5杯目 残業酒 ~クラフトビール~

9.夜の帰宅、家のパズル

「あー、こんな感じ、かな」


 21時半を回ったオフィスで、キーボードを叩く。目の前のモニターに、企画の修正案が打たれていく。


「ここで配れば……どうかな、と」


 独り言が次々と漏れるが、周りへの迷惑は気にしない。久しぶりに、自分以外の社員が誰もいないフロア。


 ギリギリまで溜めていた自分も悪いけど、作った企画書を首を振られて突き返され、短針が頑張って駆け上がっているこんな時間まで残業している。


 ふと窓を見ると、隣のビルも真っ暗、明かりはほとんどついていない。最近の働き方改革は、こうして電気代削減にも繋がっているらしい。



「よし、あとはスケジュールを詰めれば……」


 音楽でも聴きながら進めたいけど、それをやれるほど単純作業でもない。自分自身に残り作業を確認するように、呟いていく。咳払いも秒針の音もない。聞こえるのは、紙を捲る音と、打鍵の音のみ。




「うし、終わった!」


 メールで上司に送る。わざと「夜分に失礼します」と入れ、夜までやったアピールをして軽いストレス解消。最後は「よ」と打って「よろしくお願いします。」と予測変換。こんな夜までやったのに大して想いが籠ってない感じがして、今日はそれが随分滑稽に思えた。




「つっ……かれた!」


 そのまま書類をバサバサとまとめて、カバンに詰めて退社。久しぶりの最終退出で、フロアセキュリティーの設定を忘れかけていた。


「飯食うか……」


 飲み会を終えたスーツの集団が横一列で歩く歩道を、曇天で隠れた月に代わってコンビニの明かりが照らす。


 チェーンのラーメン屋や牛丼屋が並ぶけど、なんとなくもう少ししっかりと「ご飯」を食べたい気分。夜も定食をやっている中華に行き、野菜たっぷりホイコーローと白ご飯、そしてウーロンハイを注文する。


「オマタセ、シマシタ」


 この1年で少しずつ日本語が上手になってきた店員さんが料理の乗ったお盆をガチャリと置いた。


「ふーっ」


 ウーロンハイを飲んで、疲れを逃がすように大きく息を吐く。安堵した頭は、次第に冷静になっていった。



 そこそこの規模のお菓子会社で、コンシューマーマーケティング、つまり消費者への広告や宣伝を担当してまもなく3年。ローテーションで前の部門とは全く違うことを経験しているものの、それなりに慣れてきた。


 今は主に新商品の広告や、街中で試供品を配るサンプリングの企画・運営を担当している。今日注意されたのは、まさにそのサンプリングの企画案。



 課長から言われた、「考えが足りてない」という指摘が脳内でリフレインする。分かってはいる、前回の企画をほぼそのまま使い回したのだから、足りてないことは俺が一番よく知っている。でも、そんな時間なんか取れないじゃないか。


 働き方改革だなんだといって、残業時間は計画的に削られた。自由な時間が増えたし、それ自体は悪いことじゃないけど、その分日中の仕事はどんどん圧縮されている。一丁前に部下もいる身で、アレコレ指示を出しながら、自らも動かなければならない。正直、パワーのかかる仕事はしたくないし、きちんと回そうと思ったらどこかで省エネで進めるしかない。


