7杯目 失恋酒 ~日本酒 甘口・辛口~

13.綺麗な恋だけしてられなくて

『やほ。今日夜って暇? どっかで話そ』

 澄果すみかから、ウキウキしているパンダのスタンプがペタッと貼られた。


『今日は飲んで帰るから、少し遅い時間なら大丈夫』

『おお、そだったね。こっちも水曜レディースデーで映画観て帰るからちょうどいいかも。お互いノー残業デー満喫してるねー!』


 店に向かうために地下鉄に数駅乗りながらスマホをいじる。この時間帯は帰る人も多く、電車は結構混んでいた。


『飲み会って会社?』

『前に話した大学の後輩の』

『ああ、1つ下の女子ね。火遊びするなよー』


『しないっての。そして安心しろ、店を選んだ功労者のご褒美ってことで、途中から童子も来るらしい』

『なら安心だわ笑』


 彼女が観に行く映画の話をした後、お互い「またね」のスタンプを送り合ったところで、ちょうど最寄り駅に着いた。


 飲み会に集うビジネスマンでごった返す街。上がるはずの地上出口を間違えてしまい、マップで場所を確認しながら目的のビルへ向かう。


「ハルさん、お久しぶりです!」

「悪い、待たせたなせん

 店で完全個室の席に通されると、既に仙野せんの優花ゆうかが座っていた。


 灰色ともベージュともいえない髪の色は、澄果から以前「グレージュっていうんだよ」と教えてもらったヤツだろう。ショートボブ、外に軽く跳ねてるのが可愛い。

 たれ目で人懐っこい顔はそのままだけど、心無しか元気が無さそうではあった。


「良いお店ですね。希望聞いてくれてありがとうございます」

「あーいやいや、俺も魚の気分だったからさ」


 魚料理と日本酒の店といっても安っぽい木のテーブル・椅子ではなく、清潔感のある店内。最上階だから天井も高い。チェーン店と比べてもそこまで高くない割に、メニューは創作料理もあって豊富。さすが童子、良い店知ってるな。



「いきなり日本酒はアレなんで、始めはサワーにしますね。ハルさんは?」

「俺も生にするよ。あとは……たこわさと刺し盛も頼もう」


 混んでるから出てくるまでしばらくかかるかと思いきや、飲み物はすぐに来た。良かった、1杯目で待つと手持ち無沙汰になるからな。


「んじゃ、お疲れさま!」

「お疲れさまです!」


 ジョッキをゴンとぶつけると、俺より早いペースで傾け、中身を半分にする。割りと可愛い顔しながらも、飲み方が異常に漢らしい残念っぷりは変わってないな。


「で、どうしたんだよ急に」

「いや、急にっていうか、ハルさんとは定期的に飲んでるじゃないですか」

「まあそうだけどさ」


 基本的に飲むときは男友達ばっかりだけど仙野だけは例外。

 大学の学園祭実行委員で、ステージ企画担当の直下ということもあり、卒業してからも飲み仲間。といってもどっちかの同期委員が一緒のことも多いから、サシで飲むのは案外久しぶりだ。



「でもいきなり連絡来たからさ」

「一人酒苦手なんです」


 出てきた刺し盛のワサビを醤油に溶かす。心ここに在らずな様子で、グルグルと箸を回していた。



「……この土日でフラれちゃったんですよね」

「…………そっか」


 1年くらいだっけ、と聞くと、無言でコクンと頷く。


「私が悪いんですけどね。多分、付き合い始めのときから」

「何があったんだよ」


「んん……普通に飲み会で知り合って、何回かデートして、付き合って、っていう感じだったんですけど、結婚のことばっかり考えてたんですよね。転勤するかとか共働き派かとか、実家が近いかとか、そればっかり見てた。高校の友達が立て続けに結婚だったから焦ってたんですよね」

