2.交渉成立!

「酒呑……童子……?」


 会社帰りに漫喫で読んでた作品を思い出していた。色んな偉人・怪人が現代に蘇った設定になっていて、まさに酒呑童子もその中の1人だった。


「あの、丹波の山にいて悪行三昧だったっていう、あの鬼……?」

「おっ、結構詳しいじゃん。くははっ、僕のファンかな。最近じゃ漫画やゲームにも出てるしね」


 カラカラと笑い声を立てたあと、彼は自分の前髪の部分をトントンと叩いた。


「信じられねーって顔してるな。一応角もあったんだよ、すっかりり減ったけどさ」


 促されるまま、左右の眉の上の部分を触る。髪の下に、確かに何か小さなでっぱりのようなものが2つついていた。


「牙はねーんだ、削っちまった。さすがに人に見られると色々面倒でさ」

「そうか……いや、うん、でも、30過ぎて何言ってんだって思うかもしれないけど、嘘を言ってるようには思えないんだよな」

「そっか、そりゃ良かった」


 白の着物があまりにも似合うその姿も、自分がどこか映画の世界に紛れ込んだようにも感じられる現実離れした美しさも、妖怪の類だとすれば説明がつく気がした。


「1000年前に大江山に棲んでたのも事実だし、色んな鬼を従えて人間に悪行はたらいたってのも事実だし、人間の討伐隊が出たってのも事実だ。ただ、そこからは通説と違う。実際に俺を討ったのは人間じゃねーんだ、手下の鬼達だ」


 まるで小さい頃の旅行の思い出を懐かしんでいるかのような表情で、彼はグラスを見ながら続けた。


「僕も随分横柄な態度だったからな。我慢の限界に来た手下達が結託して、寝込みを襲われた。ボロボロのまま山を追い出されて、そこからまあ、今までずっとフラフラしてるってわけよ」

「他の山を拠点にしたりしなかったのか?」


 こちらを見て目を丸くする酒呑童子。やがて、「信じてくれるなんて珍しいね」と牙ではない歯をニッと見せる。


「他の山になんか行けないさ、どこの山にも仕切ってる鬼がいる。僕の悪評は広まってたからね、入れてくれるところなんてない。襲われたときにかなりひどく手足をやられて人間並の力しかなかったから、暴力で屈服させることもできなかったしな。鬼といっても人間に近い容姿だし、もともとは僕が悪いからね、諦めて人間として生きることにしたのさ」


 それでずっと日本で生きてきたのか。人間に混ざっても長寿のまま、見た目もまったく変わらずに。


「といっても僕の顔は覚えられてたし、代々伝え続けられたみたいだから、長い間はどこ行っても厄介者扱いだったけどね。完全なホームレスだよ。比喩じゃなくてホントに泥水啜ったりしてさ。今だって保証人もいないし公的な身分証明書もないから、こんなちゃんとした家には住めない」


「金はどうしたんだ?」

「昔は何でもやったよ。人を人と思わねーような仕事もやった。食べるためには仕方ねーから。ちょっと前はホストとかやったしね」

「ホス……」


 これまでのトーンと随分ギャップのある単語に思わず絶句すると、彼はグビリと酒を飲んで「くははっ! ビックリしただろ?」と手を叩いて笑った。


「僕だって自分の顔がお金になるってのは分かってるつもりだよ。でも稼いですぐ辞めた。大金貰えたけど、僕はああいう雑な酒の飲み方は好きじゃねーんだ」


 ああ、そうか、名前に付いてるだけあって、きっと酒を味わうのが好きなんだよな。


「最近はお金持ちのおばさんとご飯食べてお酒飲んでお金もらってた。ママ活、とかいうヤツ?」

「なんか人気出そうだもんな……」


 ちょっと口の悪い美形とか需要がありそうだ。


「まあ、泊まるところがあって、美味い酒がある。それだけで十分だね、僕は」


 グラスの中身をクッと飲み干し、ロング缶を傾ける。彼に渡した缶はもう空になった。


 俺もつられて一口飲み、少し暑くなってきたのでベランダの窓を半分開ける。秋の訪れを予感させる冷めた風が半袖の体にぶつかって気持ち良い。


「レモンサワー、俺も好きだ。缶チューハイは偉大だよ……ん?」

 自分で口に出した後、缶を見ながら首を捻る。


「そもそもチューハイとサワーって何が違うんだろうな」


 その言葉に、酒呑童子は「はっ」と短く息を吐き、年端もいかない子どもを見るような優しい眼差しになった。


「酒のこと、よく知らねーまま飲んでんのか。若いねえ」

「飲んで美味ければいいんだよ」

「いいや、ユーセイ。何だってそうだけど、酒は知れば知るだけ面白くなんだぜ。僕が1000年一緒に生きてる相棒だ。どうせ飲むなら色々覚えてみるといい」


 そう言って彼は、持っていた缶をペコッと凹ませて遊ぶ。



「チューハイってのはもともと『焼酎ハイボール』の略だ。ハイボールは、ざっくり言えばお酒を炭酸で割ったカクテルの総称だからな。焼酎を割ってるから焼酎ハイボールってことさ」

