6杯目 転職酒 ~クロンダイクハイボール~
11.公園の鬼、子どもに見つかる
「なあ、ユーセイ! 足が疲れたー! ちょっと立ち飲みしてこうぜー!」
「なんで立ち飲みは疲れないんだよ……」
通り過ぎた公園のベンチを素早く見つけて、猫と見紛う速さで座った童子の腕を引く。
「ほら、行くぞ! お前が酒屋行きたいし飲みたいから来たいって言ったんだろ」
「だってこんなに駅から歩くと思ってなかったからさあ!」
ぶんむくれながら座り込む彼の体はベンチに張り付いたらしく、俺が手を引っ張ってもそうそう取れそうになかった。
朝天気予報をチェックしないとシャツにするかジャケットにするか決められない秋の週末。高校1年からの友人である
なんでも転職が決まったらしく、以前相談に乗ったお礼がしたいとのこと。とはいえ、お礼されるつもりなんて毛頭なく、転職祝いのために電車を乗り継いで彼の家の最寄り駅から歩いていた。陽光がマンションの白い壁を眩しいほど照らしている。
「ダイキってヤツはもともと何してたんだ?」
「大きい学習塾で管理系の仕事やってたんだよ。先生の授業の割り当てとか、入会希望者の対応とか。次どこ行くかは聞いてない」
引っぺがすのを諦めて、隣に座る。比較的大きな公園で、中央に建っているすべり台付きの遊具で大勢の子どもたちが思い思いに遊んでいた。
ヒュオッと吹き付けた風が俺のシャツと童子の着物に入り込み、涼しさを残して去っていく。もうしばらくすれば、この風もすっかり、人々を縮こまらせる見えない脅威になるだろう。
「転職ね……」
「なんだ、ユーセイも転職したいのか?」
さらっと聞かれ、首を捻る。正直な感想、そのまま。
「別に今の仕事が合ってないとは思わないけど、ずっと今のままでいいのかもよく分からない。分かれ道のそれぞれが予測できないから、どっちが良いのか考える材料ないまま過ごしてる感じだな」
「予測できねーってのはみんなそうだろ。まあ、転職の自由があるだけ、良い時代になったと思うけどな」
「それは、そうだけどさ」
雑誌でも、CMでも、電車の中吊りでさえ、転職を煽ってくる。まるで転職することが人生の成功の鍵であるように。
それはそうだ、転職だって市場のあるビジネスだ、だから勧める。勤続し続けて幸せになったエピソードはお金にならないから、メディアはこうして俺達に滞留の不安とサポートの安心を絶え間なく訴え続ける。
やめたやめた、ここでグルグル考えこんでも仕方ない。せっかくの晴天の休日だ、自分の内側じゃなくて外を見よう。
「……あのおじさん、昼間から飲んでるな」
斜め向かいのベンチに座ったおじさんがカップ酒を開けていた。コンビニ袋から乾き物のつまみを取り出す。
「童子はああいう酒は好きじゃないんだろ」
からかうように笑うと、意外にも童子は「いや」と打ち消した。
「飲み方に正解はねーさ。金銭や家庭や体質や体調、色んな事情がある。あの人が幸せだと思って飲んでんなら、僕はそれで十分じゃねーかと思うぜ」
「……なるほどね」
子ども達を見ながら堪らなく美味しそうに飲んでるのを見たら、彼の言葉がスッと入ってきた。
「お兄ちゃん、着物着てる、変なのー!」
ベンチの前にやってきたのは、幼稚園と小学生の境目くらいの男児3人。
「僕? まあ確かに珍しいかもね」
「ねえ、それ下駄だよね―?」
伸ばした足の先でプラプラと揺れていた履物を指して、1人が「初めて見た!」と叫ぶ。
「いや、違うな、これは
「えー、違うのー?」
子どもを真似して俺も「違うのー?」と聞いてみた。
「歯があるのが下駄ってことか?」
「いいや、歯がない下駄もあるよ。僕も詳しくは知らねーけど、材料の違いの方が正しい定義だろうな。下駄は木、雪駄は草で出来てる。この畳みたいな部分な。あと、雪駄は水が浸みないように底に革を張ってるものが多い。んでもって、かかとに金属の
「だから歩くとカチャカチャうるさいのか」
「ユーセイは分かってねーな、これが粋なんだよ」
雪駄をまじまじと見ていると、男子3人が童子を引っ張る。
「ねえねえ、遊ぼうよ、お兄ちゃん! なんか怖い敵の役やって!」
「お兄ちゃん、着物だから敵っぽい!」
「はあ? あんまり動きたくねーんだよ……一瞬だけだぞ」
子どもに理屈は通じないと判断したのか、球状の坂をトトッと駆けて遊具のてっぺんまで登る童子。
そして、目を瞑ったまま下にいる男児3人に顔を向けたかと思うと、突如カッと目を見開いた。怒りという怒りを全面に纏ったそれは正に、鬼の形相。
「…………貴様ら、騙したな……許さぬぞ!」
「……うわあああああああん!」
「怖いよおおおおお!」
子ども泣いてるじゃん!
「おいちょっと童子、何してんだよ! ごめんね、みんな、本気で怒ってるわけじゃないからね」
「いや、ユーセイ、僕だってその気になれば気迫だけは、人間と敵対していたあの時代を彷彿と——」
「させなくていい! マジで怖いからやめろ!」
親御さんに見つかる前に、再度無理やり彼の腕を引っ張り、公園を出ていった。
「ったく、ただでさえ目立つんだから余計なトラブル起こすなよな」
「お、ここだよ、僕が言ってた好きな店」
「反省してないだろ……」
呆れる俺を
「『イカしたナッツ』って意味だ。幾つか店舗があるんだけど、こういうちょっと都心から離れたところにしかなくてね。酒のつまみの手土産ならここで間違いねーよ」
日当たりの良い小洒落た店内にはサックスのジャズが流れ、枠のない棚板だけの棚に、1人暮らしの炊飯ジャーくらいの大きなガラス瓶が幾つも並んでいた。
ナッツの種類ごとに分かれた瓶もあれば、味ごとに分かれた瓶もある。ハニーロースト、ベーコンスモーク、マダガスカルペッパー……思わず全部少しずつ買っていきたくなるような、魅力的なラインナップ。
「ドライフルーツとナッツのパックを買っていこう。甘いつまみも、ハイボールには合うもんだ」
「ハイボール? これから買う酒決めてるのか?」
「ユーセイ、僕を誰だと思ってるんだよ」
童子が曲げた人差し指で、鼻をクンッと撫でる。
「買わないよ、とっておきのを作る」
酒屋に行こう、と言って、彼は雪駄をカチャカチャ鳴らして走り出した。
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