第2章 日々、緩やかに

3杯目 祝福酒 ~ハイボール~

5.友人、来たる

「そしたら、今日の夕方行くからな」

「は? 今日? いや、急すぎるだろ」

「別に店の予約とか要らないぜ。酒持ってくから。じゃあな!」

「おい、ちょっ、準備あるから何時か教えてくれ。おい、淳平、待っ——」

 そこで通話は切れた。


「まずいまずい、これはまずいぞ」

「どうしたんだ、ユーセイ」


 カーペットと一体化するかのように寝そべっている鬼、酒呑童子が、軽いトーンで声をかけてきた。もう11時だというのにシャキッとする気配はない。


「大学の友達が来るんだ」


 学園祭実行委員会の同期、鹿島淳平。学部は違ったけど、1年から4年まで、一緒にステージ企画の立案・運営を担当した仲間であり、戦友。


「どうしよう」

「なんだよ、悩みなら僕が聞いてやるぞ」


 起き上がったかと思ったら、机に置かれた酒瓶からお猪口に注ぎ、香りを愛でながらキュッと一口で干した。そしてまた、だらりと横になる。


「もてなしてやればいいじゃん」

「その姿勢で言うことか」


 明け方に降った雨のせいで肌寒さすら感じる日曜。白い息が見えるかと思うほど大きな溜息をつく。


「お前と同棲してるなんて言えないだろ」

「別に男同士、問題ねーだろ」

「いや、それはそうなんだけど……」

「まあ、若い男に何かしてるって思われたら困るんだろうけどさ、くははっ」

「笑い事じゃないっての」


 のそのそと動いてもう一杯飲もうとしている童子を見ながら、脳はフル回転していた。



 どうやって誤魔化す? 澄果がいるのに、こんな一回りも下に見える、超絶美形な男子と住んでるなんて、誤解を招く以外の何物でもない。「何もないんだ」なんて否定すればするほど怪しまれるだろう。澄果にすら、今度夜デートするときに話そうと思ってたのに。



「あーもうっ! どう足掻いてもダメだ! 親戚ってことで押し通そう!」

「おう、分かった。じゃあ僕は親戚役になってやるよ」

「頼むぞ。じゃあ掃除しよう」

「おう、頑張ってくれ」

 完全に他人事で応援してくれる同居人。


「お前もやるんだよ」

「はあ? 僕がやるわけねーだろ。大体、掃除なら昨日したじゃねーか」

「掃除っていうか片付けだな。ゴミは無くしたけど、物が多すぎる。少しまとめて寝室にどかすから、コロコロかけてくれよ」

「ったく、年寄り使いが荒いねえ」


 口を尖らせながら酒に顔を近付ける、その横顔をまじまじと見る。


 マスカラでも塗ってるのかと思うほど長いまつげが反っていて、蟻が滑り台として遊べるくらい鼻が高い。白い肌と黒い髪と目のコントラストもくっきりしていて、何十分と見ていられるほど綺麗だった。


