8.紅茶みたいなその一杯

「2人とも、次の酒どうする?」


 嬉しくて仕方ないという表情で幾つかのメニューを開いて見せる童子。カクテルの名前が見開きでずらっと並んでいる。澄果すみかは、髪を手で巻き直してカールを作りつつ、目を丸くした。


「へえ、カクテル専門のメニューリストもあるんだ」

「そういえば、予約したときもWEBにそんなこと書いてあったな」

 カクテルも50種類以上ご用意、とかトップページに出てた気がする。


「澄果はどれにするよ?」

「んん、飲んだことないの試してみたいけど、外れたらヤダなあって迷い中。夕晴は?」

「気が合うねえ、俺も一緒だよ」


 名前と原料名が書いてあるものの、飲んだことがないものについてはこれだけでは全然イメージが湧かない。 


「童子、何かオススメないか?」

「んあ? 一応ショートもあるみたいだけど、ゆっくり楽しむならロングドリンクがいいだろうな」

「ロングドリンク?」

 カクテルの名前じゃねーぞ、と釘を刺しながら右髪を耳にかける童子。


「まずショートドリンクってのは少量で飲むカクテルだ。カクテルグラスってあるだろ? あれで飲むような酒だよ。度数が高いのが多い」

「ああ、カクテルっていうと確かにあのグラスのイメージあるな」


「あれは『冷たいうちに飲んでほしい』って理由であの量にしてんだ。だからメチャクチャ冷やした状態で出てくる。日本酒を飲むみたいにチビチビやっちゃダメなんだぜ」

「ってことは、ロングドリンクはその逆ってこと?」

 興味深そうに聞いてきた澄果に、童子は軽く二度頷く。


「比較的量が多いから、例えばコリンズグラスって呼ばれる細長いグラスとかで出てくる。冷たい状態を保てるように氷が入ってるから、時間をかけて飲めるんだ」

「確かにカクテルグラスに氷入ってるイメージないもんな」


「童子君、若いのにホントにお酒詳しいんだね」

「ああ、まあ丹波の時代からどんだけ飲み歩いたか知れねーから——」

「オススメ教えてくれよ、童子!」

 ボロが出た親戚役を遮って誤魔化す。丹波の時代なんていきなり口にするな!


「んん、オススメか。どんなのがいいんだ、スミカとか」

「そうね……甘めでちょっと面白いのがいいかな」

「あっ、俺も面白いの飲んでみたい。普通の居酒屋だとあんまりなさそうなヤツ」

「スミカも割と酒強いって言ってたよな? となると……これがいいかもな」


 店員に聞き慣れないカクテル名を告げる童子。

 しばらくして、透明感のあるライトブラウンのカクテルが、細長いグラスに入って出てきた。


「ロングアイランド・アイスティーだ」

「へえ! 確かにアイスティーっぽいな!」


 レモンのスライスが浮かんでるあたりも、カフェで出てくるのを彷彿とさせる。童子がグラスをコンッと指で叩いて、「これがコリンズグラスだよ」と説明してくれた。


「まあ、それっぽいのは見た目だけじゃねーってね。飲んでごらんよ」

 細長い指で促されるままに「乾杯」とグラスをぶつけ、口先に持っていく。


「……紅茶っぽい!」

「ホント! 紅茶ベースのお酒かな!」


 度数が高いのは飲んだ瞬間に何となく分かるけど、相反するようなライトな飲み口。砂糖たっぷりの紅茶にとても似ている甘めのテイストにレモンの酸味も加わって、スッと飲みやすいカクテルになっている。


