2杯目 休日酒 ~純米大吟醸~
3.この鬼、ぐうたらです
「んん……痛え……痛いっての…………もう、何だよ!」
動物園の触れ合いコーナーで、座ってる俺の周りを囲うウサギに足をバシバシ蹴られる夢を見て、目が覚める。
「…………おわっ!」
視界に飛び込んできたのは、隣に寝ている、軽く着物のはだけた美青年。
男だと知りながらも、透き通るような白い肌や長いまつげ、俺と同じパーツとは思えない高い鼻はどこかこの世界の住人ではない印象を帯びている。
「……ん……ああ、ユーセイ、おはよう」
「お前な、完全にベッドの3分の2を占拠してるんだけど、これはどういうことだ?」
「いやあ、わりーね。僕は寝相悪いの有名だからさ」
「実物を見て初めて知った事実だ」
厚手のタオルケットを剥ぎ、カーテンを開ける。暑すぎず寒すぎない、ちょうど良い秋晴れ。「もうすぐ10時だぞ、遅いよ!」と言わんばかりに、陽光が部屋までやってきた。
「さて、家事をやるぞ!」
「おう、頑張れよ、ユーセイ!」
人生の大先輩に応援されながらシャワーを浴びてリフレッシュし、掃除と洗濯を始める。面倒といえば面倒だけど、1人暮らしの自由の対価みたいなもので、こういう気候のときが一番捗ることも知っている。
そして今日新たに知ったことが1つ。
「おい、童子! ちょっとは手伝えよ」
「イヤだね。僕は何もしないって言っただろ? 楽しいことだけしてるんだ」
ソファで丸まり、俺のスマホから流れるラジオのリクエストを聴きながらフンフンと頭を揺らす。
コイツ、本当に何もしない! ぐうたらだ!
「お前さ、俺が頑張ってあれこれやってるのを見て、手伝おうかな、みたいな気分になってこないか?」
「別にならねーよ。僕が気にしてるのは今日何を飲むかってことだけだ」
「そうか……」
溜息で返事をしながら、コロコロでカーペットのゴミを取り始めた。
本当に、この酒呑童子ってのはびっくりするほど人として、否、鬼としてダメなヤツだった。
ゴミ捨ても頼んでも「外に出る気分じゃない」とベッドにダイブし、俺が勢いでトイレ掃除を始めたタイミングでテレビをつけて笑いころげ、ブランチを作っても箸も皿も運ばず、肉野菜炒めは「肉とニンジンの気分だ!」と俺の分の豚肉まで奪っていった。
「童子、お前あんまりひどいと出ていってもらうぞ」
「別に構わねーぜ。家賃は大分ありがたそうにしてたけど」
「ぐっ……鬼だ!」
「くははっ、大当たり! 僕は鬼さ」
「そういえばお前、これまで会った他の人にも酒呑童子だって話したのか?」
「ああ、まあ騒ぎ立てなそうなヤツにはね。ホストとかには面倒だから教えてねーよ」
「へえ。でもネットとかに書かれたら困らないか?」
その言葉を聞いてしばらく黙った後、彼はプッと吹き出した。
「……くはっ! ユーセイ、もしそんな書き込みあっても信じないだろ?」
「まあ、それはそうだな」
実物を見ても何の証拠もないし、あまり心配ないのかもしれない。
もちろん、そもそも酒呑童子を装ってる一般人って可能性もあるんだろうけど、同じ空間にいると雰囲気というかオーラというか、何となく感じるものがある。多分、コイツは本物だ。
「さて、午後は出かけるか。予定もないし、商店街に買い物とか」
「お、酒買う? なら僕も行くよ」
「酒しか頭にないのかお前は……」
呆れて見ていると、彼は思い出したかのようにバッグ状の風呂敷を漁り始めた。やがて取り出したのは、今着ているものと同じ、波模様の入った白の着物。
「出かけるなら、昨日汗かいたから着替えようかな。ユーセイ、これ自宅で洗えるやつだから、洗濯お願いできる?」
「さっき回してるときに言えよ!」
結局童子もシャワーを浴びることに。くそう、なんか調子狂うな……。
まぁでも、誰かと一緒に住んでたら多かれ少なかれこうなるよ——
「わりーな、すぐ着替えるよ」
「…………っ!」
バスタオルを体に巻いて出てきた彼に、喉は発声の仕方を忘れた。
なんだろう、同性を色恋の対象にしてない俺でも、変に胸がざわめく。これが鬼の力か、鬼の魔力と魅力なのか……っ!
