6.想いと形とスパイス

「それでは、再開を祝して、乾杯!」

「乾杯!」


 3人でグラスをカチンと合わせ、氷の入ったハイボールを一気に喉に流し込む。午後になって気温が一気に上がり、さらにバタバタとつまみやカトラリーを用意して熱気の籠っていた部屋で、キンキンの炭酸が口の中に押し寄せた。


 コンビニで買って飲むものと違って、ウィスキーの味をしっかり感じる。後味も、喉にべたつく感じがない。


「スッキリしてて美味いな、これ!」

「ああ、これは僕も好きな味だ。ウィスキー自体に厚みがあるけど、飲んだ後はドライってのが堪らねーな」


 童子と俺、ほぼ同時に飲み干して、テーブルにタンッとグラスを叩きつけた。


「あんまりスモーキーじゃないウィスキーが1に、強めの炭酸が4。これが自家製ハイボールの黄金比ってやつよ」

 手に持ったマドラーを軽く振りながら、自慢げに話す淳平。


「童子君の作ったこのサバのやつもいいね!」

「昼に試作したやつより辛いけど、ハイボールと合う!」


「少し七味を加えたんだ。ハイボールっていえば揚げ物に合うってイメージあるけど、スパイスとも相性いいんだぜ。軽い甘味が辛さを相殺して、ウィスキーの苦味と炭酸が口の中をリセットする。で、爽快感だけが残るからまた食べたくなるってわけだ」


 なるほど、確かに一口飲むと辛さがキレイに消えるな。



「ハイボールって、店によってウィスキーじゃないのも出てくるよな」


 両手を後ろについてリラックスする淳平に、童子が「ユーセイには前も話したけど」と口を開く。


「ハイボールって名前の酒があるわけじゃねーんだ。スピリッツやリキュールを炭酸とかジュースで割ったものがハイボール。今は居酒屋じゃウィスキーの炭酸割りが一般的だけどな。で、焼酎を割ってれば焼酎ハイボール、略してチューハイだな」

「なるほど、それでチューハイか……童子君、酒詳しいんだね」


「なあ、童子。スピリッツとかリキュールって何なんだ? なんとなくしか分かってなくてさ」


 俺の問いかけに、彼は「そんなことも知らないのかこの30男は」と言わんばかりに鼻で溜息をついた。


「スピリッツってのは蒸留酒だな。普通にアルコール発酵すると大した度数にならねーんだけど、沸騰させれば度数を上げられるんだ。水よりアルコールの方が沸点が低いから、先にアルコールの方が蒸気になる。それを集めれば濃縮できるってことだ」


 淳平と顔を見合わせ、「あー、理科でやったなー!」と盛り上がる。お互い文系なので、蒸留なんて思い出したのは多分15年ぶり。


「リキュールってのはスピリッツにナッツとか果実とかシロップとか加えて作る酒だよ。日本だと焼酎と梅で梅酒とか有名だよな。カルーアミルクのカルーアとかも、スピリッツにコーヒー豆を加えて作るんだぜ」


 ひとしきり喋ってから、淳平が作ったお替りのハイボールを一気に半分飲む童子。相変わらず酒のことになると楽しそうだ。


「そうだ、夕晴には話してないよな? 俺、今度結婚することになった」

「マジで! あの、何だっけ、1つ上の……由香さんと!」


「そうだよー、1年半付き合ったし、そろそろかなあって。向こうも31だし、初産とか考えるとさ」

「めでたいな! 乾杯だ乾杯! 結婚を祝して!」


 急に主賓となった淳平に急いで継ぎ足しのハイボールを作らせ、本日2回目の乾杯をする。ややウィスキーが濃いめだったか、喉と上半身が熱くなった。



 そうかあ。一緒に企画書書いて、居酒屋でオールした勢いで近くの川に入ったりした淳平が結婚かあ。


 学園祭の同期では、女子が20代半ばで1回波が来たっけ。男子は、そんなに関わりないメンバー何人か、披露宴の2次会に呼ばれたけど、こうして近いヤツが籍入れるってのはなんか違うものがあるなあ。


 そうかあ、俺達もそんな年かあ。



「まあ、これで自由とはおさらばだな。結婚はまだいいけど、子どもってことになったらこうやってフラッとは遊べなくなる」

「そこは仕方ないだろ、家庭もあるからな」


「でも、今のうちから週末予定入れまくって、『俺はこういうタイプの人間だからな』って植え付けておくのも手だけどな」

「おっ、それいいじゃん! 結婚前から宣言しておいてさ、『それならしょうがないか』って状態にしておけば!」



 そういう戦略もあるか、とちょっと本気になって盛り上がっていると、童子が後ろ髪を撫でながら、「つまんねーこと言ってんなよ」と呆れる。


「世間体ってのもそれなりに大事だけど、もう結婚だけが幸せって時代でもないだろ。同棲や事実婚の人だっていっぱいいる。それでも籍入れるってことは、やっぱりちゃんと相応の愛情なり誠意なり示すのも重要なんじゃねーの」


 びっくりした。コイツがこんなに真面目に話すなんて。


「いや、童子、それも分かるけどさ、『結婚したから、しばらくはなるべく一緒にいる』とか、そういう形だけやっても——」

「形だって大事だ。想ってるから察してくれなんて調子が良すぎねーか。表面があって、だから奥も見てもらえる。付き合いだって、昔は手ぶらで遊びに行ってたのが手土産が当たり前になったりして、形で見せてくようになるんだろ」


 七味の入った汁をサバにたっぷりつけ、あむっと口に運んでから、彼はまた俺達に視線を戻した。


「僕も長い間生きてきたし、結婚もケンカも離婚もどんだけ目にしてきたか分からねーんだけどさ。やっぱり価値観がピッタリ合う2人なんていやしねーんだよ。どっちかはどこかで譲歩しなきゃいけねーんだ。だからこそ、自分が得するために始めから価値観押し付けるのは悪手だと思うね」


 そこまで聞いて、淳平は表情を崩し、フッと微笑む。


「……確かにな、ごめんごめん。ユーセイとは別に何年経っても遊べるだろうし、しばらくは家庭重視だ。アイツとも一緒に過ごしたいしな」

「くははっ、ジュンペー、こっちも喋りすぎた。もちろん僕のも意見の一つだし、最終的には2人で納得してりゃいいんだから、まずは遠慮なく話してみてもいいと思うぜ」



 長い間生きてきた、なんて見た目にそぐわない言葉があまり引っかからないくらい、童子の話を真剣に聞いていた。


 ああ、そうだな。コイツを酒呑童子としてしか見てなかったけど、人生の先輩でもあるんだよな。なんとなく説得力があるのも、そのせいかもしれない。


「まあ、ケンカもするだろうし、一緒にいたくない日もあるだろうから、そのときはユーセイと3人で飲もうぜ。嫌なこともスパイスだと思えば、ハッピーな部分と調和するだろ。ハイボールみたいなもんだ」

「おお、巧いな童子君!」


 ニヤッと笑って、童子は後ろにあるソファーにバフッと体を預ける。


「よし、別のウィスキー持ってきてるから、新しいの作るぞ! ユーセイ、炭酸水出して!」

「オッケー。挙式の話とか聞かせてくれよ」

「おうよ。お前には大役を頼むからな」

「えっ、何! 何やらされるの!」



 炭酸にまみれる楽しい宴は、まだまだ終わりそうにない。

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