 残業はするな、でも時間は削るな。上からの施策とあるべき現場の板挟みの中で心は息苦しさを訴え、俺は無心になるべく、イヤホンをしながらホイコーローを口に運んだ。



「たっだいまー」


 サッと退店したが、帰ってきたのは23時。この時間だと、何も生産的なことをする気になれない。早めに寝る準備して、少しだけくつろいでから寝よう。


「おう、おかえりー」


 リビングにした同居人、酒呑童子は、小さい瓶ビールをラッパ飲みしながら薄茶色っぽい背景のジグソーパズルをしていた。


「1000ピースだと結構細けーな。午前に買ってきて日中でここまでしか終わらなかった。あと4割くらいだ」

「お前、家事は面倒がるのにパズルなんてやるのかよ。こっちの方が面倒じゃん」

「これは楽しいからいいんだよ。今日は一歩も外出てねーから、昼寝とパズルで1日過ごしたな」


 切れ長の目でこちらを見ながら、自慢げに鼻を小さく膨らませる。こんな得意気な顔も、絶世の美青年が見せると艶っぽさが半端じゃない。


「はあ、鬼は気楽でいいな」

「ああ? こっちは1000年生きてんだ。総労働時間はユーセイの比較にならねーよ」

「そりゃそうだけどよ……」


 くははっ、と瓶に口をつけながら笑う。頬にかかっていた髪が揺れ、薄くて形の綺麗な耳がチラリと見えた。


「それ、何の絵なんだ?」

「んあ? 古地図だよ、江戸時代のこの辺りらしい」

「へえ、そんなパズルがあるのか」


 寝室に行き、小さなウォークインクローゼットを開けてスーツを掛ける。Tシャツと薄手の長ジャージに着替えるだけで、心のスイッチは大分オフになった。


「懐かしくなってさ。この頃には僕も西の方離れてこっちに来てたから、知ってる店とか載ってる」

「マジで!」


 そうか、当たり前だけどコイツ、歴史の教科書に載ってるようなことは大体体験してるんだ。


「なあ、なんか歴史上の偉人とか会ったことないのか?」

 隣に座った俺の方を、彼は気怠そうに見る。


「あのなユーセイ、僕はそこの時代を生きてただけで、しかも元鬼として肩身狭く暮らしてたんだ。将軍だの芸術家だの、会える機会なんてなかったわけ」

「そっか、そうだよな」


「もっとも、事件とかはよく町人同士で話してたけどな。黒船が来たらしいとか、僕が住んでたところにもすぐ飛んできた。やっぱり噂ってのは回るのが速いな」

 黒船の噂を直に聞いてる……史学者が知ったら丸1週間は軟禁拘束してアレコレ聞き出すだろう。


「それにしても、結構大変なんだぜ、こんな地味で絵柄のヒントも少ねーパズル組み立てるのは」


 ずいっと顔を近付ける童子。褒めてほしいと言わんばかりの期待に満ちた目。


「あ、ああ、すごいな」

「……くははっ! だろ、だろ!」

「お、おう……」


 結んだ口をニマーッと曲げ、全力スマイル、その破壊力に、女子でなくとも生唾を飲みかけるところだろう。俺も軽く危なかった……かな……?


「ところでどうしたんだ、ユーセイ。帰ったときからなんか浮かない顔してるぞ」

「ん、ああ、ちょっと仕事でやらかしちまってな」

「なんだよなんだよ、水くせーな。僕に言えば酒の一本くらい奢ってやるからさ」

「また飲むのかよ」


 何本か買っておいたんだよな、といそいそ冷蔵庫に向かった童子。テーブルにぶつかった衝撃でカーペットに落ちたパズルのピースを拾う。ううん、くずし文字しか書いてないな。確かにこれを作るのは難しそうだ。



「童子、毎日飲んでるけど肝臓の調子とか大丈夫なのか」

「僕? 甘く見てもらっちゃ困るなあ。僕は暴力も酒も最強の鬼と呼ばれた酒呑童子だよ? 力もつのもなくなったけど、この力は残ってるんだ」

「それも鬼の力ってことか」

 二日酔いとかないんだろな。それはそれで羨ましい気もする。


「お待たせ、今日はこれを飲むよ!」

 童子が出してきたのは、さっきまで彼が飲んでたのと同じ、小さな茶色の瓶ビール2本。


「クラフトビールだ」

「おお、聞いたことある! 海外のビールだよな?」

 テンションが上がる俺に、軽蔑するような冷たい視線を向ける童子。


「そんなテキトーな知識でよく生きてこれたな……そんなんだから仕事もうまくいかねーんだぞ」

「やかまし。仕事は関係ないっての」


 楽しそうに口角を上げて、栓抜きでポシュッポシュッと瓶を開けていく童子。もうすぐ会って1週間だけど、少し仲良くなった気がする。



「それでは、乾杯!」

「乾杯!」


 グラスやお猪口よりも重い、ゴツンというガラスの音が響いた。

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