12.夢追いハイボール
「やあ、春見!」
やや年季の入ったマンションの3階、北川
「これ、電話で話した親戚の童子」
「よろしくな、ダイキ!」
いつも通りの突然の呼び捨てにやや戸惑いながらも、彼は「よろしくね」と笑って部屋へ通してくれる。
クセがない、色の濃い黒髪ストレートを眉にかかるくらいまで伸ばしている。その髪型もやや痩身な体型も、高校時代と全然変わってなくて懐かしくなる。
「うわ、綺麗にしてるな!」
何もない1Kの部屋。荷物や棚が少ないせいか、相当広く見える。
「最近引っ越してきたからだよ。要らないもの捨てるいいきっかけになった」
「そうだよな、前は隣駅だったよな」
「うん、こっちは快速止まらないから家賃安くて」
俺と童子を正方形のテーブルに通して、彼はコップを用意する。
「お茶でいい?」
「いや、ダイキ、酒にしよう!」
「そうそう、今日はお前の転職祝いだからな!」
袋からナッツとフルーツの詰め合わせと、洋酒の瓶2本を取り出す。驚いたようにそれを見た大樹は、すぐに「ありがとう」と優しく微笑んだ。
昔から大樹はこういうヤツだった。感情の起伏がなだらかで、柔らかい。クラスの中心にいるわけじゃないけど、何かあったときにはコイツの空気感が場を和ませる。そんなところがカッコよくも羨ましくもあって、よく大樹と一緒に放課後ファミレスに繰り出した。
ファミレスよりよく行ったのが大きな書店。大樹は小説・雑誌問わず本が好きで、よく分からない新書やマニアックな季刊誌を楽しそうにレジに持っていった。
クールとはまた違う穏やかさも読書で得られたスキルかと、俺も当時少しだけ真似をして仏像の本なんか買ってみたりした。
「そのワイン、強そうだけどそのまま飲むのかい? えっと、ヴェル……ムト?」
確かにパッと見はワインのようなその瓶に目を遣り、俺はそのVermutの単語を指で軽くなぞった。
「ベルモット、らしいぜ」
「へえ! これがベルモットなんだ! 名前だけ知ってるよ!」
俺も初めて実物見たんだ、と同調していると、童子が持参したコルク抜きを用意しながら説明してくれる。
「白ワインに香草とかスパイス加えて作ったアルコールだ。フレーバードワインとか呼んだりするな。直接飲んでもいいけど、今日は僕がとっておきの酒を作ってやるよ。場所借りるぜ」
言いながら彼は2本の瓶を持って立ち上がる。リビングの扉を開けたまま固定し、玄関との間にあるキッチンへと向かった。
「綺麗な子だね、童子君。一瞬女の子かと思ったよ」
「分かる。俺も最初はどっちか分からなかった」
「え? 春見も? 生まれたときに性別聞いてたでしょ?」
「そそそう! そうだな! 久しぶりに会ったときにそのくらい混乱したってことだ!」
危ねえ。親戚って設定を自ら崩すところだった。
「ちょっと前に相談乗ってくれてありがとね、春見」
「良いってことよ、困ったときはお互い様だ。で、どこに転職するんだよ」
「……出版社。小さいけどね」
「マジか!」
思わず大声をあげる。本に関わる仕事がしたいと何度か言ってたけど、遂に叶えたのか。
「へへ、春見もきっと聞いたことない雑誌幾つか作ってるよ。もっとも、会社はそれで生き残ってるから、貴重な商品だけどね」
挙げてもらった雑誌は、確かに初めて聞く雑誌ばかりで、でもそれを嬉しそうに話す大樹の顔を見てると、知名度なんか些細なことに思えた。
「転職サイトに載っててさ、経験者に限りますって書いてあったんだけど、思い切って連絡したんだよね。何でもやりますからって。給料も下がるし、住む部屋もグレードダウンだよ」
昔の建物だからドアの作りとかちょっと低いんだよね、と苦笑いする大樹。そうか、だから安い家に引っ越したのか……。
「いつから働くんだ?」
「もう少しだけ有休とって、10月後半から。でも出版社の方、人手足りないみたいでさ。前半もこっそり手伝おうと思ってるんだよね」
「そっか、楽しみだな」
そう言うと、大樹は机の天板、積まれた雑誌を見ながら「うん」と小さく頷く。