「よし、夕方に向けて頼むぞ。酒は持ってきてくれるっていうからな」

「酒があるのか! じゃあ僕もちょっとだけ気合い入れないとだな」


 急に起き上がって、着物の腕まくりをする。だんだんコイツの取扱いが分かってきた気がするな。




「ユーセイ、もう飽きた」

「早すぎるだろ……」

 コロコロをかけること数分、カーペットの4分の1をやっただけで、ポイッと持ち手を投げる。


「僕にはこんな細かいことは向いてねーんだよ。コロコロよりゴロゴロの方が好きだ」

「みんなそうなんだよ」

 引力に従い、すぐに横になる童子。


「あのな、同居人の友達が遊びに来るんだぞ? ちょっとでも良い部屋で迎えようとか思わないのか?」

「いや、どんな部屋でも酒飲んで話してれば楽しいだろ。飲めば都だよ」

「そんな言葉はねえよ」


 わざわざ自分がコロコロをかけた場所に転がり、ホワホワになったカーペットの毛を撫でている。


「ったく、こっちは片付けしたり、つまみ用意したり大変なんだぞ」

 その言葉に、眉をひゅっと上げて目を大きく開いた。


「つまみか! 僕、そっちの方が得意だぜ」

「お前、料理できるのか?」

「肴専門だけどな、くははっ!」

 すっかりやる気になって、冷蔵庫の扉を開けた後にこちらを向いた。


「向こうは何持ってくるんだ?」

「淳平は……ハイボール作って飲むのが好きだな。大体ウィスキーと炭酸持ってくる」

「ハイボールだな、分かった。じゃあ味の濃いものでも大丈夫か……」


 冷蔵庫を上から下まで見回し、悲しげに首を振る。


「大したものねーな……よくこれで生きてられる……」

「お前が勝手につまんでるものもあるんだからな。ああ、あと鍋とかしまってるところに缶詰があるぞ」

「ホントか!」


 シンクの下をカバッと開け、沈没船のお宝を見つけたかのように勝ち誇って叫ぶ童子。


「サバ缶があった! これで何とかなる!」


 言いながら、野菜室からキャベツを、扉側のスペースからとろけるチーズを取り出した。


「まずはキャベツを、と」


 ついつい気になって、洗った食器を片付けがてら調理を覗く。

 深皿に汁ごとサバ缶を入れ、ざく切りにしたキャベツも一緒に入れる。そこにマヨネーズととろけるチーズを加えて、ラップしてレンジに入れた。


「600Wで3分ちょい、かな」

「童子、これなんだ?」

「んー? 料理名とかはねーよ。なんか昔テレビで見た料理のアレンジだ」


「へえ。でもまだ来ないし、今作る必要なかったんじゃないか?」

 俺の素朴な疑問に、彼は舌を小さく出しておどける。


「ユーセイ、サバ缶もチーズもキャベツもまだあるんだぜ? 先に僕達で試食しねーと」

 ああ、肴が欲しかったんだな……分かりやすいヤツ……。


「もちろんユーセイにも一口あげるからよ」

 話してる間に、レンジが完成の音色を奏でた。


「ちょっとコショウを振って、と。ほい、できたぜ。あちちちっ」

 渡されたスプーンで一口食べてみる。


「……美味っ!」


 サバ缶のちょうど良い塩気とキャベツのムグムグした食感。そこにマヨネーズの酸味とチーズのこってり感、ペッパーの辛さが次々と襲ってきて、味わいを秒単位で変えていく。お腹にも程良く溜まるボリュームも嬉しい。


「これいいな! ハイボールに合いそうだ!」

「へっへっへ、そうだろ? 僕だってやるときはやるんだぜ。じゃあこれでお役御免ってことで」


 いそいそと皿を持ってリビングに戻り、日本酒を飲み始める。

 結局俺がカーペット残りの4分の3にコロコロをかけることとなり、かけた場所にキャベツを落としたアホ鬼を持ち手でパカッと叩いたのだった。



***



「うっす、夕晴!」

「おう、久しぶりだな!」


 もうすぐ日没になろうかという17時過ぎ。燃えるようなオレンジの夕日をTシャツに映して、淳平が来た。


 身長は170前半で俺より少し低いけど、ワックスでぐしゃぐしゃと髪を立てているので同じくらいに見える。前より少し恰幅もよくなっただろうか。車移動の営業になって歩かなくなったって言ってたしな……。


「悪いけど、今日はもう一人いるんだ」

 リビングに入り、ソファーで寝転がって雑誌を読んでいる鬼を指した。


「コイツ、親戚の童子。実家は田舎なんだけど、最近ちょっとこっちに住まわせてるんだ。着物が好きでさ、普段からずっとこの恰好でいるんだよ。それに名前も珍しいよな、童に子どもの子って童子って読むんだぜ」

「へえ、確かに珍しい。でもってすげーイケメンだな。イケメンというか美青年」


 一気に情報インプットして押し通す作戦、とりあえず成功、かな。


「童子君、よろしくね」

「ああ、よろしくな。20歳は超えてるから、酒は一緒に飲めるぜ」


 やや固まる淳平。そりゃそうだろう、こんな話し方されたら。まったくコイツは……。


「と、とりあえず飲もうぜ! 淳平、酒は?」

「お、おう、もちろん持って来たぜ、ハイボールのセット!」

「じゃあ作ろう! 童子、氷とグラス準備してくれ」

「ったく、ユーセイは親戚使いが荒いねえ」


 ぶつくさ言いながら席を立つ童子。俺は淳平に「問題児でさ、ははは……」と精一杯苦笑してみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る