「この缶のは……ウォッカになってる。ってことはこれはチューハイじゃなくてサワーなんだな」

「最後まで聞けって、ユーセイ」


 ウィンクのように片目を瞑って、チッチッと指を振ってみせる。その仕草が全然不格好じゃなくて、むしろ間近でお芝居を見ているようだった。


「今はチューハイとかハイボールってのは名前だけになってんだよ。ウォッカを使ったものもチューハイって呼ぶようになってるし、炭酸で割ってなくてもハイボールって呼ぶこともある。ウーロンハイとかあるだろ」

「ああ、確かに」


 そうか、お酒の名前にも形骸化なんてのがあるんだな。


「サワーは『酸っぱい』の『Sour』が語源だよ。ウォッカや焼酎みたいなスピリッツを柑橘類とかのジュースで割って、そこに炭酸加えた酒だ。まあ最近は酸味のないホワイトサワーとかもあるけどね」

「さすが酒呑童子、詳しいな」

「ふふん、酒なら僕に任せてよ」


 ちょっと得意げになっている。ううん、やっぱり美形だ。横顔とか女性に見えるときもある。


「……ん? そしたら酒呑童子——」

「童子でいーよ、長いだろ」


「……じゃあ童子、ウォッカで作ってるこれって、レモンチューハイでもありレモンサワーでもあるってことか?」

「だね。昔は、チューハイは焼酎と炭酸、サワーはスピリッツと酸っぱいジュースと炭酸って決まってたけど、今は差は曖昧だよ」


 へえ、そういうことか。何気なく使ってたけど、知ってみると面白いもんだな。


「レモンサワーは最近専門店もできるくらい人気だからな。色々アレンジもできるし、ユーセイもやってみるといいよ。ちょっと冷蔵庫借りんぞ」

「おいこら、勝手に開けるなって」


 さっきより雑にがさごそと冷蔵庫を漁る童子。やがて冷凍庫を開け、「こりゃいーや」と冷凍のミックスベリーを取り出した。


「レモンサワーには合うんだよ、これ」

「ベリーが?」


 ジッパーを開け、残りのサワーを全部入れた俺のグラスにザッザッと開ける。


「ああ。サワーの語源は酸味の強いジュースって言ったろ? ベリー系もその仲間だからな。柑橘系との相性もいいんだ。それにほら、見た目も綺麗だよ」

「……ホントだ!」


 グラスをじっと見つめていると、ブルーベリーやラズベリーがゆっくり溶け出し、薄黄色だったレモンサワーに紫と赤の彩りを加えていく。


 キンキンに冷えたグラスを口に近づけると、まずはベリーの華やかさが鼻をくすぐる。

 香りに誘われるように一口飲むと、2種類の酸味の入り混じった爽快な味わいに、ほのかな甘みが顔を覗かせる、上品なカクテルになっていた。


「これ美味い!」

「へへっ、だろーっ!」


 テンションの上がった俺につられるように、童子も笑う。手づかみでミックスベリーを勝手に食べてることは、この際不問にしよう。


「いやあ、酒って面白いもんだな! いつもコンビニで買って適当に飲んでたよ」

「良かった。これから住むことにしたから、たくさん教えてあげられると思うぜ」

「そっか、それは嬉し……は? 待て待て、今住むって言わなかったか?」


 俺の問いに、悪びれもせずにあっけらかんと彼は答えた。


「この家快適だし、ユーセイ良いヤツだしな。酒のたしなみ方を教えてやるから、少しの間住まわせてくれよ」

「いや、待てよ! そんないきなり言われてもさ」

「大丈夫だって。悪さはしねーから。家事もしねーけど」

「後半は聞き捨てならないぞ」

 単に居着くだけじゃないか!


「まあまあ、もちろんただで住もうとは思わねーよ? ちゃんと家賃は払うからさ。ここ、幾らなんだ?」


 金額を告げると、「じゃあ半分払うよ」と着物の袂から財布を取り出し、万札をガサッと取ってポンと机の上に置いた。


「食費や光熱費もかかるから少し多めに。酒代は自分で出すぜ」


 その条件に、脳内の天秤はグラグラと揺れる。

 正直、やや背伸びして借りた物件だから、この補助はかなり大きい……ううん、ずっと一緒に住むってわけじゃないだろうし……ルームシェアだと思えば……。



「……分かった! しばらく住んでいいぞ」

「へへっ、やった! よろしくな、ユーセイ!」


 嬉しそうに手を伸ばす彼に、俺はベリー入りのレモンサワーをぐいっと飲んで握手する。


「よろしくな、童子」

「よし、酒もなくなったし、もう寝よーぜ。ユーセイ、明日休みか?」

「ああ、特に予定もない」

「じゃあのんびり寝てられるな。半分借りるぞ、うりゃっ」


 リビングと寝室を隔てるスライドドアを開け、ベッドにダイブする美形鬼。じゃれる猫のように、ゴロゴロとタオルケットに巻き付く。


「へ? おい、待てよ、ソファで寝ろって」

「同居人につめてーなあ。広いベッドなんだからちょっと貸してくれてもいーだろ。おやすみ」

「おいこら、手足伸ばすな! 俺が寝られないだろ!」



 こうして、30歳の俺と、推定1000歳の酒呑童子との、ちょっと変わった同居生活が始まったのだった。

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