4.丁寧に暮らしても

 入った店はチェーン店ではなく、この辺りでは結構人気らしい。開店間もないのに、もう既に何人かお客さんの姿が見える。


 「いらっしゃいませ!」と元気の良いお兄ちゃんに挨拶され、壁に沿うように作られた2人席に通された。通路に面するところに細身の暖簾がかけられ、あたかも個室のようになっている。


「良さげな店じゃねーか。ユーセイ、入ったことないのかよ」

「ん、ああ、前々からちょっと気になってはいたんだけどな」

「気になった時に行くもんだぜ。時間が経ったら気にならなくなるからな」


 深いような深くないようなことを言って、童子がメニューを開く。


「おおっ、この純米大吟醸は結構レアだな、これにしよう。肴は、と……」

「塩辛があるぞ」


 俺が指差すと、彼はジトーッとした視線を向けた。


「あのな、日本酒ってだけで雰囲気で肴選ぶのは良くねーぜ。酒の種類によって料理の相性も違うからな。僕に任せろ」


 店員さんを呼び、徳利と幾つかの料理を注文する童子。俺はお酒を待つ間に、SNSをチェックする。


「童子はスマホやパソコンは持ってないのか」

「ああ、スマホは一応持ってるよ。普段全然使ってねーけどな」


 ごそごそと着物の袂からライトブラウンのケースのスマホを取り出した。色白で長い指が、ケースの色に良く映える。


「ユーセイとは連絡先交換しとかないとな。夕飯作ったりもあるし」

「何だ、夕飯なんか用意してくれるのか」

「ちげーよ、僕が飲んで遅くなる時にシメのご飯とか作ってもらいてーだろ」


 カラカラと笑う童子の手を、「やかまし」とおしぼりでパシッと叩いた。


「そうだ、聞いてみたかったんだけどさ、鬼の寿命ってどのくらいなんだ?」


 何気なく訊いたその問いに、彼は微かに憂いの表情を浮かべる。そしてややあって、口を開いた。


「さあね。他の鬼は500年そこらで死んじまったけど、俺は特別長生きみてーだな。あと何十年か、何百年か、何千年か。少なくともユーセイよりは長生きすると思うぜ」

「寂しくないのか」


 皮肉のように、強がりのように、童子は「くはっ!」と声をあげる。


「僕だって生きてるんだぜ。寂しくないと思うのか?」

「……そうだな、悪い」

「…………たまに、たまーにだけど、しんどくて堪らなくなるな」


 絞り出すようにポツリと吐いたその言葉は、漫画で読んだ残虐で非道な悪党からは想像もできない、寂寥感を孕んだ響きだった。


「みんなと一緒に生きてるようで、誰とも同じ時代を生きてねーような感じだからな。どんなに仲が良くても僕より先に向こうが死ぬ。一緒に年重ねて親交深めても、『一生の友達』なんてものは作れねーしな」

「そうか……」


 若さを保って、生き続ける。夢のような話に見えるけど、心の中には抗いきれない孤独が棲みつく。


 斜め下を見て悲しそうに微笑む彼が、急に可哀想に思えてきて、言葉に迷ったまま箸袋を丸めて静寂を誤魔化す。


「悪かったな、急にこんな話。来たみたいだし、飲もうぜ!」

「ああ、そうだな。飲もう飲もう」


 お通しの小鉢、山菜の出汁浸しと一緒に運ばれてきた徳利。ラベルを見るために置いていってくれた酒瓶に目を遣りながら、お互いのお猪口に注ぐ。


「俺、そもそも純米大吟醸って何なのかよく知らないんだよな」

「は?」


 家に洗濯機も冷蔵庫も置いてない、という話でも聞いたかのように「ウソだろ……」という表情で硬直している。


「いや、なんかすごい酒だってのは分かってるんだけどさ。たくさん種類があるから、区分もよく知らない」


 呆れ顔の童子は下唇を突き出し、フーッと上に息を吹いて、ショートボブのサラサラの前髪をフワッと持ち上げた。


「お前、もう少し勉強しようぜ。学校や仕事じゃなくて、人生を彩る教養をさ」

「鬼に説かれると複雑な気分だな」


 乾杯もお預けのまま、童子は身を乗り出して説明に入る。


「まず日本酒ってのは原料で大きく2種類に分けられるんだ。米と水と麹、麹ってのは食用カビな、これだけで造るものが『純米酒』、醸造アルコールって呼ばれてる焼酎を加えて造るのが『本醸造酒』だ」