「頼み込んで良かった。これ以上歳重ねたら、挑戦できなそうだったから」
その言葉を耳からゴクンと飲み込み、消化不良で胸にモヤモヤを覚える。
小中高大と生活してきて、社会に飛び込んで。いつの間にか新人の肩書も外れ、後輩もでき、大きな責任と小さな権限を両腕に嵌めて。学校みたいに区切りのないなかで、当たり前のように年月を重ねてきたけど、もう大学を2周するだけの日々が過ぎた。
気が付けば30歳。酒呑童子ほどの寿命もない俺にとっては、新しい仕事に移れるリミットが近づいている。きちんと考えないといけないんだよな。
「なるほど、ユーセイから柔らかいヤツだって聞いてたけど、ホントだな」
お盆にグラスと酒瓶を乗せて、童子がリビングに戻ってきた。
「柔らかいってのは、折れねーってことだ。しなやかに芯を持ち続けて、夢や目標を追える。『オレは絶対こうなる!』って宣言してるようなヤツは、案外ちょっとしたことでポッキリ折れたりするからな」
ああ、そうだな。そういうところがやっぱりなんかカッコよくて、俺はいつだって、コイツにどこか憧れてるんだな。
「よし、じゃあ祝杯だ。特性のクロンダイクハイボールだぜ」
「ハイボール?」
やや茶褐色っぽい飲み物とベルモットを交互に見ながら、大樹は首を捻る。
「ああ、知らねーと思うけど、ハイボールってのは——」
「ウィスキーを炭酸で割っただけのものじゃないんだよ。スピリッツやリキュールを炭酸水で割ったもの、ってのがもともとのハイボールの意味だ」
「くははっ! ユーセイ! だんだん知識ついてきたじゃねーか!」
「あんだけ毎日話してくる呑み助がいればな」
肩をバンバン叩く童子に、やや皮肉交じりに返した。
「そう、今回のリキュールにはベルモットを使ってる。スイート・ベルモットとドライ・ベルモットが半々だ」
「味で種類が分かれてるんだ。国によって作り方が違うとか?」
「おお、ダイキ、鋭いな。ドライの方はフランスで作られることが多いからフレンチ・ベルモットとも言ったりするな。スイートの方はイタリアが主だから通称イタリアン・ベルモット。スイートは大体カラメル入れてて色がついてる。このハイボールが茶褐色なのはそのせいだな」
マドラーで仕上げに軽く混ぜ、グラスを俺たちの手元に回した。
「混ぜたベルモットに、レモンジュースとジンジャーエールを加えた一杯だ。飲もうぜ」
「じゃあ、大樹の転職を祝って、乾杯!」
「乾杯!」
3人でカツンとグラスをぶつけ合い、たくさん歩いて乾いた喉にグッと流し込む。
鼻を一気に抜ける、ベルモットのハーブの香りが堪らなく心地良い。ジンジャーエールのピリッとした生姜感に、レモンの酸っぱさがキュッと味を締めて、爽やかさ満点のお酒。
今でも十分美味しいけど、キンキンに冷やして夏に飲むのも最高だろうな。
「クロンダイクっていうのは、カナダ北西部の町だ。金山があって、19世紀末のゴールドラッシュの時期に開拓者で賑わったらしい。その開拓者たちが集まるバーで生まれた酒がこのハイボールだ」
グラスを回して氷をカラカラと鳴らす童子。
「あの時代、アメリカの人間はみんな、一攫千金を夢見てクロンダイクの鉱山へ行ったんだ。ダイキも夢に向かって転職したんだろう? 門出を祝うにはちょうどいい」
「そっか。童子君、ありがとう」
彼の心遣いに感心する。お酒の知識があると、こうやって相手に合わせてピッタリの一杯を選べるんだな。
将来の夢、か。まだ今の俺は考えもしていないことだけど、考えなきゃいけないってことだけは分かったから、今日はきっと良い会だな。
「春見、そういえばこの前、実家戻ったときに
「え、マジで! 元気してた?」
「うん、しばらく転勤ないって言ってたよ」
「じゃあ今度みんなで温泉でも行くか。あ、童子、クロンダイクお替り!」
「ったく、人遣いが荒いな」
夢追い酒を飲みながら、同窓会トークは終わりそうにない。
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