「ふう、さっぱりした。行こーぜ、酒買うぞ」
「お前のマイペースさが羨ましいよ」
土曜日の午後、俺は髪が軽く濡れたままの鬼と、散歩に出かけた。
***
「へえ、こんな商店街があるんだ。チェーン店じゃねー個人の飲み屋やバーが多いの、いいね」
家から徒歩15分。東西に長く伸びる商店街を、入り口からゆっくり歩く。
「お前、この辺りには住んだことないのか? 1000年も生きてるんだろ?」
「大江山追われたときは、京都から九州の方まで逃げたりしたからな。都心の方はそんなに巡ってねーんだ。あ、おい、あれ酒屋じゃねーか!」
「ちぇっ、黙ってたのに鋭いな」
笑って彼を案内する。俺もそんなに来たことがない、歴史を感じさせる建物のお店。童子は、部屋でぐうたらしてた時とは別人のように、爛々と目を輝かせている。
「おお、この銘柄、純米吟醸だしてたのか。こっちは寝かせてあんじゃねーか。って、へえ、貴醸酒なんて造り始めたのか、ここ」
何を言ってるかいまいち理解できないが、これから結構コイツと足繁く通うことになりそうということは分かった。
「やっぱり日本酒が好きなのか?」
「ああ、酒は主食みたいなもんだから何でも好きだけど、日本酒は生まれたころから飲んでるから愛着もあんだよな」
「そんな前からあるのか」
驚いた声を出すと、童子は右手で目を覆ってみせる。
「日本酒のこともよく知らねーで30歳になるなんて嘆かわしいぜ」
いや、そういう人結構多いと思うぞ。
「昔は貴族のお偉いさんが趣味で飲んだり、豊作祈願の神事で使ったりしてたから国が主導して造ってたんだ。900年代の朝廷の書物には、日本酒の仕込み方が載ってたりするんだぜ」
「へええ、詳しいな! さすが、酒呑童子の名は伊達じゃないな」
「くはっ! 鬼のくせに勉強したんだぜ、好きなものには詳しくなりてーからな。よし、これ買ってこう」
手に持った2本の酒瓶を買い、軽い足取りで店を出る呑み助鬼。
休日の昼下がり、商店街の空気はゆっくりと流れ、親子連れがどこかの店のサービスでもらった風船を浮かべて歩いている。
「ふう、今日は気温もちょうどいいから歩きやすいぜ」
「そういえば童子、服は着物しか持ってないのか?」
「ああ、どうしても必要なときは洋服も着るけど、こっちの方が昔から着慣れてるからな。このあたりはちょっとくらい変わった格好してても意外とみんな気にしねーだろ?」
確かに、俺の故郷に比べたら、独創的なファッションも後ろ指差されない場所だ。
「よし、もう少し歩くか」
「はあ? 酒買ったしもう帰って飲もうぜ」
「あのな、せっかく商店街きたんだから色々見て回るぞ」
「えー疲れんだろー、酒瓶重いんだからせめてユーセイが持てよー!」
「どこまでわがままなんだお前は」
こうして商店街を巡る。厚揚げが美味しそうな豆腐屋、いつ行ってもカレーパンが売り切れのパン屋、鞄専門のリサイクル店、最寄りよりスーツ上下で200円安いクリーニング屋……住んでもうすぐ1年になるこの町も、途中カフェで休憩を挟みながらこうしてゆっくり歩いていると初めて気付く場所もあったりして、自転車を使わない散歩の楽しさに触れる。
「あーもう一歩も歩けねーな……っておい、ユーセイ!」
空の青さが薄まり、もうすぐ宵の口という時間帯。物音に驚いて寄ってきた猫のように、俺の肩をガシッと掴む。
「日本酒居酒屋があるぞ! 入ろう!」
「日本酒買ったんじゃないのかよ……」
「これは家で飲むやつだ。外飲みは別。予定あるわけじゃねーんだろ? また酒について教えてやるぜ」
「分かった分かった」
一歩も歩けないはずの鬼、酒呑童子を先頭に、暖簾をくぐった。
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