「日本酒造るのに焼酎を混ぜるのか?」

「元々は度数高い酒を入れて、発酵のときに雑菌やカビが出ねーようにしてたんだ。もっとも、最近は技術も設備もしっかりしてるから、別の目的で使うことが多いな。香りの成分はアルコールに溶けやすいから、醸造アルコールを加えると香りが立つ。それに、米の糖分を抑えてくれるから、シャープな味わいになるんだ」


 何の説明も読まずに立て板に水で話す。好きこそ物の上手なれ、だな。


「まあ、ここで一旦飲もうぜ」


 2人でお猪口を持つと、「それではステキな休日に乾杯!」とカチンと合わせた。


 童子の真似をして、まずはお猪口に鼻を近付けてみる。薄めにしたパイナップルジュースのような、瑞々しくて爽やかな香り。続いて口に含んでみると。香りに負けない上品な味わいが舌をくすぐる。


「めちゃくちゃ旨い! いつも何となく日本酒飲んでたけど、米と水だけでこの味ができてると思うとビックリするな」


 勉強しながら味を確かめたくなる気持ちが少しずつ理解できてきた。


「それで、原料の違い以外にはどんな分け方があるんだ?」

「ああ、純米酒も本醸造酒も、酒造りのときに米を磨くんだけどな」

「磨く?」

「雑味のある外側を削るってことだ。で、その磨き度合で名称が変わるんだ。精米歩合って呼ばれてる。ラベルの裏面に書いてあるだろ」


 顎で促されるままにラベルを見ると、「精米歩合40%」と書かれていた。


「米の6割を磨いて4割残したってことだ。磨くほど雑味がなくなってスッキリした酒になる。純米大吟醸は最低50%、半分磨くのが条件だ」

「へええ、純米大吟醸が高いけど良い酒ってのは、その手間があるからなんだな」


 俺の相槌に、童子は嬉しそうにニマーッと頷いた。


「後は『吟醸造り』だな。低温で発酵させて香りを強く出すと、吟醸酒って呼ばれる酒になる」

「ってことは……米と水と麹しか使ってなくて、米を半分削ってて、吟醸造りしてれば純米大吟醸ってわけか」

「さすがユーセイ! それでこそ僕の一番弟子!」

「弟子になった覚えはないっての」


 残念と軽く口を尖らせながら、ちょうど運ばれてきた料理に目を輝かせる。イワシの香草パン粉焼きと、タラの酒蒸し。


「酒自体が華やかだからな、同じく香りの良い肴が合う」


 説明も肴にしつつ、料理を食べてキュッとお猪口を傾ける。お互い邪魔することなく、酒の味もより際立つ。なるほど、主役になれる味わいの酒だから、同じタイプの料理で酒を引き立たせるのがいいのか。


「ああ、こうやって理解しながら飲むの、楽しいな」

「そうなんだよ、楽しいんだよ」


 そこで童子は切れ長の目を少し細めて、目線を逸らす。そして、苦笑い気味に続けた。


「人生がいつまで続くか分からないけど、もう楽しいことで埋めてーんだよな。だから家事とかはやりたくねーんだ。なんか寂しくなる。丁寧に暮らす、なんてことが、もう時間を重ねすぎて、空虚になってさ」

「そう、か……」


 何もしないのにも彼なりの理由があって。それは俺には到底理解しえないけど、黙って話を聞いてあげられる人間ではいたいなあと思う。


「でもまあ、技術も上がってどんどん酒は美味くなってるし、こうやって一緒に飲めるヤツもいるからな。僕の人生だって悪くはねーのかもしれない。もっと長生きしたら、余計なこと考えなくなるかもしれないしな」

「米と一緒だな。時間かけて磨いて、雑味がなくなる」

「くははっ、ユーセイ上手い!」


 柔らかい表情に戻った童子は暖簾を払って店員を呼び、追加で酒を頼む。


「次は本醸造酒を飲もう。今飲んだのとは大分違う味だぜ。じゃあ今度はクイズ形式で教えてやろうかな」

「あ、思い出した、今日クイズの特番じゃん。俺録画したっけなあ」

「録画してたぞ。歴史クイズのやつだろ? あんなん全問正解できる。僕は生き字引だぜ」

「横から答え教えるなよ」


 バカ話をしてるうちに新しい徳利が運ばれてくる。俺達はまた乾杯をして、土曜日の夜が穏やかに過ぎていった。

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