「へへ、実は紅茶ベースじゃねーんだ」

 童子は嬉しそうに、爪でカンカンとグラスの横を叩く。


「ニューヨークにロングアイランドって街があるんだけど、そこで1980年代に生まれたカクテルだ。紅茶を一滴も使わないで、アイスティーの色合いや味を再現したんだぜ」

「へえ、使ってないのか!」

「甘いけど結構度数高めよね。油断してゴクゴクいったら危ないかも」


 そう言いながらもスッスッと水位を減らしていく澄果に、童子は「だな」と相槌を打つ。


「ジン・ラム・ウォッカ・テキーラ。四大蒸留酒を全部混ぜてレモンジュースとコーラで割ってるからな。それなりに強い酒だぞ」

「その4つ、よく聞くけど、違いがよく分かってないんだよな。テキーラはショットグラスで飲むイメージ」

「私も。ラムコークとかジントニックとか、カクテルの名前でしか覚えてないのよね」


 ふわっとした俺と澄果のやりとりに、童子は海外シットコムのように「ダメだ」と言わんばかりの呆れ顔を浮かべる。


「お前ら、原料のよく分からない料理とか食べる気にならないだろ? なんで酒は大丈夫なんだよ」

「言われてみればそうなんだけどさ……」

 なかなか鋭い指摘。伊達に1000年生きてないな。


「全部蒸留酒だけど、原料や製法が違うんだよ。ジンは大麦とかライ麦とかジャガイモを使って作る。ハーブやスパイスを入れて香りづけしてるから、味はシンプルだけど『飲む香水』って呼ばれるくらい香りが濃厚だな。ウォッカも同じ原料で造るけど、白樺の炭を使って濾過してるんだ」

「炭かあ。浄水器でも炭素フィルターとか使ったりするわね」


「そう、濾過するから水みたいにスッキリした味になる。ロシアの人達も水みたいに飲んでるっていうしな、くははっ!」

 ジンとウォッカの原料が一緒というのが意外だった。何でもその道の人に聞いてみると面白いもんだ。別に酒呑童子は酒の道の人じゃないけど。


「テキーラだけど、アガベっていうアロエみたいな植物が原料だ。黄色く色づいたイメージがあるだろうけど、あれは味がまろやかになるよう樽で熟成させてるからだな。最後にラムはサトウキビや糖蜜から作ってる。甘いから分かりやすいよな」


 澄果とほぼ同時に頷く。原料や製法を聞くと、テキーラが色づいてる理由もラムが甘い理由も合点がいった。


「へええ、で、このロングアイランド・アイスティーはそれが全部入ってるのね」

「ああ、だからスッキリ感も甘みもある酒になってる」

「なるほど。紅茶を再現してみようって発想も面白いよな」

 相槌の代わりに、ごくりと大きく一口飲み、ふうと熱い息を吐く童子。


「1つの街のちょっとしたアイディアが広がって、ここまで人気の酒になった。『誰かを楽しませよう』って想いが大事なのは平安の詩歌や管弦から変わってねーんだ。スミカ、ユーセイはお前を楽しませようと思って、ほんの少し夜更かしして店のリサーチしてたぜ」

「おいこら、童子!」


 澄果がまっすぐに俺を見て笑う。まあ、その顔が見られたから、報われたかな。


「しかし、ここのは美味いな。僕も家で作ってみるかな」

「お前はまずキッチンの片付けが出来るようになれ」

「はあ? なるべくやりたくねーな。飲ませてやるから、ユーセイが洗ってくれよ」

「ほら、夕晴、ちゃんと教育しないと!」


 氷を溶かしながら、ゆっくりゆっくり一杯の酒を楽しむ。飲み放題とは違う飲み方に、心も徐々にリラックスしていった。




「んじゃ、僕は帰るよ。これ、お金」


 そろそろお会計というタイミングで、童子が着物の袂から小さい財布を取り出し、お札を俺に渡す。


「あ、おう、ありがとう。一緒に帰らないのか?」

 立ち上がった彼が、溜息をついてみせた。


「ずっとカップルの邪魔しっぱなしだと思うか? 僕もそんなに空気読めねーヤツじゃねーさ」


 そして俺に一言耳打ちしてから、「んじゃ、ユーセイ、先に戻ってんぞ。スミカ、ユーセイ悪いヤツじゃねーからよろしくな」と店を出ていった。


 水を飲んでからカード払いを済ませ、澄果と一緒にエレベーターへと乗る。



「童子、変なヤツだろ」

「ね、なんか面白かった。にしても、ちょっと周りにはいないクラスのイケメンね」

「……まあな」


 返しに困っていると、澄果が俺の頬をつついてきた。


「あ、妬いてる? 安心して、私は夕晴みたいな顔が割とタイプだから」

「そいつはどうも」

 顔を見合わせて、ほぼ同時に吹き出す。


「もう一軒行くか」

「うん、もう少し飲みたい」


 頬がやや赤くなっている彼女を見ながら、俺はさっき童子に耳打ちされた言葉を思い出していた。



『あのカクテルは、飲みやすい割に度数が高いから『レディー・キラー』って呼ばれてる酒の一種だぜ』



 口説くための酒か。でも、口説いた後の人に飲ませても、魅力的に見せるもんだな。


「えへへ、私の家で飲んでもいいよ」

「……それも悪くないな」



 どちらからということもなく手を繋いで、週末の始まりを祝うように華やぐ街を歩きだした。

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