「それは……俺達くらいの歳なら仕方ないだろ」


 ジョッキを空にして、仙野は大きく首を振る。


「それが重要じゃないとは言わないです。でも、結婚相談所で出会ったとかじゃないですから、その人が好きってのが前提としてあって、その上で考えることですよ」

「でも好きだったんだろ?」

 その質問に彼女は、口をキュッと結んだ。

「正直、分からないんですよね。『この人と結婚しても大丈夫そうか』っていうところで見すぎてて。『大丈夫そうか』っていうのが我ながらイヤですけど」


 結婚したら楽しそうか、とはちょっと違う考え方。彼女も30を前に、周りの愚痴やアドバイスを色々聞いたに違いない。

 加点が多いかではなく、減点項目がないかをチェックしていく。それは、焦燥感ゆえの確認作業。


「向こうも少しずつ気付いていったんだと思います。私が『恋愛』じゃなくて『見極め』してるってことに。よく『楽しい?』って聞かれてましたから。だから『あんまり自分のこと見てもらえてないと思う』って別れ切り出されたんでしょうし」


 もう一杯同じのにします、とお替りしたサワーに溜息を溶かす。淡々と話してるけど、その表情には寂しさが浮かんでいた。



「まあですからこうしてハルさんを誘って飲みに来たわけです! これは私の大反省会!」

「そっか……まあ飲むくらいならいつでも付き合ってやるよ」


 どうもです、と何を探すでもなくパラパラとメニューを捲りながら、仙野はポツリと呟いた。


「結婚って何なんですかねえ」

「何なんだろうねえ」

 禅問答に苦悩するように、正解の見えない問いをこぼす。


「綺麗な恋だけしてられないじゃないですか。向こうが転勤あるなら仕事諦めないといけないかもだし、お互い子ども欲しいかどうかで人生もかかるお金も変わってくるし。そういうの話すと、結婚した子からは『そんなこと全然考えなかった』って笑われるんですけど、それって若いからじゃないですか」

「それな。俺達は他の人のサンプルがインプットされすぎちゃってる」

「愚痴だって聞くし、離婚した友達だっているし、どんどん慎重になっちゃってるのに、焦らないといけない歳だし」


 いつも幸せで、ときどき苦しくて、小学校の昼休みみたいに自由だった恋愛はいつしか、空いてる人がいるかいないか、紹介しよう飲み会しようの椅子取りゲームへと変わっていった。


 俺だって澄果がいるからなんとなく他人事のフリができてるだけで、何かの拍子にいきなり独り身になって悲しく酒を煽ることもあるかもしれない。


「純粋に、楽しんでたいのになあ。子どもとか仕事とかチラつくと、真っ直ぐその人だけ見られないっていうか」



 やりきれない思いを流し込むかのように、お互いが2杯目のジョッキを干したところで、あの鬼がやってきた。


「やあ、ユーセイ、僕の選んだ店、悪くねーだろ?」

 俺の隣に座り、仙野に「話聞いてるよ。よろしくな、ユウカ」と挨拶する。


「こ、こここんにちは」

 彼がお手洗いに立った隙に、仙野が俺の腕を思いっきり引っ張った。


「なんですかハルさん、あの親戚の方の超絶イケメンっぷり! イケメンというか美しい! 私より綺麗!」

「盛り上がり過ぎだろ」

「着物もメチャクチャ似合ってるし、あの目の色っぽさヤバい! 緊張して食事できませんって!」


 うわーどうしようーと体をクネクネと揺らしてると、童子が戻ってきて早速メニューを見始めた。


「お酒ちょうど頼むところだな? じゃあ日本酒にしよう。お、これキレが良いってさ」

「童子、キレが良いって何なんだ?」


 いつも通り童子先生に聞くと、「ユーセイ、キレも知らずに日本酒飲もうだなんて日本酒に失礼だぜ」とジトーッと目を細めた。


「今日は仙野と一緒に勉強させてもらうから教えてくれ」


 彼は「くははっ! 2人いるなら教え甲斐もあるな!」と呼び出しボタンを押した。


「今回はじゃあ、日本酒の味をちゃんと楽しもう」

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