


 ツッコミを入れて、「旅行、よく行ったのか?」と訊くと、彼女は指折り数え始めた。


「温泉は好きだったからよく行ったんですよね。箱根、熱海、湯河原、水上みなかみ、日光……冬に温泉あがって、和室の窓に近いところの椅子座って、窓軽く開けて風当たってると最高に気持ちいいんですよね。で、そのまま当たりすぎて今度寒くなってきて、『意味ないじゃん!』ってまた温泉入りに行くっていうお約束毎回やってました。ホントに、うん、ああ……」


 饒舌に話していた彼女が、突然黙った。折った人差し指で、目を擦る。何度擦っても目元は濡れたままで、結局ハンカチを取り出した。


「アレコレ気にしてたけど、ちゃんと楽しかったんだなあ。ちゃんと好きだったんですね」

 個室で良かった。遠慮なく、仙野は泣いた。


 本当はちゃんと恋愛していて、でも結婚のためのチェックをしてる気でいて、楽しんでるのかそうでないのか分からなくなって。目一杯泣いて、やりきれなさを流していく。


「恋愛も、コクとキレの繰り返しみたいなもんだろ」


 盃を傾けながら、童子が呟いた。ハンカチを持ちながら、千野がチラとこっちを向く。


「濃密な時間を過ごして、別れたらスッと切り替える。今はその、キレのための時間だ。また次の酒を探しに行けばいい」

「……だね」

「もちろん、この前飲んだ酒が好きだったんなら、もう一度飲めねーか挑戦してもいいんだぜ」


 瞬間、きょとんとした彼女が、プッと吹き出した。


「ふふっ、かもね、考えてみる」

 ふう、と強く息を吐いた彼女は。化粧を直しに出ていく。


「さすがだな、フォローがうまい」

「くはっ、ホストのバイトで得たスキルだ」

 童子はゆっくりと、辛口を飲み干した。





「ハルさん」

「んあ?」

 ビルの1階で、仙野が俺の肩を叩く。


「ハルさんは結婚はまだですか?」

「あー」


 澄果の顔が浮かぶ。今は、うん、普通に恋愛してるな。ここから先は、俺達が決めなきゃいけない。


「まあ、色々考えてるよ」

「……ですよね!」

 お互い頑張りましょうね、といって俺達とは違う駅へと向かっていった。


「ふうん、ユーセイも結婚か」

「まだ具体的には考えてないけどな。いざとなったら悩むこともある」


 意地悪気な笑みを浮かべた彼は、ふいにスッと着物をズラし、透き通るような白さの肩を見せる。


「僕に目移りするとか?」

「ちょっ、バッ……そういうんじゃねえよ! やめろ街中で!」

「くははっ! さて、家帰って日本酒飲むぞ!」

「また飲むのかよ……」


 俺に肴を作らせようとする童子のアピールを巧みにスルーしながら、改札へ続く階段を降りていった。

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